昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

2015年7月のブログ記事

  • バンド ④

     ぼくはW市のHYの家も遊びに行きました。そのとき聴かせてくれたのはエリック・サティです。  世間ではまだサティは知られていなくて、70年代に高橋悠治がレコーディングしている程度で、音大のピアノ科出身の人が知っているか否かぐらいだったと思います。  サティが世間で知られたのは平成の初めごろでテレビ... 続きをみる

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  • バンド ③

     ある日、グレコのテレキャスを持ち込んでスタジオで合わせました。  調弦が狂っているとHYは言いました。確かに安物のテレキャスですから、糸巻が甘く狂いやすかったかもしれません。  御茶ノ水か駿河台下の楽器屋でテレキャスのペグの交換をしてもらいました。調弦が狂いにくいペグになって再びスタジオで合わせ... 続きをみる

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  • バンド ②

     昭和54年ごろジャズ誌で再びメンバー募集しました。そのときぼくはエレクトリックベース担当でした。クロスオーバー、ECM、及びフリー・インプロヴィゼーションが好きな人を募集しました。  連絡があったのはギタリスト埼玉県W市のHYと同じく埼玉県のドラマーHでした。ギターは1歳上でドラムは2歳ぐらい下... 続きをみる

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  • バンド ①

     昭和53年ごろジャズ雑誌でメンバー募集をしました。クロスオーバー志向みたいなことを書いたと思います。電話がかかってきたのは、後年有名サックスプレーヤーになったIとか、やはりサックスですが、Nさんという人です。二人は縁がなかったようです。  ぼくはギターでしたのでベースやドラムの応募をより望んでい... 続きをみる

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  • リターン・トゥ・フォーエバー RTF

     下北沢のジャズ喫茶「ノイズ」で昭和50年ごろ聴いた中にリターン・トゥ・フォーエバーのアルバム「第七銀河の賛歌」「ノーミステリー」「銀河の輝映」がありました。  いわゆる「かもめ」のジャケットや「浪漫の騎士」のRTFももちろんかかりましたが、「かもめ」は代名詞的に語られすぎていますので、ここでは割... 続きをみる

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  • 東京ことば

     父は浮気もしましたし、酒もたばこもやりましたのでそれほど堅物というほどではなく普通だったと思います。若いころはアルコールが苦手でしたが、34、5歳のころバスに乗っていて急ブレーキのため転倒し自然気胸になりました。入院して抗生物質を投入されたのを機に体質が変わり、アルコールが飲めるようになったので... 続きをみる

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  • 世田谷

     昭和45年に世田谷のD町に住んだのですが、そこは往年の大俳優Sの家でした。近所には作曲家Hとか同じく作曲家Kとかの家もありました。  昭和20年代の「キネマ旬報」か「近代映画」かにはSの家は世田谷の別のD町とあります。ですからD町に住みもうひとつのD町の家も持っていたのかもしれません。ここでSの... 続きをみる

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  • 吉祥寺 ディスコ

     昭和50年代はじめ吉祥寺に「インディペンデント」というディスコができました。99円というのが売りでした。場所はジャズバー「サムタイム」の付近だったと思います。  99円で入場料だけなのか、ドリンク付きなのかわかりません。どちらにしても激安なのは間違いありません。ずっと99円だったのかその後のこと... 続きをみる

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  • 下北沢 ロフト 続

     下北沢ロフトがオープンしてからは日常的に大した理由もなく、一番落ち着いて友人と話ができる、ぐらいのノリで飲んだり食べたりしました。  昼間ぶらっと入ってレコードをリクエストするときもありました。オ〇タ〇〇ンを飲んで相性の悪いコーヒーは避けレモンティーを注文して、「エイプリルフール」('69)をリ... 続きをみる

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  • 働く女性

     昭和53年ごろ、印刷会社からチームごとコンピューターのメーカーに出向しました。チームの人たちはみんな年上です。リーダーが昭和22年生まれEさん、部下が25年生まれ男性二人です(名前は忘れました)。あと当時派遣という言い方があったかどうかわかりませんが、女性二人は23年生まれKさんと24年生まれN... 続きをみる

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  • じゅん&ネネ

     昭和43年の中2のころクラス会がありました。   ぼくはクラスメイトのAクンとSクンとで芝居をやることを決めました。台本を作ってさあ本番というときにSクンが俺やっぱりやめとくよと言ってきました。  Sクンの家は新宿区にあってまだ売れる前の西郷輝彦が下宿していたことがあったそうです。Sクンによると... 続きをみる

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  • 下北沢 39円スナック

     ちょっと遡って昭和51年ごろです。下北沢に39円スナックというのがありました。確かふつうのスナックだったのが、店が変わってワンドリンクお通し付きで39円になったと思います。  スナックといっても女の子もいなくてバイトかなんかの店番みたいのがいて、ぺったんこのソファに薄暗い店内で大人しく飲む客が多... 続きをみる

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  • カメラマン

     昭和54年ごろだと思います。カメラマンをやりました。ギャラはもらえますが、アマチュアでもできる仕事です。結婚式の挙式、披露宴をずーっと廻ってスナップ撮影するのです。36枚撮りフィルムをだいたい3本撮ります。  注文してくれるかどうか判らない状態で、撮るだけ撮ってネガのベタ焼きを送ります。もちろん... 続きをみる

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  • ワードプロセッサー

     昭和53年会社に勤めました。ある印刷会社ですが、そのコンピューター部門の漢字処理センターに入社しました。  たてのひらがなと横のひらがなが交わったところに漢字一文字が表に印刷されています。要はひらがなの組み合わせによってどんな漢字ができるのかの一覧表です。これらを元に漢字入力のためのプログラムを... 続きをみる

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  • ウェザーリポート Weather Report 来日

     78年(昭和53年)ウェザーリポートの来日公演がありました。ジャコが参加していることでレコードが異例のヒットを飛ばして以来の初の来日になったと思います。コンサートは二度ばかり行きました。  「Elegant People」の時はジャコがベースを弾きながら横すべりに歩く、それがまるで蟹が歩いている... 続きをみる

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  • フリー・インプロヴィゼーション

     同じころ、ぼくは小石川図書館でデレク・ベイリーを借りて家で聴いていました。スティーヴ・レイシーとベイリーのデュオアルバムを聴きました。 Company 4 (1976)  ベイリーのギターはエレキのフルアコかなにかでレイシーはソプラノサックスです。ヘビとマングースのように絡み合って殺気立っている... 続きをみる

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  • バイト 現像所

     昭和54年ごろだったか記憶があいまいですが、年の初めだったのは覚えています。現像所でバイトしました。  そのころすでにフリー・ジャズはレコードで聴いたりしていましたが、バイト先で知り合った同じ歳のMTさんにデレク・ベイリーの2枚組のアルバムを借りてデレク・ベイリーもいいもんだなと思いました。タイ... 続きをみる

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  • 「ヌー・ハイ」ケニー・ホイーラー Gnu High Kenny Wheeler

     昭和52年以降小石川図書館でレコードを借りることが多くなりました。  ケニー・ホイーラーのアルバム「ヌーハイ」('76)もその中の一枚です。ECMのものを聴く機会が増えていた時期ですから、気になるものはどんどん借りていました。 Kenny Wheeler - Heyoke  アルバム「ヌーハイ」... 続きをみる

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  • 北陸一人旅

     77年(昭和52年)の夏に北陸へ一人旅に行きました。北陸ミニ周遊券というのがあって、ある期間電車バス乗り降り自由というものでした。その日の気分で石川へ行ったり富山、福井へと勝手気ままな旅です。  ある夜、石川駅の待合室のベンチでごろ寝していたら女性に声をかけられました。夕方ジャズ喫茶で見かけたと... 続きをみる

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  • 浅川マキ

     ずっと何十年も浅川マキは聴かず嫌いでした。「夜が明けたら」がいけないのです。あれをちょっと耳にしただけでブルースかジャズを無理やり日本語にしている、というマイナスイメージが先にきます。  わりとそういう人多いのではないかと思ったりします。長い黒髪で黒ずくめ、スポットライトで地下室で歌っている、そ... 続きをみる

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  • 向島 流しのバンド

     77年ですから昭和52年ですか。向島の流しのバンドをやりました。流しというと二人連れで一人が歌うイメージがありますが、そこは違いました。  要するにカラオケの代わりです。以前も書いたかもしれませんが、料亭のお客さんの歌の伴奏をしにデリバリー要請に応えて行くのです。2~4人ぐらいのユニットが多いで... 続きをみる

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  • 下北沢 ロフト

     下北沢ロフトは昭和50年の12月にオープンしました。  オープン初めの三日間はティンパン・アレーが出演したということですが、ぼくも観に行って記憶にあるのは山岸潤史です。大勢出る中に山岸潤史も含まれていたのかもしれません。  あと細野晴臣は覚えています。カントリー風のシャツを着てジーパンにサスペン... 続きをみる

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  • 泉谷しげる 西岡たかし キャラメル・ママ

     思い出しました。昭和48年のクリスマス(検索したら出てきました)に泉谷しげる、西岡たかし、キャラメル・ママのジョイントコンサートが新宿厚生年金で行われていましたね。これも実際出かけていきました。当時の茶色いポスターがまだ家のどこかにあります。  西岡たかしの記憶は全く抜け落ちていて、さっき検索す... 続きをみる

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  • キャラメル・ママ ティンパン・アレー

     昭和49年か50年に小坂忠のコンサートに出かけました。千駄ヶ谷の日本青年館で夕方から並んで入ったのを覚えています。  外で待っている間、館内でリハーサルをやっている音が聴こえました。声の主は吉田美奈子です。ピアノの弾き語りです。  曲は「ベルベットイースター」。荒井由実の歌を吉田美奈子が歌ってい... 続きをみる

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  • エレキ・ギター

     エレキ・ギターを買ったのは74年ごろでしたから昭和49年です。ずいぶん遅くもう20歳になっていましたね。  下北沢南口に「いさみや」という小規模の家電屋さんがあり、その2階でグレコのテレキャスター・モデルを買いました。定価28000円で2割引きの22400円だったと思います。  グレコのストラト... 続きをみる

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  • 学園祭 ブルース・ロック

     昭和50年前後だと思います。東京近郊の大学の学園祭に出かけました。いつもの友人Kとです。目当てはライブコンサートです。  上田正樹とサウス・トゥ・サウス、金子まりとバックスバニー、あともう一つバンドが出ていたと思いますが、思い出せません。  あともう一つはチャーではないと思います。チャーとか金子... 続きをみる

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  • 60年代ジャズ 続

     70年代後半のころ小石川図書館でレコードを貸し出すようになりました。(自分がという意味です。レコード貸出はもっと以前からあったと思います)  あらゆるジャンルがありました。フリージャズ、シャンソン、民族音楽、ルネサンス古楽器、現代音楽など何でも揃っていました。  東京都内在住もしくは都内勤務の人... 続きをみる

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  • 懐かしのラジオ英語会話

     中2から中3、つまり昭和43年~44年はラジオの「英語会話」を聴いていました。誰に薦められたわけでもなく、何気なく聴いた松本亨さんの英語の発音に魅せられて聴くようになったのです。松本先生の英語はネイティブな感じで日本人離れしていました。よく英語の講師でも発音がまるっきり日本人みたいな人がいますね... 続きをみる

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  • カレーが食べたい

     カレーの隠し味にチョコとかコーヒー、赤ワイン、みそ、しょうゆ、めんつゆとかって基本的にはなしだと思います。カレーをおいしくするのはカレー粉だと思います。カレーは辛くても甘くても風味が大事だと思うので、チョコとかコーヒーを足すよりシンプルにカレー粉を足すほうが得策だと思います。スパイスを足すのはお... 続きをみる

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  • ジュテーム・モワ・ノン・プリュ

     70年代に街中で何気なく喫茶店に入ってちょっと内装がゆったりした店なら頻繁に流れていたのはイージーリスニングです。  レーモン・ルフェーブル、ポール・モーリア、パーシー・フェイス・オーケストラ、マントバーニなどです。  あとバーキン、ゲンスブールの「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」'69も時々流... 続きをみる

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  • ホットケーキ ソフトクリーム

     今ホットケーキがブームなんですね。若いパンケーキ世代からも支持されているそうです。  我々50代60代のホットケーキは子どものころのごちそうだったと思います。50代前半の人はホットケーキ用の小麦粉を買って自分んちで作って食べる人も多かったと思います。ただ60前後の人はデパートの食堂で食べた印象が... 続きをみる

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  • 出生届と婚姻届け

     大正生まれの両親はぼくが生まれてから夫婦の籍を入れました。現代では出来婚は良くないイメージが強いですが、ぼくが生まれたころは違う意味でそうしていたのではないでしょうか。子どもが生まれて無事に育つかどうかある期間見計らって籍を入れる慣習みたいなことがあったんではないかと思うんです。  実際ぼくが生... 続きをみる

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  • 赤坂の町名

     ひさしぶりに町名です。w  高橋是清公園は赤坂7丁目にあります。隣接してカナダ大使館もあります。カナダ大使館の路地を入っていくと昔細川さまの別邸がありました。前に高橋公園の路地と書いたかもしれませんが、カナダ大使館の路地でした。  古い地図を見ますと、昭和7年の地図に細川邸とあります。高橋邸もあ... 続きをみる

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  • 国立競技場 絵画館 ハリマオ

     国立競技場はすでに解体されてしまったんですね。昭和39年のオリンピックのときは学校から歩いて行きました。あそこの住所は新宿区霞岳町っていうんです。案外知られてないんじゃないでしょうか。青山通りから行けるし「外苑前」駅からも歩けます。だから渋谷区と思われがちですが。最近は「国立競技場前」という駅も... 続きをみる

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  • 巴里の屋根の下~8ミリ映画

     昭和45年の春ごろから冬ぐらいまで仮の住まいで暮らしました。環七沿いのK写真館の建物そのまま借りたのです。写真館ですから洋館じみた外観は昭和初期の小さめのビルヂングです。だいぶ年季が入っていてネズミが出るほどだったのですが、祖母や両親に言われるままぼくも妹も仕方なく住んだのです。  家庭の事情で... 続きをみる

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  • フォークと哲学 Folk

     昭和50年ごろでしょうか、先輩のKSさんの下宿先は東京女子大の近くでした。  KSさんのアパートに遊びに行くとレコードを聴いたりギターを弾いたり哲学書を読んだりしました。  先輩は昭和27年の早生まれで、サークルのOとかIと学年で言えば同じです。  先輩のお気に入りのレコードはペンタングルなどの... 続きをみる

  • ジャズ・ヴォーカル Jazz Vocal (音あり)

     昭和49年~50年ぐらいの時期だと思います。友人Kと三鷹市の女性Iさんのアパートを訪問してジャズ・ヴォーカルのレコードを聴かせてもらいました。  IさんはKと同じ歳でぼくより1歳上です。しかも上にお姉さんがいるせいかやはり聴くものが進んでいました。Kはもう知っているふうな応対をしていました。  ... 続きをみる

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  • ゲイリー・バートン

     76年(昭和51年)ごろはジャズ喫茶でフュージョンやキース・ジャレットを聴くと同時にジャケ買いもするようになりました。新宿コタニで気になるレコードを見つけました。ゲイリー・バートン・クインテットによるプレイズカーラブレイです。 Gary Burton Quintet • Dreams So Re... 続きをみる

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  • 下北沢 吉祥寺 ジャズ喫茶

     下北沢の「シェルブール」とか吉祥寺の「シモン」ではキース・ジャレットの「ソロ・コンサート」がよく掛かっていたように思います。70年代前半から半ばにかけてですか。  だいたい友人Kとジャズ喫茶めぐりをしました。その彼の神奈川のご自宅に遊びに行ったらリビングが30畳ぐらいありました。昭和40年代後半... 続きをみる

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  • 大正生まれの人々 続々

     母方の伯父(伯母の夫)は大正9年生まれですが、戦時中は大陸にいて戦後もシベリア抑留に遭いました。ソ連の湖に20日間浸かったまま戦友は次々と病死していったと聞きます。抑留されてからは、片言のロシア語で軍看護婦と懇意になり、物資を優遇してもらったそうです。伯父は生前ぼくと母と本郷のそば屋でロシア語の... 続きをみる

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  • 大正生まれの人々 続

     父は大正11年生まれです。幼少期に祖父母が離婚したので、親戚や他人に預けられました。祖母が引き取ったのは昭和8年ごろです。いわゆるシングルマザーなので学校の成績はよくても進学はままなりません。それが却って良かったのか、兵役に取られても内地の千葉で高射砲の計算班でした。  サイン、コサイン、タンジ... 続きをみる

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  • 大正生まれの人々

     母方の伯母は大正10年に生まれて昭和29年に肺けっかくで亡くなりました。戦時中の空襲のときはみんな防空壕に逃げても、私はここにいると言って家の中にいました。そのとき防空壕が爆撃されて防空壕に逃げていた人たちが死んで伯母は助かったのです。  戦時中、東京の会社に就職し英文タイピストをしていました。... 続きをみる

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  • 下北沢 喫茶店

     下北沢の「アイリス」で友人Oと話す中に「自由とは何か」「天才とは何か」のような話題が上ってくると、Oはルソーにはこう書いてあるとかショーペンハウエルにはこうだったと語り出します。たいてい待ち合わせを向かいの白百合書店にすることが多くなり、そうするとお互い退屈せずに待てます。文庫、新書コーナーでO... 続きをみる

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