昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

北陸一人旅

 77年(昭和52年)の夏に北陸へ一人旅に行きました。北陸ミニ周遊券というのがあって、ある期間電車バス乗り降り自由というものでした。その日の気分で石川へ行ったり富山、福井へと勝手気ままな旅です。


 ある夜、石川駅の待合室のベンチでごろ寝していたら女性に声をかけられました。夕方ジャズ喫茶で見かけたというのです。そのジャズ喫茶は冷房の具合はいいしスピーカーも本格的でアイスコーヒーも抜群に美味しかったです。場所は片町か香林坊だったかどちらかです。
 言われれば正面の席に向かい合うように女性が腰かけていた、のは覚えていました。明日いっしょに廻りましょう!という問いかけに快諾しました。だけど今は眠たいのでごめんねと言って眠ってしまいました。


 翌朝女性に起こされて内灘海岸に遊びにいきました。彼女は水着も持参していて着替え、海岸の水辺で遊んでいました。姿が見えなくなったのでちょっと心配になって海岸を眺めていましたら、ひょっこり現れて笑われてしまいました。泊まるところを探すのが面倒なので砂浜にテント(彼女が持ってきた)を張って二人で寝ることにしました。
 彼女は2つ下でした。映画「旅の重さ」を地でいくようなリュック背負って女の一人旅だったのです。しかも主演の高橋洋子と同じおうし座でした。
 ぼくはぼくのリュックからオ〇タ〇〇ンを2錠ぐらい出して彼女に気づかれないように飲みました。そのころハイミナールとか入手しづらかったです。眠いから寝るねと告げて目を瞑りました。昼間知らないオバサンに彼女と結婚するといいよ、なんて助言をされたことを思い出していました。


 翌日は別行動を取ることにしました。ぼくは福井の東尋坊を観に行きました。崖の下をそーっと見てみました。掃除のオバサンが心配そうに、ここは自殺の名所だから気をつけてね、と声を掛けてきました。
 富山の駅は一番清潔感がありました。福井駅はコバエだか蚊が多かったです。福井駅の外壁には電車から見えるように「米は福井」とデカデカと書いてあります。そうなんだなと思いました。


 旅ももう終わりだという日に再び金沢のジャズ喫茶へ行きました。一度目と同じ席に腰かけました。入口付近にこないだの女性らしきひとが腰かけていたのでトイレへ行ってオ〇タ〇〇ン2錠を飲みました。帰ろうとしてレジに向かうとき、彼女が「今夜泊まるところ決まったので」と言って隣りの男性を指差しながら微笑んでいました。ぼくは逃げるようにして店の外に出ました。

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