昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

2015年1月のブログ記事

  • 昭和の終わり

     昭和63年の暮れごろは深夜テレビで下血がどうとか字幕放送されていましたね。どうにか昭和64年の正月を迎えてそろそろ元号が変わるかもしれないという予感はあったと思います。  明けて正月の4日にぼくは一人でキャノネットを手にして高橋是清公園に行きました。「青山一丁目」の駅から歩いて行きました。  何... 続きをみる

  • 都市の幻想

     荒井由実の「ひこうき雲」の最後のフレーズ「ひこおーきぐーもー」のところを聴くたびに思い出す歌があります。 西田佐知子の「くれないホテル」です。「だれが名付けた、くれないーホテール」のところです。 どちらも独特の節回しがあって、どこか中東風だったりすると感じるのは僕だけかもしれません。この節回しが... 続きをみる

  • 赤坂表町、台町、コロンビア通り、への郷愁

     母の生前、青山一丁目からカナダ大使館、赤坂8丁目の住宅街、高橋是清公園、表町、台町つまり7丁目エリアを散歩しました。  コロンビア通りを歩いている時、7丁目のYさんとすれ違いました。けれども顔色が悪すぎて(紫色)声をかけそびれてしまいました。    一人で散歩したことも何度かあります。角の農文協... 続きをみる

  • 恵比寿の思い出

     父の浮気相手が押しかけて来ても大丈夫なように、父を恵比寿のアパートに避難させたというか隔離したというか、とにかく住まわせたのはたぶん昭和40年です。 台町の家からタクシーで祖母と母と一緒にアパートを見に行きました。父はまだアパートに帰宅していなかったので中で待っていた記憶があります。2階の部屋か... 続きをみる

  • 「赤坂をどり」⑩

     八悦丸(やえまる)さんと金時さんのインタビューです。  八悦丸「古典らしく、きちんと優雅に、お姫様らしく華やかに踊ります。変わり身、小道具をいろいろ使って扱いとか三人の位置取りに気を遣います。かなり無理な姿勢を取ったりしますから毎日の稽古が引き締まった身体をつくるので一所懸命に稽古をしています。... 続きをみる

  • 「赤坂をどり」⑨

     西川流「扇獅子」常磐津連中 囃子連中   常磐津文字兵衛指導 賀山左衛門指導 西川右近振付 西川鯉之亟指導補  後藤芳世美術 岩渕御行照明  三味線 奈加 孝代 真理子 今代  浄瑠璃 森江 若知代 小晴 三代丸 麻路 桃太郎  笛 禮子  小鼓 君千代 園子 よし子 千こ 松か  大鼓 彰子 ... 続きをみる

  • 「赤坂をどり」⑧

     第四十四回「赤坂をどり」の藤間流「お祭り」の際のみ重子さんと千景さんのインタビューです。  み重子さん「粋な鳶頭は男舞。男の気持ちになるのがたいへんです。後ろ姿まで男の人に見えるようにと言われますが、なかなか難しいです。たくさんつらかったことがあります。踊れないこと、なかなかできなくて情けなく、... 続きをみる

  • 「赤坂をどり」⑦

     「赤坂をどり」もかつてテレビ放映されていた(確かTBS)時期があります。  放映された時に録画していたものから、芸者さんたちのインタビューを再現してみますね。  第四十一回「赤坂をどり」は歌舞伎座で行われました。その中の演目「義経と武蔵坊弁慶」は、ぎん子さんとかんばさんが演じています。  ぎん子... 続きをみる

  • 『夜の赤坂』

     國木田独歩の『夜の赤坂』という短いエッセイを読みました。  独歩は氷川町に住んでいたそうですが、夜ともなると山王のあたりは怖くて歩けなかったそうです。氷川町から赤坂じゅうを散歩していた独歩の言うことですから嘘ではないでしょう。それでもカップルがデートしているところに遭遇することもあったようです。... 続きをみる

  • 日比谷公園の幼稚園

     日比谷公園の中に幼稚園がありました。知らない人がほとんどだと思います。  ネットで検索してもあったことだけ記述はありますが、証拠となる資料というと覚束ないようです。  公園は明治の初めころは陸軍操練所だったそうです。江戸のころは上屋敷もあったようですが、結局公園になったのは明治36年です。  東... 続きをみる

  • 8マン ①

     8マンがテレビ放映された時は固唾を飲んで見ていた記憶があります。  少年マガジンで一通り読んでいましたから、アニメ(動画)でどう表現されるのかファンとしては気が気ではなかったです。  サウンドは感動しました。東探偵から8マン、8マンから東探偵へと変身する時の効果音は今思えば逆回転の音なんだろうと... 続きをみる

  • 遅刻の常習犯

     小学校のころ、後に東急ホテルが建った関東ローム層の坂を朝上っていく時に同級生のYクンを追い抜きホッとすることがたびたびありました。彼は少し足が悪かったようなので歩きがのろく遅刻することが多かったです。ぼくもたびたび遅刻しましたが、Yクンの姿が見えるとちょっと気が楽になりました。 彼も赤坂の円通寺... 続きをみる

  • 澁谷區 大和田町 松濤

     父は尋常小学校5年生の時に祖母に引き取られました。渋谷の大和田町(道玄坂付近)に住むわけですが、どこの小学校に通ったのか全く判りません。父や祖母の生前にそういう話を聞いておけば良かったのですが、聞きそびれてしまいました。ですから推測でしかないのですが、近所の小学校と言えば榮町小学校です。現在の東... 続きをみる

  • 「赤坂をどり」⑥

     藤間流「お祭り」清元連中  言わずと知れしお祭りの 形(なり)もすっかりそこら中 ゆき届かせて こぶもなく ここでは一つあそでは 頭々(かしらかしら)と立てられて 御機嫌じゃのと町内の 家主方も夕日影 風も嬉しく戻り道  ヤア引けや引け引け引くものにとりては 花に霞よ子(ね)の日の小松 初会の盃... 続きをみる

  • 「赤坂をどり」⑤

     藤間流「お祭り」清元連中(つづき)  清元梅吉 指導       藤間友章 作舞  藤間勘太郎 指導補     長倉稠 美術     池田智哉 照明  三味線 京子 ち代 十見松 多美  浄瑠璃 知鶴 卯づき 時奴 碩こ 喜久江  手古舞 千代喜久 夕記枝 さおり 真由美 あきの  頭 紘加  ... 続きをみる

  • 「赤坂をどり」④

     第44回「赤坂をどり 艶姿五月の華やぎ」の演目は、  藤間流「お祭り」清元連中  江戸は日枝山王神社の祭礼。いなせな鳶の頭と、それにからむ二人の芸者のかけひきが見もの。み重子さんが鳶の頭で黒と途中から右だけ赤の袖。ニッカボッカには金銀のご紋。  二人の芸者は一方が青に途中から右だけ赤の振袖。帯は... 続きをみる

  • 「赤坂をどり」③

     つづき  唄  みのり 喜久江 晴三 卯づき 梅多寿 三鶴  三味線  香葉 富司 益代 多美 小巻  笛  禮子 よし子  小鼓  園子 美甫 君千代  大鼓  彰子 加名  太鼓  友加利 (以上敬称略)

  • 「赤坂をどり」②

     次に芸者衆を挙げます。(第41回「赤坂をどり」)  藤間流  松子 由美江 以佐子 八重駒 育子 佐和子 香帆留 松巳 千代喜久   み重子 み紗乃 明佳 千葉奈(ちはな)  西川流  久子 志寿子 ぎん子 その也 留以子 夏世 津喜子 秀千江 玉千代  久実子 八悦丸 華子 誠恵(まさえ) 金... 続きをみる

  • 「赤坂をどり」①

     今年も3月21日(土)と22日(日)に第53回「赤坂をどり」が催されますね。去年一昨年と行きそびれました。最後に見たのはもう5年も前のことでしょうか。赤坂ACTシアターでも見ましたが、紀尾井ホールでも行われたことがあります。  平成になってから「赤坂まつり」はあったんです。祭りの中で移動式の舞台... 続きをみる