脱脂粉乳
妹は小学1年生の半分ばかり赤坂のH小学校に通いました。後半は世田谷の小学校に転校したわけですが、それが昭和42年です。
給食のことを訊くと赤坂では脱脂粉乳で世田谷では牛乳だったそうです。ちょっと不思議な感覚ですね。同じ年にですよ。確かに昭和42、3年が脱脂粉乳から牛乳に転換した年回りなんでしょうけど、どういうわけでしょう。
そのころの世田谷は住宅街にまだ畑が残っていて自然な風景であったはずです。こじつければ赤坂はアメリカ大使館が近かったりしたからでしょうか。日米安保条約と給食には密接な関係があったとする説もあります。それか単純に脱脂粉乳の管理は難しく牛乳なら遠方でも運びやすい、という事情だったのかもしれません。
栄養的なことはよく判りませんが、現代は白米も給食にあるそうです。昔はパンが給食の主食でした。白米ばかりだとビタミンB1が足りなくなって脚気になりやすい、と。このあたりは軍医だった森鷗外や脚気に悩まされた平将門に訊いてみるほかはありません。