巴里の屋根の下~8ミリ映画
昭和45年の春ごろから冬ぐらいまで仮の住まいで暮らしました。環七沿いのK写真館の建物そのまま借りたのです。写真館ですから洋館じみた外観は昭和初期の小さめのビルヂングです。だいぶ年季が入っていてネズミが出るほどだったのですが、祖母や両親に言われるままぼくも妹も仕方なく住んだのです。
家庭の事情で、仮の住まいから徒歩10分ぐらいの住宅街に新築の家を建ててそこが完成するまで写真館に住まなければなりません。おそらくすでに築30年は経っていたと思います。
「巴里の屋根の下」Sous les toits de Paris(1930仏)
ちがうクラスの子Uと帰り道の方向は同じでしたので、遊びに行っていい?と言われて途中まで行ったところで「今日はやめとくよ」と断ったことがあります。他人に見られたくないほどみじめな仮の住まいでした。
いつまでこの隠れ家の暮らしが続くのかと侘しい気持ちになりました。昼夜を問わず環七の車の騒音が寝室を直撃します。写真館ですからスタジオみたいなところがあってそこにはテーブルを置いて妹と卓球をしたりしました。
洋館仕立ての階段を上るとぼくの寝室がありそこが2階と3階の中間にあたります。道路と反対側にベランダがあるんですが、コの字型に建物がなっていますからベランダから2階の屋根が見えます。もっと向こうに煙突が建っています。部屋の壁も廊下の壁も安っぽいペンキが塗られています。
それがまるで「巴里の屋根の下」の世界みたいでした。見方を変えればパリのアパルトマンに住んでいるような錯覚に陥ります。今でも内側の窓から見えた「巴里の屋根の下」を思い出すことがあります。
ぼくは映画研究部に入部したからという理由で8ミリカメラと映写機を買ってもらいました。フジの「私にも写せます」(扇千景)にズームが付いたタイプです。ちょうどスタジオがあるので写真館の息子にぼくと妹を撮ってもらいました。その映画には一コマずつ絵を描き足してアニメも作りました。それと三島由紀夫の自決事件も11月に起こりましたので、新居に移ってからアニメ仕立てで撮り足しました。