昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

2014年11月のブログ記事

  • 「七色仮面」について

     「七色仮面」はテレビ版がまずあってそれの編集したものを映画館で流していたようです。「七色仮面」をビデオで見直すとなかなか複雑で、ぼくらの世代で子ども時代に理解できた人は稀であっただろうと思いました。  「月光仮面」はぼくらのヒーローですが、あらすじが単純すぎます。逆に「七色仮面」は複雑すぎて大人... 続きをみる

  • 少年探偵団

     「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団」という歌声は遠い昔のことなんでしょうか。低音の進行が妙に魅力的で高揚感があります。戦後15年ぐらいの幅でヒーロー物のテーマ曲は軍歌に近いものがあったと思います。 東映の「少年探偵団」シリーズは昭和31年ごろで怪人二十面相役は南原伸二(宏治)や加藤嘉のように個性的な俳... 続きをみる

  • 「月光仮面」~「恐怖劇場アンバランス」

     映画版の「月光仮面 怪獣コング」には藤井珠美という子役の女の子が出演しています。共演している同じ子役の松島トモ子より自然な感じです。  この人は大人になって「恐怖劇場アンバランス」の「夜が明けたら」にも夏珠美の名前で出演しています。西村晃の娘役ですが、新宿が似合うオネーサンという感じです。奥村チ... 続きをみる

  • 「月光仮面」テレビ版 続

     月光仮面の悪役女優に深川きよ美という人がいました。美人ですが毒っ気がある感じで小柄ながら悪党一味をあごで使う貫禄がありました。おそらく昭和一けた生まれだと思います。 ハンチングの由というチンピラ役の俳優さん(お名前失念)も味がありました。この人は大正生まれだったと思います。サタンの爪の俄か部下で... 続きをみる

  • 月光仮面 テレビ版

     月光仮面のテレビ版は第一話めには間に合いませんでした。うちは昭和34年の美智子さん婚礼に合わせてテレビを買ったからです。第一話は昭和33年の2月だったと思います。 月光仮面 主題歌  後年DVDで見ると東京タワーの建築途中が画面に写っています。これは赤坂の薬研坂の上から見えた東京タワーと同じです... 続きをみる

  • 「透明人間と蝿男」

     大映「透明人間と蝿男」(昭和32年)という映画は第六天町がロケで使われています。  え?どこ?という人が大半でしょう。  近年は丸の内線の「茗荷谷」駅と「後楽園」駅の間に小石川検車区(現在は中野検車区小石川分室)があって旧大蔵省第六天町宿舎との間に挟まれた道路になっています。  昭和32年当時「... 続きをみる

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  • 赤坂の豊川稲荷

     赤坂豊川稲荷の近くの路上に手相見というか易者がいました。何かの用事で通りがかった時、  「ちょっと見てあげますよ、お金はいらないから」と母は呼び止められました。ドラマでよく見るシーンみたいです。ぼくは覚えていないのですが、母が言うには、妹がお腹にいたということですから昭和34年ごろです。  その... 続きをみる

  • 「妻として女として」

     昭和36年の東宝「妻として女として」という映画は「女が階段を上る時」(昭和35年)と年代が近いです。高峰秀子、森雅之を中心に仲代達也や淡路恵子が絡んでくるところは共通を感じる作品と言っていいかもしれません。 子役の大沢健三郎や星由里子が当時の中古車の相場を言います。昔は中古のことを「ちゅうぶる」... 続きをみる

  • 赤坂の床屋さん

     5歳ぐらいのころです。いつものM理容店に散髪に行きました。この床屋さんは赤坂田町だったと思います。現在は赤坂3丁目です。  その日はリーダー格の人が他の客の相手をしていましたので、19歳ぐらいの新人女性に刈ってもらうことになったのです。ところが髪を切ってもらううちにだんだん女の子みたいな髪形にな... 続きをみる

  • 昭和の懐かしい邦画 続

     「女は夜化粧する」(昭和36年)という映画は山本富士子主演の赤坂でナイトクラブのママとして生きていく女性の物語です。冒頭にニューラテンクォーターのネオンも見られます。ラテンクォーターは昭和34年創業だったと思います。  森雅之は大手建築会社の重役で、事実上のオーナーです。山本は家賃を支払う立場で... 続きをみる

  • 島崎雪子

     バブルのころテレビで映画「めし」(昭和26年)を見たときに女優島崎雪子を初めて見ました。  正確には映画関係の雑誌か何かの「めし」のスチール写真で横顔が素敵だなと思ったのが最初です。主役の原節子より興味を持ちました。  赤坂表町の2階に住んでいた妾のYさんを想起させるような容貌でした。Yさんとは... 続きをみる

  • 小林トシ子

     「渡り鳥いつ帰る」で娼婦役の桂木洋子は毒薬をあおって死んでしまいます。こんな悲惨な役柄ですが、見た目は気品のあるお嬢さん的なアイドルのような容貌ですね。 昭和24年の松竹映画「破れ太鼓」では桂木洋子は小林トシ子と姉妹役でした。実際は小林トシ子より2歳上の昭和5年生まれとなっていますが、小林トシ子... 続きをみる

  • 昭和の懐かしい邦画

     「渡り鳥いつ帰る」東京映画(昭和30年)の冒頭の隅田川と思しき風景は東宝「流れる」(昭和31年)の冒頭にも使われているような気がします。  監督は久松静児と成瀬己喜男で違いますが撮影が玉井正夫で同じです。  大映「赤線地帯」(昭和31年)に出てくる娼館というか、サロンも「渡り鳥いつ帰る」のサロン... 続きをみる

  • 「渡り鳥いつ帰る」

     「渡り鳥いつ帰る」という昭和30年の映画には鳩の街というのが出てきます。まだそこへ行ったことがありません。ただ向島百花園には二度行ったので近いところには行ったと思います。 荷風のいう向島は料亭街の向島ではなく寺島町の玉ノ井のことを指すと思われます。90年代に東武線に乗って曳舟の次の駅東向島で降り... 続きをみる

  • 父は草食系?

     父は女好きでしたが自分からはモーションをかけない草食系でした。女好きで草食系なんて正確な表現ではないかもしれませんが、どうやら女性のほうから誘うことが多かったようです。 家庭の事情で学校はあまりやれませんでしたが、ロシア文学やフランス文学を好み、映画好きでした。子どものころからあちこち転々と引き... 続きをみる

  • 父がポツリと言ったこと

     父の浮気相手Tというのは洋装学校の講師で自立していました。ぼくがもしその女性に引き取られたらどんな人生だったろう?と何度か考えたことがあります。 母より4歳ほど若く、カルチャー系の講師という身分で今でいう肉食系だったと思います。父が魅かれたのは、ぼくの感じでは岩崎良美似だったからでは?と思うので... 続きをみる

  • 港区の写真集

     写真マニアでなくても眺めていて懐かしいとか白黒のトーンがキレイだとか、昔の街並みが目の当たりに出来るのは昭和の写真集ですね。今やたくさんの種類が出ていてどれを買ったらいいやら迷います。 ぼくがおススメしたいのは『写された港区』です。港区を4部に分けて明治大正昭和と貴重な写真が満載されています。港... 続きをみる

  • 牛鳴坂

     牛鳴坂のところにIさんという歯科がありました。乳歯から永久歯に生え変わる時など味噌っ歯でしたから幼少のころからそこへ通っていました。 3人グループの女性コーラスで「黄色いサクランボ」がヒットしたころなど、I先生に歌って聞かせていたこともあります。3人のグループ名は忘れましたが、もちろん70年代に... 続きをみる

  • 赤坂は心のふるさと

     父が日産関連の新聞社に勤めていた関係で、ロータリーエンジンの模型を持って帰って子どもの自分にとってはおもちゃ代わりにいじくっていました。当時のメーカーは何といったか三菱なのかマツダなのか忘れましたがコスモとかいうものです。(興味のある方はググってくださいw)  透明のプラスティックで出来たロータ... 続きをみる

  • 過去に生きる

     赤坂の高台は下町でもないし、庶民が暮らすところでもありません。でも生活圏は一ツ木など下町風の商店街です。自分は町っ子であって世田谷や杉並のような閑静で瀟洒な住宅街でもなかったので、そういう点では世田谷あたりに憧れもありました。  そうは言っても今思えば赤坂の町にずっと住んでいたかった、暮らしてい... 続きをみる

  • グループサウンズ GS 続き

     ヴィレッジ・シンガーズのドラムはバスドラが利いていて楽曲に安定感がありました。「亜麻色の髪の乙女」のバスドラにベースも重なってきますから、安定感が増していいなぁと思っていました。 亜麻色の髪の乙女  それはテンプターズの「エメラルドの伝説」やタイガースの「美しき愛の掟」や「銀河のロマンス」に比べ... 続きをみる

  • グループサウンズ GS

     グループサウンズには驚きました。タイガースのボーカル沢田研二は相当美少年だったです。  大橋巨泉の番組「ビートポップス」で、ゴーゴーダンスの踊り子たちのバックで絞り染めが動いた。そういう年代でした。  やがてタイガースはメジャーになり、テンプターズも有名になりました。ブルコメの何某が同級生の兄と... 続きをみる

  • 妹の友だち

     台町の家の隣のHさんちのH子ちゃんは時々妹と遊んでいました。H子ちゃんは妹より1歳下でした。うちに遊びに来ていた時気軽にこうこうしようかと提案すると彼女は泣きだすのです。 え?泣く?という違和感もありましたが、一人っ子の彼女にとって気を許したのは妹だけであって、兄である自分はまだ認可されない人物... 続きをみる

  • ドロボー!!

     台町の家で夕方くつろいでいる時でした。縫い物をしていた祖母がふいに起ちあがって庭に向かって「ドロボー!!ドロボー!!」と叫びました。あまりに急で予行演習みたいにリアルさが無かったので唖然としました。 やはり本当の泥棒だったのです。塀からうちの庭に飛び降りたところを祖母に大声を上げられ怯んだようで... 続きをみる

  • 横綱柏戸

     大相撲は栃若時代に若乃花が栃錦を上手投げで破った瞬間は覚えています。  柏鵬時代は柏戸が好きでした。顔が歌手(懐メロ)の三浦洸一に似ていたので柏戸が登場すると三浦洸一とつぶやいていました。  柏戸と大鵬はどちらも横綱になっていて千秋楽で柏戸が大鵬に勝ったことにより、両横綱による優勝決定戦がありま... 続きをみる

  • タクシー

     昔のタクシーの乗り心地は膝や足の裏の感覚で覚えています。ルノーは小さいお婆さんみたいな風貌の自動車でした。ワンメーターが60円。表町からなだらかな坂を下って赤坂見附方面を走っていった時のことはなぜか何十年経っても憶えています。 「とらや」とか豊川稲荷のところをルノーに乗っていくと、都電のレールと... 続きをみる

  • 「夕陽は赤く」

     小学5年になってクラス替えがありました。1年から4年までクラス替えがなく担任の先生は当たり前ですが、ずっと同じ男の先生でした。5年6年は女の先生でした。  女の先生は何となくですが、生徒に媚びている感覚がありました。何度か授業を中止にして自由時間にするのです。大半の生徒は喜んで屋上へ上ってゴム段... 続きをみる

  • 江戸っ子のお嬢さん

     中年に差し掛かったころ、深夜の番組で昭和を懐かしむCDのCMでN小学校が映ったことがあります。古い白黒の映像の中で、鉄棒で遊んでいたのは見覚えのある女子のKさんでした。Kさんは同級でした。大人びた顔立ちでぼくより3つぐらいお姉さんのような雰囲気がありました。 50を過ぎたころ、同窓会の貴重なビデ... 続きをみる

  • 自作のピンボール

     K中学の1年でクラスは別ですが、円通寺坂を下りて一ツ木通りに向かう途中の路地を入ったところに住んでいたMクンと話をする機会がありました。テアトルボウリングのゲーム場にあるピンボールが面白いということになり、台町のうちに遊びに来てくれるように言いました。 彼のうちは牛乳店でしたが、先代は一ツ木通り... 続きをみる