昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

バンド ②

 昭和54年ごろジャズ誌で再びメンバー募集しました。そのときぼくはエレクトリックベース担当でした。クロスオーバー、ECM、及びフリー・インプロヴィゼーションが好きな人を募集しました。
 連絡があったのはギタリスト埼玉県W市のHYと同じく埼玉県のドラマーHでした。ギターは1歳上でドラムは2歳ぐらい下でした。大宮のスタジオを予約して、その前か後に大宮公園で散歩しました。


 いざスタジオで音を合わせてみると、もう謎です。
 HYのギターはパット・メセニーと同じアイバニーズ(Ibanez)で、フルアコとセミアコの中間ぐらいのボディの厚さを持ちメセニーと同じモデルで当時25万~30万したかなり高価なギターでした。それを全篇半音階で攻めまくってきます。
 ドラマーのHはジャック・ディジョネット風で、ギターやベースのフリーな演奏に対応しやすい雰囲気のフリースタイルドラミングでした。


 ギターはとにかく半音階でスケールを弾くだけで調性もモード感も漂わせません。ベースとしては対応しきれません。こちらもハナから4ビートジャズをやる気はなかったです。だからと言って全員フリーにするとまでは思っていませんので、提案としてベースは「枯葉」のコード進行を刻むのでギターは自由にアドリブやってほしいと告げました。
 で、ベースで「枯葉」の進行を分散和音風に奏でました。すると半音階を自由に奏でていたHYが「これではベースソロ」だと言い出しました。


 彼の提案はジョン・アバークロンビーとデイブ・ホランドの共演アルバム(ECM)の中のホランドのパターンがずっと続く曲をやろうということでした。ベースがシーケンサーのように同じフレーズをくりかえす中、ギターは半音階で気ままに奏でていきます。
 彼の半音階は字余りの俳句のようにどこか間延びしています。ビバップでもなければモードジャズにもジャズ的イディオムにもなっていません。単なる半音階の練習です。


 訊くところによればそのうちいいフレーズが見つかるかもしれない、ということです。いいフレーズがいつ出てくるかわからない状態で同じフレーズをくりかえすのは苦痛でした。
 とにかくベースはフリースタイルではダメだというのです。


 では、ということでぼくもギターを手にしました。下北沢で買ったグレコのテレキャスです。

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