昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

「月光仮面」テレビ版 続

 月光仮面の悪役女優に深川きよ美という人がいました。美人ですが毒っ気がある感じで小柄ながら悪党一味をあごで使う貫禄がありました。おそらく昭和一けた生まれだと思います。
 ハンチングの由というチンピラ役の俳優さん(お名前失念)も味がありました。この人は大正生まれだったと思います。サタンの爪の俄か部下ですが、祝探偵が遣わした探偵スパイでもあるのです。「尊き犠牲者」という回はハンチングの由が大活躍します。もしや浅草の芸人さんかと思ったりもしましたが、確か九州出身の関西系のコメディアンだったと思います。
 ハンチングの由は深川きよ美さんらと外車に同乗し、「月光仮面」と言いそうになってあわてて「月給いただけませんか」とか言うのです。昨今あまり月給という言葉は遣わなくなった気がします。
 国電「有楽町」駅周辺でロケをしたりしていますが、同じエキストラの人が何回も出てくるのはご愛嬌です。
 BGMも味があって弦楽アンサンブルにフルアコの電気ギターや管楽器もからみ実に音楽的に真面目な印象を受けます。
 これはテレビ版の話ですが、先日の麻布今井町のお屋敷は映画版でした。さらに映画版には赤坂氷川神社も出てきます。今井町と氷川神社はかなり近所だったりします。

月光仮面 テレビ版

 月光仮面のテレビ版は第一話めには間に合いませんでした。うちは昭和34年の美智子さん婚礼に合わせてテレビを買ったからです。第一話は昭和33年の2月だったと思います。

月光仮面 主題歌



 後年DVDで見ると東京タワーの建築途中が画面に写っています。これは赤坂の薬研坂の上から見えた東京タワーと同じです。ぼくが見たのは肉眼ですが、かなり距離があるのに、ビルなど視界を遮るものが無かったということになります。まだ4歳ですからそんなに背も伸びていません。



 祝十郎探偵事務所は芝白金今里町付近にありました。それはさすがに現役では知らない事実です。後年本などで知ったのですが、制作の宣弘社社長の当時の自宅を撮影に使ったようです。芝と言っても現在はれっきとした港区で白金台ですね。ただ昔の地名だと白金三光町とか白金今里町とかすぐに判りますが、白金台とかでは却って判りにくいと思います。



 目黒通り沿いに「白金台」の駅が近年できたように思います。直角にぶつかる外苑西通りのことをプラチナ通りと呼ぶんでしたっけ?白金三光町に古くから住んでいた人から見れば苦笑ものかもしれません。


 昔の表札には芝白金とか赤坂青山南町とか麻布今井町とか記してあったと思います。今でも時々ポツンとそういうおうちがあったりするとホッとしますね。麻布今井町は月光仮面の悪党サタンの爪に誘拐される科学者のお屋敷があったと思いますが、記憶違いでしたらゴメンなさい。

「透明人間と蝿男」

 大映「透明人間と蝿男」(昭和32年)という映画は第六天町がロケで使われています。


 え?どこ?という人が大半でしょう。
 近年は丸の内線の「茗荷谷」駅と「後楽園」駅の間に小石川検車区(現在は中野検車区小石川分室)があって旧大蔵省第六天町宿舎との間に挟まれた道路になっています。


 昭和32年当時「赤坂見附~御茶ノ水~池袋」に丸の内線を敷くべくすでに工事は整えられていたもようです。
 「茗荷谷」駅は春日通り沿いなので自然と高架みたいな形になるため、その下の道路を通るにはトンネルをくぐらざるを得ません。
 トンネルの真上は小石川検車区(中野検車区小石川分室)です。



 トンネルの下の道路のシーンは二度出てきます。
 道路が東西だとすると南側は切支丹坂、北側は階段になっています。
 階段を上り、ちょっと行くと小石川4丁目交差点ですが、そこは春日通りです。


 階段は庚申坂という名前だそうです。昔この階段を上ってよく小石川図書館に通いました。


 映画でも二度めには刑事が途中まで駆け上ります。そしてまた階段を駆け下りるのです。
 切支丹坂からのアングルもあり撮影陣はよほどここが気に入っていたようです。


 実はぼくも1980年代に自主映画制作のため8ミリカメラでここを撮影しました。単に気に入った場所だったからです。映画でロケに使われていたなどと知らなかった時期です。


 このトンネルを見たい方は「茗荷谷」駅南口から線路づたいに東方面へ歩けば2、3分で行けます。
 あるいは有楽町線の「江戸川橋」駅から神田川沿いに巻石通りを行って、
小日向という交差点を左に、ちょうど小日向交番が角にありますからそこの路地を入ってください。


赤坂の豊川稲荷


 赤坂豊川稲荷の近くの路上に手相見というか易者がいました。何かの用事で通りがかった時、
 「ちょっと見てあげますよ、お金はいらないから」と母は呼び止められました。ドラマでよく見るシーンみたいです。ぼくは覚えていないのですが、母が言うには、妹がお腹にいたということですから昭和34年ごろです。


 その易者は、あなたはあちこち転々とする、というのです。母は、そんなはずはない旦那は学校の先生でもないし警察官でもないんだから、と答えました。


 でも易占いは当たりました。母は死ぬまで引っ越しばかりでした。ざっと数えて8回です。東京に嫁いで転勤も何もないのに都内を8回引っ越しした人は少ないだろうと思います。


 豊川稲荷は大鵬関が来て豆まきをしたように記憶しています。



 昭和40年代も豊川稲荷をデートに利用したことがあります。相手は2歳下のSさんという女性でした。四ツ谷駅で待ち合わせて迎賓館の前を通り前田外科の右側の路地に入って青山通りに出て豊川稲荷で一休みしました。ベンチに腰掛けてお稲荷さんとか団子を食べた記憶があります。
 そこから表町の停留所まで歩いてバスに乗り、渋谷まで乗っていって彼女と別れました。

「妻として女として」

 昭和36年の東宝「妻として女として」という映画は「女が階段を上る時」(昭和35年)と年代が近いです。高峰秀子、森雅之を中心に仲代達也や淡路恵子が絡んでくるところは共通を感じる作品と言っていいかもしれません。
 子役の大沢健三郎や星由里子が当時の中古車の相場を言います。昔は中古のことを「ちゅうぶる」と言いましたね。トヨペットが55万円、プリンススカイラインは45万円、セドリックは55万円、ヒルマンは48万円、ルノーは23万円となっています。
 大沢健三郎が鼻歌を歌う森山加代子の「じんじろげ」。坂本九はてっきり森山加代子と一緒になると思っていたのはぼくだけでしょうか?大沢は団塊の世代でしょうが、高峰秀子の息子役は他にもありましたね。
 バーのマダムが酔ってしまってタクシーを拾い、「青山まで」と言いますがこれは仲代のアパートでした。ちなみに「女が階段を上る時」に出てくる高峰(銀座のバーのマダム)が住むアパートは部屋代3万円とナレーションで語ります。
 高峰秀子(妾、バーのマダム)は淡島千景(本妻)に森(夫)と別れ、銀座の店を手放す条件で300万を要求します。淡島は50万の手切れ金で手を打とうとします。仮に今の価値に換算すると、20倍として6000万の要求に対して1000万出すということになります。それがダメなら大沢と星を返してくれ、と。これは高峰の母親飯田蝶子の悪魔のささやきとも言える助言が元です。