昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

2014年12月のブログ記事

  • 大物政治家

     赤坂の芸者さんから祖母に相談を持ち掛けられたことがあります。大物政治家Tの妾になるべきか否か。その芸者さんは別の旦那さんの子どもを産んでいました。そこで祖母は諭したそうです。別の人の子どもがいながら妾をやるのは人の道に外れている。別れなさい、と。 その芸者さんはボロボロ涙を流して泣いたそうです。... 続きをみる

  • 脱脂粉乳

     妹は小学1年生の半分ばかり赤坂のH小学校に通いました。後半は世田谷の小学校に転校したわけですが、それが昭和42年です。 給食のことを訊くと赤坂では脱脂粉乳で世田谷では牛乳だったそうです。ちょっと不思議な感覚ですね。同じ年にですよ。確かに昭和42、3年が脱脂粉乳から牛乳に転換した年回りなんでしょう... 続きをみる

  • 永田町~赤坂

     永田町に家があったのは思い出せるだけで、Tクン、Sクン、Mクン、ハッサンがいます。  Tクンの家は国会議事堂が見えるところでした。あの前の通りを行くと少し下り坂になって皇居の周りをマラソンしている内堀通り方面に行き当たります。そこにポツンと家がありました。  Sクンちは家の敷地内の庭がこん森と植... 続きをみる

  • 霞が関の卓球場

     K中学に上がったばかりのころ、霞が関のどこか目立たない場所で卓球を楽しむことがありました。もしかしたら役所の職員さんが日ごろ楽しむ卓球場だったのかもしれません。 当時のメンバーは父親の仕事の関係で霞が関周辺の官舎に住んでいる子が多かったはずです。Tクン、Nクン、Mクンの名前は思い出します。ただ、... 続きをみる

  • 霞が関周辺

     以前、小学校時代の初恋のひとのことを書いたと思います。彼女は校門を出るとぼくと反対方向に歩いて行きました。「国会議事堂前」駅を使っていたのかもしれません。丸の内線を利用していたのでしょう。でもそもそも彼女が生まれた家もずーっと歩いていけば行けます。「霞が関」駅で降りれば行けないこともないですが、... 続きをみる

  • 赤坂丹後町のAさん

     赤坂丹後町にAさんは住んでいました。Aさんは長年政治家の運転手をしていました。娘さんは幼稚園でうちの妹と同級生でした。娘さんは美人さんで赤坂のスーパーの息子さんと結婚したと聞きました。  Aさんはとても健康に気遣う人で、うちに来るとカルシウムの液体は胃にいいとか明日葉が身体にいいとか海外の洗剤も... 続きをみる

  • 浅草の小父さん ③

     浅草の小父さんは「駒形どぜう」の近くで幼少のころ過ごしたと聞きました。ぼくの祖母も昭和3年から7年にかけて近所に住んでいました。炭店を二番目の夫と営んでいました。ですから浅草の小父さんの幼少のころに祖母と道ですれ違っていただろうと思います。 小父さんは昭和20年の3月10日の東京大空襲でご両親を... 続きをみる

  • 浅草の小父さん ②

     浅草の小父さんはまさにゼロ戦に乗っていたのですが、当時はゼロ戦と言わず、零戦(れいせん)と呼ぶのが正式だったそうで、もっと正式には零式戦闘機だったと思います。 小父さんの兄は大正11年生まれで府立一中から海軍兵学校、海軍に入隊、南の海で戦死したのですが、そのころ乗っていたのは二式というものだった... 続きをみる

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  • 浅草の小父さん ①

     浅草をカメラ片手で歩いていたら偶然知り合った小父さんがいました。小父さんは特攻隊の生き残りだそうです。府立三中を出て予科練に入隊したそうです。特攻隊員として飛び立つ2日前に終戦を迎えたということです。 後で判ったことですが、小父さんは2歳誤魔化していました。大正15年生まれなのに大正13年と言っ... 続きをみる

  • 麻布学園の小父さん

     新宿御苑をカメラ片手に散策している時に知らない小父さんに声を掛けられました。ぼくが持っていたカメラに興味があったみたいです。カメラはイコンタです。小父さんは昭和8年生まれということらしいので、カメラが製造されたころの生まれです。 麻布高校出身とのことでした。大学は早稲田でした。中学も麻布だったか... 続きをみる

  • 昭和レトロ写真 ⑥

     ある年は立て続けに3台クラシックカメラを買いました。ライカとレチナとパールです。  バルナックライカエルマー50mmブラックは1930年前後の製造だったと思います。ブラックでした。17~8万円でした。  最初ピントがうまくいかなかったのですが、慣れてきて日本橋人形町の古い店舗などに見られる昔の窓... 続きをみる

  • 昭和レトロ写真 ⑤

     97年、今度はツァイスイコンのコンテッサ35オプトンテッサー45mmF2.8を49000円+2000円(消費税)で買いました。これは確か1950年代のカメラです。ピントの具合が今イチでした。シャッターが下りない時があり、撮るときの不安感がありました。  ただネオパン100で撮った際の画質がたまた... 続きをみる

  • 昭和レトロ写真 ④

     翌年もパールⅠを別の店ですが、デパートの中古カメラ市で買いました。やはりパールⅠの描写は非常に気に入っていました。  戦後の白黒映画でいえば東宝と日活の間をいくような感覚を個人的に持ちました。  このカメラでもT-MAXやアグファパン100、コニカパン100、ネオパン400など試しました。  本... 続きをみる

  • 昭和レトロ写真 ③

     バブルのころに買ったキャノネット、ジュニア判でキャノンレンズ40mmF2.8(昭和36年~)ですが、3500円でした。コニカの白黒フィルム、コニパンと言いましたか?ISO200を装填しまして南青山1丁目~3丁目を撮りました。トーンは豊かでした。  パールⅠは愚かなことにネオパン400やT-MAX... 続きをみる

  • 昭和レトロ写真 ②

     前回書いた、パールⅠを買った年は次々と4台も買っていました。  手帳を読み返して知りました。全然忘れていましたが、1台3万円台~4万円台ですから驚くほどの散財ではありませんが、クラカメへの期待度は高かったということは判ります。  パールⅠヘキサー75mmF4.5(1949年)の写りは質感がありト... 続きをみる

  • 昭和レトロ写真 ①

     みなと図書館で最初に『写された港区 二』を買ってまず魅せられたのは昭和30年代を中心とする写真でした。  多くは『みなと写真散歩』という写真ブックが下地になっています。ほぼ定点カメラのような感じで昭和50年代と比較して掲載されていますが、昭和30年代の写真のほうが断然魅力的です。  どうやったら... 続きをみる

  • 青山 赤坂 イギリス音楽

     青山一丁目の交差点から六本木方面、外苑東通りですか、あそこの赤坂8丁目9丁目のあたりは独特の雰囲気があると思います。  ベンジャミン・ブリテンのヴァイオリン協奏曲が似合います。都会の中のエキゾチックさを感じるのです。  このエリアで夜になると、ブリテン・コネクションというピアノ曲選集があるのです... 続きをみる

  • 青山のピーコック

     話はさかのぼりますが、表町のころ、母に連れられて青山のピーコックまで買物に行きました。  表町の停留所で都電を待って乗るよりも、青山一丁目まで歩いていけば後は外苑前までのんびり歩くだけです。  父が慶応病院に入院していた時も、青山一丁目まで歩いて都電に乗って権田原を通過、信濃町まで通っていました... 続きをみる

  • 港区の街の雰囲気

     港区は独特ののどかさがあると思います。  引っ越しばかりを経験しましたから、その区の特質というのは住んだらもちろん判りますが、区役所に行った時点で何となく雰囲気が違います。  新宿区と渋谷区でも違います。区役所も渋谷区のほうがのんびりしていて開放感があります。住む環境によってもちろん雰囲気も違い... 続きをみる

  • 三田の界隈

     三田綱町のあたりを散歩したことがあります。  日向坂(ひゅうがざか)を上っていく場合、その手前は麻布十番で二の橋を渡ることになります。左側は三田小山町というところです。20年近く前ですが何と路地には豆腐屋さんがポツンとありました。現在はどうなんでしょうか。  坂を上るとオーストラリア大使館があり... 続きをみる

  • 港区のアパート

     表町のCマンションの1階は車が駐車できるスペースがありました。潜っていくと裏庭みたいなところに出ます。都会のオアシスみたいな子どもでも静寂に浸れる空間がありました。そのころから一軒家にない都会的な雰囲気に憧れる因子を植え付けられたような気がします。 昭和30年代の映画の中の高峰秀子や田宮二郎の帰... 続きをみる

  • 小石川 牛込

     昔の少年雑誌には漫画家の先生にお便りを出そう!なんてことがページの端に書いてありました。ファンレターですね。  漫画家の住所まで書いてありました。何となく練馬区とか豊島区が多かったような印象があります。  それと少年雑誌の出版社へハガキを出す場合、小石川局区内とか牛込局区内とか多かった気がします... 続きをみる

  • 麻布 飯倉 狸穴

     麻布と言えば荷風の偏奇館跡地を見に行ったことがあります。母の生前、麻布界隈を散歩し有名人を種に散策しました。 偏奇館の場所はここに書くまで勘違いしていました。飯倉片町を過ぎて外苑東通りの路地を入った麻布狸穴町の鼠坂と植木坂の起点あたりと思い込んでいました。正しくは六本木一丁目なんですね。飯倉片町... 続きをみる

  • 麻布 広尾

     「月光仮面 バラダイ王国の秘宝」テレビ版では月光仮面とサタンの爪たちの乱闘シーンに麻布らしき風景が見られます。麻布と言っても広いですが、当時の本村町あたり、現在の南麻布3丁目でしょうか。閑静な住宅街から路地を通り抜けると空間が広がるところがありまして、当時は駐車場に使われていたかもしれないです。... 続きをみる

  • 「七色仮面」について続々々

     今度は警官に化けた蘭探偵はダコタと北(姉小路)の過去を暴き立てます。戦争中、軍の特務機関に働いていたダコタ、その相棒が北(姉小路)であること、をです。ダコタは南方人で金の延べ棒をごっそり盗みました。  ハートのAは二人のA(エース)に寝返って北を殺させます。北が姉小路と分かって犬丸大三の容疑は晴... 続きをみる

  • 「七色仮面」について 続々

     「七色仮面」に出てくるタクシーはダットサンでワンメーター70円です。細谷の妹と称するハートのA(ハート仮面)はS・G教会に100万円寄付し、尼僧になります。シスター姿になりました。  この間、蘭光太郎は神父に化けてS・G教会を訪ねます。ファーザー・ドグロス=ダコタは蘭探偵の神父をダイヤのエースと... 続きをみる

  • 「七色仮面」について 続

     先日、潮健児さん(大正14年生まれ)が60歳前後で亡くなったと書きましたが、正しくは68歳でした。安藤三男さん(昭和3年生まれ)は没年不明ですが、昭和の終わりか平成の初めのようでやはり60歳前後と思われます。  蘭光太郎役の波島進さんは大正11年生まれで父と同じ、陶隆さんは大正10年生まれです。... 続きをみる