昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

「渡り鳥いつ帰る」

 「渡り鳥いつ帰る」という昭和30年の映画には鳩の街というのが出てきます。まだそこへ行ったことがありません。ただ向島百花園には二度行ったので近いところには行ったと思います。
 荷風のいう向島は料亭街の向島ではなく寺島町の玉ノ井のことを指すと思われます。90年代に東武線に乗って曳舟の次の駅東向島で降りて向島百花園で楽しんだ後駅近くの小学校校庭で催されていた盆踊りを見た時昭和の昔に戻ったようで感動したことを覚えています。
 小学生が懸命に太鼓を叩いている光景は失われたというより元々持ち合わせていなかった地域愛を感じました。自分にはこういう子ども時代の思い出はないと痛感しました。辛うじてあるのは台町の真ん前の空き地で行われた盆踊り大会の櫓で太鼓を叩いたこと、この年には世田谷に引っ越してしまいます。
 鳩の街の店主森繁と娼婦淡路恵子は寺島一丁目というバス停から上野広小路行のバスに飛び乗って駒形どぜうで食事するシーンがあります。昭和30年の映画で昭和27年が舞台ですから、まだ売春防止法が施行されていない時代です。おでん屋の店主夫婦とすれ違います。
 森繁は淡路にフラれ堀切橋から転落、娼婦桂木洋子もお金の行き違いで自殺します。この二人は偶然ではあるものの心中として扱われます。桂木洋子は黛敏郎と結婚した女優です。桂木にしても高峰秀子にしても久慈あさみにしても娼婦役にはあまりに隔てを感じます。
 時代はだいぶ違いますが、昭和の初め祖母も駒形どぜうの裏で炭店を営んでいたことを思い出しました。

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