2015年6月のブログ記事
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60年代末新宿西口フォークゲリラがありました。ぼくは実物を見ていません。昭和43年か44年ですから中学生でした。が、ほとんど記憶にないです。 6歳下の妹は小学3年生でしたが、ニュースでフォークゲリラのことが報道されると、自分もあの広場に参加して全学連になって、ヒッピーにもなろうと思っていたそう... 続きをみる
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吉田拓郎のアルバム「元気です」を買ったのは下北沢の長田楽器です。「おさだ」と読みます。たくろうの「人間なんて」は少し遅れて買いました。「イメージの詩」のほうが買ったのは後です。昭和46年~49年ごろですね。 「結婚しようよ」「旅の宿」が立て続けにヒットして、特に「結婚しようよ」などはフォークや... 続きをみる
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ポール・デスモンドとデイブ・ブルーベックの「テイク5」('59発売'61ヒット)を聴くと「ローンウルフ・一匹狼」のテーマ曲を思い出します。 天知茂が歌っているんです。5/4拍子の歌を巧みに歌いこなしています。「昭和ブルース」を歌う天知は有名ですが、「ローンウルフ」もなかなか名曲です。 本編で... 続きをみる
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いきなり”シャンソン”などと言うと大抵引かれます。フレンチならともかくシャンソンを聴く世代は70歳代以上がほとんどでしょう。ぼくが最初聴いたのは小石川図書館で借りたエディット・ピアフとかのレコードだったと思います。もちろんまだLPの時代です。 借りた中で一番グッときたのは1960年代に出された... 続きをみる
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昭和44年、中3のころビートルズの「カムトゥゲザー」と「サムシング」が流行りました。クラスメイトのYクンとSクンと学校の帰り徒歩で赤坂見附駅までいっしょだったのですが、ちょっと遠回りの弁慶濠の辺りを歩いたりしました。Yクンとかぼくが「カムトゥゲザー」をマネして「シュッ~シュッ~」とか言って笑いな... 続きをみる
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昭和50年前後、池袋の文芸坐か文芸地下で大島渚の「日本の夜と霧」を見ました。サークルで知り合ったOと見たのです。ネット上には80年つまり昭和55年に再上映とありますが、70年代に見たのは確実です。あのころ何度も上映したのだと思います。 映画の中で渡辺文雄や戸浦六宏、津川雅彦、佐藤慶とかが討論し... 続きをみる
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昭和48年か49年、Kと一緒に下北沢「シェルブール」で聴いた「リターン・トゥ・フォーエバー」というアルバムは清新な印象を持ちました。 全体的にはボサノバっぽいのですが、もっと感覚的でフローラ・プリムの淡い妖艶なヴォーカルは楽しめます。チック・コリアのフェンダーローズピアノはジャズっぽいのですが... 続きをみる
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中学に上がった年、昭和42年の秋ごろ赤坂から世田谷に引っ越しました。銀座線で渋谷まで来たら、井の頭線に乗り換えるのですが、クラスメイトと一緒だと渋谷の本屋に寄ることが多かったです。その時分は東急文化会館の上階にあった三省堂とか東急プラザの紀伊国屋に行くことが多かったです。 銀座線は知っている人... 続きをみる
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昭和42~43年ごろはグループサウンズ花盛りでした。 「ビートポップス」は大橋巨泉司会の番組で、ゴーゴーガールが踊るバックスクリーンにサイケデリックな紋様の動画が映されます。 スタジオ内は素人の男女が入り乱れ踊り狂っていました。 当時のジャズ喫茶もゴーゴー喫茶も知りませんが、さながらスタジ... 続きをみる
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年代はだいぶさかのぼりますが、昭和39年、4年生で箱根に林間学校に行きました。リュックに『怪盗黒星(ブラックスター)』(マッカレー著:南洋一郎訳:ポプラ社)を入れていきました。自由時間に読むつもりでしたが、往きの電車の中でも本を広げて少し読みました。 現地に着いて晩ご飯まで自由時間があったので... 続きをみる
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下北沢のフォーク・ロック系というんでしょうか、「ぐ」とか「段」とかありましたね。 未だにあれらの店は何だったのかと疑問なんですが、「ぐ」などは始終お香を焚いて店内に一種異様な香りが漂っていました。 たぶんボブ・ディランとかザ・バンドとかまともなものからマニアックなものもかかっていたと思います... 続きをみる
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下北沢にはいろいろな喫茶店がありました。フォーク・ロック系喫茶、ジャズ喫茶、ライブハウス系等など。ロフトができたのはだいぶ後で70年代後半です。 ジャズ喫茶の「マサコ」はスーパー忠実屋(その後ダイエーですか?)の裏の路地にありました。店内は和やかな雰囲気ですがジャズを聴くという暗黙のマナー... 続きをみる
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昭和50年前後ですね。下北沢の五番街っていうんでしょうか。(ここは間違いでした。正しくは「一番街」です^^:) 小田急線の駅に隣接したふみきり(手前は金子総本店)を渡って、驚くなかれそのころ高田ケンゾーのショップ(当時はブティックって言ってたかもしれないですが^^)が左側にありました。 向か... 続きをみる
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「ライオン」には一人でも出かけました。トイレがハンパなくどぶ臭いんですw他所では嗅いだことのない譬え様のない匂いです。男性用トイレの壁は落書きで埋め尽くされていました。相合傘に名前が書いてあるのは定番です。あと時代を感じさせたのは、革〇連だとかセクト名と思われる名称とか〇〇参上とか、現在は消され... 続きをみる
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渋谷の道玄坂を上って中腹あたりを右に曲がると坂を上る路地があります。さらにちょっと行ったところに名曲喫茶「ライオン」があります。大正の末期か昭和の初めにはもうあったそうですが、戦災で焼けて今の店舗は昭和25年ごろ建てられたそうです。 祖母と父が昭和8年ごろ、道玄坂を少し下って「109」のはす向... 続きをみる
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友人Oとは映画も観に行きました。やはり昭和50年ごろです。 池袋に文芸坐という名画座がありましたが、地下に文芸地下がありました。ここに「ベニスに死す」が掛かったので一緒に観に行きました。ですが、また観たいというのでつき合いで連日通うことになりました。それがいつの間にか60回に達したのです。ぼく... 続きをみる
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先日書いた友人Oと下北沢「アイリス」、幡ヶ谷「白亜館」とハシゴした後も喋り足りないときがありました。小腹が減ることもあって小田急線「東北沢」駅前の自動販売機を目指します。屋根付きの小屋みたいなプレハブに自販機が並んでいてベンチもありました。(昭和50年前後) 夢を語りながら腹が減ったら100円... 続きをみる
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ナショナル・キッドの探偵役、小嶋一郎のことは記憶にありましたが、巽何某という人は記憶にありません。VHSビデオ化されたころレンタルして見て、ああこういう人もいたんだなという感じです。変なもので、キッドが空を飛んでいる時、ひざが微妙に曲がっているのが子ども心に引っかかっていました。 それと志村妙... 続きをみる
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