赤坂は心のふるさと
父が日産関連の新聞社に勤めていた関係で、ロータリーエンジンの模型を持って帰って子どもの自分にとってはおもちゃ代わりにいじくっていました。当時のメーカーは何といったか三菱なのかマツダなのか忘れましたがコスモとかいうものです。(興味のある方はググってくださいw)
透明のプラスティックで出来たロータリーエンジンを分かってか判らずか子どもですから何でもおもちゃにしていじくっていました。
父もぼくも車自体に興味はあっても生涯免許を取ることは無かったです。都心に住んでいるといざという時はタクシーがありますし、里帰りに車を使う機会もありません。
父も文学青年で戦争でも無ければ工業関係は全く畑違いでした。
ぼくも赤坂の商人の子に生まれれば赤坂を離れることはなかったのに、世田谷なんぞに引っ越したのが悔しいばかりです。進学校に進まないで赤坂中学でも日大三高でも赤坂にあればどこでも良かったのにと思っていました。人生はうまくいきません。