昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

8マン 再び ②

 赤坂の話題だけではネタが持たなくなって脱線つづきです^^:。ブログタイトルも少し幅を持たせるように変えました。(赤坂については数か月前の記事をお読みいただければ幸いです)

 以前8マンの話は書いたと思います。いつごろだったか自分で探すのが面倒なので重複するかもしれませんが、8マン憧れましたね。真似て描くんですけどなかなか難しいです。
 小学校のクラスメイトSクンは上手に肖像画を描いていました。Sクンはどこかのプロデューサーになったと聞きました。Kクンもうちに遊びにきて、8マンの構造図を正確に描きあげたものを見せられ内心参ったと思いました。それが小学3年生から4年生のころです。
 Kクンとは旺文社の『中一時代』の座談会にもいっしょに参加しました。昨今(当時)のマンガの評論座談です。謝礼でもらえるはずのボールペン、送られて来なかったですね。
 SクンとKクンの絵の巧さは漫画家になる夢も断念したぐらいです。ただ、そういう自分も大人になってアニメーターの仕事を数日間やったことがあります。
 4年生のころ、8マンの豪華本の読者ページに記事が載り、九州の子と文通しました。ぼくより1学年下の子でしたが、ぼくより大人びたレビューを書いていて、数年間文通しました。
 丸美屋ふりかけをシール目的で買って部屋のすりガラスにベタベタ貼りました。赤坂から引越しするとき惜しい気持ちでした。剥がせばグチャグチャになってしまうしガラス窓を持っていくわけにもいきません。
 数年前に50周年記念の復刻ふりかけを大人買いしてシールを改めて見たとき昔と変わらず懐かしかったです。

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