昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

2015年6月のブログ記事

  • 太地喜和子 続

     四ツ谷に荒木町(新宿区)というところがあります。  大ざっぱに言って四ツ谷駅と四谷三丁目の交差点の間にある町です。  近くに津の守坂という坂があります。高須藩主松平氏が摂津の守だったので津の守坂と名付けられたそうです。  太地喜和子は一時荒木町に住んだようです。太地の女優半生記の本に載っていまし... 続きをみる

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  • 細野晴臣

     はっぴいえんどの解散コンサート1973.9.21には行きませんでしたが、アルバムは「風街ろまん」「HAPPY END」「HOSONO HOUSE」「ゆでめん」と立て続けに買いました。  下北沢の「シェルブール」の隣りのレコード屋(たぶん2階のジャズ喫茶とケーキ屋と経営は一緒)とか新宿の帝都無線と... 続きをみる

  • はっぴいえんど

     以前、三田の街並みを書いた際にはっぴいえんどの「風をあつめて」とか「夏なんです」は話題に出しました。  「風街ろまん」のアルバムを買ったのは昭和48年だったと思います。    少し遅れてはっぴいえんどは好きになりました。昭和46、7年、高校のクラスメイトKが隣りの席だったもので「風街ろまん」のL... 続きをみる

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  • 60年代ジャズ

      Sahib Shihabというジャズフルーティストのアルバム(澤野工房)があります。  デンマークラジオジャズグループによる録音ですが、これが非常にいいんです。若かりし頃のニールス・ぺデルセンもベースで参加しています。 Sahib Shihab - Sahib Shihab and the D... 続きをみる

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  • 太地喜和子

     太地喜和子は幼少期から市谷河田町で育ちました。  東京女子医大のバス通り、あの女子医大通り沿いにタワーマンションがあります。スーパー「サントク」もあります。以前フジテレビがあった付近です。  あそこらへんに昔江戸のころに徳川さんの下屋敷があったそうです。  それが戦後まもなくかに都営住宅になって... 続きをみる

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  • 麻布十番

     はっぴいえんどの「風街ろまん」に入っている「暗闇坂むささび変化」を聴くと連想するのは麻布十番の風景です。麻布十番は今は町名になっていますが、昔は十番通りの名はあっても、町名は宮村町、一本松町、宮下町、坂下町などという地味なものしかありませんでした。  祖母の部下にTさんという麻布十番の質屋の大正... 続きをみる

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  • オートバイ

     昭和39年か40年ごろは赤坂一ツ木通りの古本屋に通いつめて探偵小説を買っては読んでいました。このことは以前も書きました。  甲賀三郎の『姿なき怪盗』とか『黒い天使』に夢中になりました。挿絵もあってイメージしやすいのは、謎の山羊髭老人と獅子内探偵が颯爽とオートバイに乗るシーンです。  獅子内探偵の... 続きをみる

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  • 夏休み ①

     昭和42年中1の夏休みに母の実家へ遊びにいきました。伯母も従兄も一緒でした。居間を客室代わりに布団を敷いてもらって寝ますが掛け布団が独特の匂いがしました。一泊目は毎回思うのですが、朝目が覚めると、あぁ昨夜は田舎に泊まったんだなと思うのです。居間と仏壇の部屋を仕切っている襖のふすま紙に漢文が書いて... 続きをみる

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  • 新宿西口フォークゲリラ

     60年代末新宿西口フォークゲリラがありました。ぼくは実物を見ていません。昭和43年か44年ですから中学生でした。が、ほとんど記憶にないです。  6歳下の妹は小学3年生でしたが、ニュースでフォークゲリラのことが報道されると、自分もあの広場に参加して全学連になって、ヒッピーにもなろうと思っていたそう... 続きをみる

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  • 吉田拓郎 よしだたくろう

     吉田拓郎のアルバム「元気です」を買ったのは下北沢の長田楽器です。「おさだ」と読みます。たくろうの「人間なんて」は少し遅れて買いました。「イメージの詩」のほうが買ったのは後です。昭和46年~49年ごろですね。  「結婚しようよ」「旅の宿」が立て続けにヒットして、特に「結婚しようよ」などはフォークや... 続きをみる

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  • 昭和のドラマとジャズ 参考音源付加

     ポール・デスモンドとデイブ・ブルーベックの「テイク5」('59発売'61ヒット)を聴くと「ローンウルフ・一匹狼」のテーマ曲を思い出します。  天知茂が歌っているんです。5/4拍子の歌を巧みに歌いこなしています。「昭和ブルース」を歌う天知は有名ですが、「ローンウルフ」もなかなか名曲です。  本編で... 続きをみる

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  • 野際陽子

     昭和38年のドラマ「赤いダイヤ」は見ていました。先物取引のいわゆるアズキ相場を描いていてドラマの中身は判りませんが、大辻司郎の個性的な雰囲気が子どもでも面白く感じられました。  これに野際陽子が出演していたのですが、当時は気づきませんでした。  似たような路線で「とぼけた奴ら」も面白かったです。... 続きをみる

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  • 下北沢 スナック

     昭和50年ごろだったと思います。下北沢のスナックに初めて入りました。場所は小田急線下北沢駅からほど近いどん詰まりの路地の奥から二軒めです。線路と路地が鉄柵だけで区切られていて鉄柵の周りは雑草が鬱蒼と生え放題で荒れ果てたところです。一番奥はロック喫茶でした。  友人Nと居酒屋で少し飲み、店を変えよ... 続きをみる

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  • バルバラ ① Barbara シャンソン

     いきなり”シャンソン”などと言うと大抵引かれます。フレンチならともかくシャンソンを聴く世代は70歳代以上がほとんどでしょう。ぼくが最初聴いたのは小石川図書館で借りたエディット・ピアフとかのレコードだったと思います。もちろんまだLPの時代です。  借りた中で一番グッときたのは1960年代に出された... 続きをみる

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  • ビートルズ 解散前後

     昭和44年、中3のころビートルズの「カムトゥゲザー」と「サムシング」が流行りました。クラスメイトのYクンとSクンと学校の帰り徒歩で赤坂見附駅までいっしょだったのですが、ちょっと遠回りの弁慶濠の辺りを歩いたりしました。Yクンとかぼくが「カムトゥゲザー」をマネして「シュッ~シュッ~」とか言って笑いな... 続きをみる

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  • 池袋 文芸坐 文芸地下

     昭和50年前後、池袋の文芸坐か文芸地下で大島渚の「日本の夜と霧」を見ました。サークルで知り合ったOと見たのです。ネット上には80年つまり昭和55年に再上映とありますが、70年代に見たのは確実です。あのころ何度も上映したのだと思います。  映画の中で渡辺文雄や戸浦六宏、津川雅彦、佐藤慶とかが討論し... 続きをみる

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  • 下北沢 ジャズ喫茶 続々

     昭和48年か49年、Kと一緒に下北沢「シェルブール」で聴いた「リターン・トゥ・フォーエバー」というアルバムは清新な印象を持ちました。  全体的にはボサノバっぽいのですが、もっと感覚的でフローラ・プリムの淡い妖艶なヴォーカルは楽しめます。チック・コリアのフェンダーローズピアノはジャズっぽいのですが... 続きをみる

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  • 渋谷 東急文化会館 東急プラザ

     中学に上がった年、昭和42年の秋ごろ赤坂から世田谷に引っ越しました。銀座線で渋谷まで来たら、井の頭線に乗り換えるのですが、クラスメイトと一緒だと渋谷の本屋に寄ることが多かったです。その時分は東急文化会館の上階にあった三省堂とか東急プラザの紀伊国屋に行くことが多かったです。  銀座線は知っている人... 続きをみる

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  • 天地真理

     天地真理が毎日テレビに出ていたのはいつごろでしょうか、昭和46~48年ごろですか。  昭和46年ごろから下北沢の長田楽器でレコードを見ることが多くなっていました。はす向かいは北野書店です。  長田楽器で吉田拓郎、井上陽水、荒井由実、吉田美奈子などのアルバムをながめてはため息をついていました。全部... 続きをみる

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  • 青い体験

     昭和42年に世田谷に引っ越しました。自宅の裏のアパートに大手芸能プロダクション社長の兄嫁が別居のため住んでいました。うちに遊びに来て酒を飲むと悪酔いします。ぼくはまだ中1で寝室に避難してもベッドの脇に来て「ねえ、一緒に飲もうよ」としつこく声を掛けてきます。ぼくはそっぽを向いて寝たふりしました。 ... 続きをみる

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  • グループサウンズ GS 思い出すこと

     昭和42~43年ごろはグループサウンズ花盛りでした。  「ビートポップス」は大橋巨泉司会の番組で、ゴーゴーガールが踊るバックスクリーンにサイケデリックな紋様の動画が映されます。  スタジオ内は素人の男女が入り乱れ踊り狂っていました。  当時のジャズ喫茶もゴーゴー喫茶も知りませんが、さながらスタジ... 続きをみる

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  • 吉田拓郎のことなど

     昭和46年、高校生のころクラスメイトのNと違うクラスの子と吉田拓郎のコンサートに出かけました。子どものころはコンサートなど行く機会もなく、だいいちコンサートという言葉はクラシックを意味し、フォークなどに「コンサート」を使うのは違和感がありました。コンサートという言い方はやはり昭和40年代以降だっ... 続きをみる

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  • 吉祥寺 ジャズ喫茶

     吉祥寺のジャズ喫茶にはKとよく行きました。昭和50年前後ですが、アウトバック(OUT BACK)とかシモンとか後年のライブハウス、サムタイム(SOMETIME)とかですね。  メグとかファンキー、A&Fはよく覚えていません。A&Fは蕨市のHと行ったことがあるかもしれませんが、記憶が打ち消されてい... 続きをみる

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  • 林間学校 『怪盗黒星』マッカレー

     年代はだいぶさかのぼりますが、昭和39年、4年生で箱根に林間学校に行きました。リュックに『怪盗黒星(ブラックスター)』(マッカレー著:南洋一郎訳:ポプラ社)を入れていきました。自由時間に読むつもりでしたが、往きの電車の中でも本を広げて少し読みました。  現地に着いて晩ご飯まで自由時間があったので... 続きをみる

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  • 下北沢 フォーク喫茶

     下北沢のフォーク・ロック系というんでしょうか、「ぐ」とか「段」とかありましたね。  未だにあれらの店は何だったのかと疑問なんですが、「ぐ」などは始終お香を焚いて店内に一種異様な香りが漂っていました。  たぶんボブ・ディランとかザ・バンドとかまともなものからマニアックなものもかかっていたと思います... 続きをみる

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  • 下北沢 ジャズ喫茶 続

     下北沢にはいろいろな喫茶店がありました。フォーク・ロック系喫茶、ジャズ喫茶、ライブハウス系等など。ロフトができたのはだいぶ後で70年代後半です。    ジャズ喫茶の「マサコ」はスーパー忠実屋(その後ダイエーですか?)の裏の路地にありました。店内は和やかな雰囲気ですがジャズを聴くという暗黙のマナー... 続きをみる

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  • 早稲田通り界隈

     Oと知り合ったサークルは早稲田の町にあったのですが、よく行った喫茶店の名前が思い出せません。  早稲田通り沿いの「オリエント」とか「エトランゼ」みたいな名前だったような気がします。  このあたりの風景は、はっぴいえんどの「風街ろまん」というアルバムの中に「そら色のクレヨン」という曲があるんですが... 続きをみる

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  • 新宿の名曲喫茶

     新宿に「マンションハウス」という喫茶店がありました。  不動産屋みたいな野暮ったい名前ですが、一応名曲喫茶です。  東口の二幸の並びの富士銀行の角を曲がってすぐの、ワシントン靴店のはす向かいに当たる場所にありました。ビルでいうと4階か5階ぐらいありましたか。一応洋館建てで中は薄暗く、でも客でわい... 続きをみる

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  • 下北沢 ジャズ喫茶 (参考音源あり)

     昭和50年前後ですね。下北沢の五番街っていうんでしょうか。(ここは間違いでした。正しくは「一番街」です^^:)  小田急線の駅に隣接したふみきり(手前は金子総本店)を渡って、驚くなかれそのころ高田ケンゾーのショップ(当時はブティックって言ってたかもしれないですが^^)が左側にありました。  向か... 続きをみる

  • 街のオキテ

     年代はだいぶさかのぼりますけど、赤坂台町に引っ越した昭和38年ごろですね、町を取り仕切っているある方がどういう伝手でここに家を建てたのかと言ってきました。あまりくわしくは書けませんがお察しください。祖母はどうしたものかと東京都議会の役員Iさんに相談しました。  Iさんが間に入ってうまく交渉してく... 続きをみる

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  • 名曲喫茶「ライオン」 ②

     「ライオン」には一人でも出かけました。トイレがハンパなくどぶ臭いんですw他所では嗅いだことのない譬え様のない匂いです。男性用トイレの壁は落書きで埋め尽くされていました。相合傘に名前が書いてあるのは定番です。あと時代を感じさせたのは、革〇連だとかセクト名と思われる名称とか〇〇参上とか、現在は消され... 続きをみる

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  • 8マン 再び ②

     赤坂の話題だけではネタが持たなくなって脱線つづきです^^:。ブログタイトルも少し幅を持たせるように変えました。(赤坂については数か月前の記事をお読みいただければ幸いです)  以前8マンの話は書いたと思います。いつごろだったか自分で探すのが面倒なので重複するかもしれませんが、8マン憧れましたね。真... 続きをみる

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  • 名曲喫茶「ライオン」 ①

     渋谷の道玄坂を上って中腹あたりを右に曲がると坂を上る路地があります。さらにちょっと行ったところに名曲喫茶「ライオン」があります。大正の末期か昭和の初めにはもうあったそうですが、戦災で焼けて今の店舗は昭和25年ごろ建てられたそうです。  祖母と父が昭和8年ごろ、道玄坂を少し下って「109」のはす向... 続きをみる

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  • 池袋 文芸地下 「ベニスに死す」

     友人Oとは映画も観に行きました。やはり昭和50年ごろです。  池袋に文芸坐という名画座がありましたが、地下に文芸地下がありました。ここに「ベニスに死す」が掛かったので一緒に観に行きました。ですが、また観たいというのでつき合いで連日通うことになりました。それがいつの間にか60回に達したのです。ぼく... 続きをみる

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  • カップ麺を食べながら夢を語る

     先日書いた友人Oと下北沢「アイリス」、幡ヶ谷「白亜館」とハシゴした後も喋り足りないときがありました。小腹が減ることもあって小田急線「東北沢」駅前の自動販売機を目指します。屋根付きの小屋みたいなプレハブに自販機が並んでいてベンチもありました。(昭和50年前後)  夢を語りながら腹が減ったら100円... 続きをみる

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  • 子持ち芸者

     生前祖母から聞いた話です。昭和28年5月ごろ、といったらだいぶ東京の街も復興し赤坂の花柳界も波に乗ってきたころだと思います。  料亭Nによく出ていた芸者Tさんは子どもを産んだばかりでした。午前中いつも10時ぐらいから踊りの稽古があって行きます。座敷用の足袋をかかえて大家さんのところに寄って、二十... 続きをみる

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  • ナショナル・キッドのことなど

     ナショナル・キッドの探偵役、小嶋一郎のことは記憶にありましたが、巽何某という人は記憶にありません。VHSビデオ化されたころレンタルして見て、ああこういう人もいたんだなという感じです。変なもので、キッドが空を飛んでいる時、ひざが微妙に曲がっているのが子ども心に引っかかっていました。  それと志村妙... 続きをみる

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  • 昭和の喫茶店

     年代は下りますが、昭和50年前後の喫茶店のことを書きます。地域は幡ヶ谷と下北沢です。あくまで普通の喫茶店です。  ジャズ喫茶のことは別に記す機会があるかもしれません。  幡ヶ谷に「白亜館」という喫茶店がありました。  甲州街道沿いのレンガ色のタイル張りのわりとちゃんとしたビルでした。中規模ですが... 続きをみる

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  • デパートの食堂

     昭和40年ごろまで家族でデパートの食堂へ行くと席の確保がたいへんでした。そのころフォーク並びなどありません。少なくともフォーク並びの概念は平成になってからじゃないでしょうか。(もしかしたらデパートによって店員さんが誘導してたかもしれませんが)        漫才のネタにもなった、「ここもう少しで... 続きをみる

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