昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

プラッシー カツレツ

 プラッシーはお米屋さんが運んできます。これはほとんど知られていることです。子どもにとってジュースは夢のような飲み物です。

 でも一度バヤリースが届いたときがありました。親戚のひとが来るとかいう数日前です。プラッシーよりだいぶハイカラだと思いました。

 渡辺のジュースの素も一袋ずつオレンジを買っていました。袋から粉が出てきた時点でわくわくしました。
 テレビでグレープ味のCMが流れました。もう夢中で母を説得しました。ぶどうの栄養がいっぱい詰まっているんだよ、とか適当なことを言って説得したのです。
 10袋入りか、うろ覚えですが、ファミリー詰めを買って飲んだときの感激は忘れられません。


渡辺のジュースの素・CM



 近所のY精肉店でメンチ(推定15~20円)を買うことがよくありましたが、たまにカツレツを買います。


 小さいのが30円、中が50円、大は70円です。妹が生まれたかどうかのころは、中カツレツ三枚か大カツレツ二枚、+メンチ二枚を買って家族四人で分け合って食べました。


 コロッケはあまり記憶に残ってないです。うちが倹しかったのか判りませんが、昭和30年代半ばは港区の住宅街でもその程度の物価と暮らしです。

溜池の本屋

 溜池に本屋のYさんがありました。Yさんの息子は幼稚園、小学校、中学と同期です。
 祖母から聞いた話では、店閉まいした後夜更けに店主が出かけていって料理屋さんとか料亭の裏口から入って高齢の常連客に絵を売っていたそうです。

 江戸の浮世絵風のものなのか、幕末明治初期風のものなのかでしょう。それらのものは現代から見れば猥褻図画というより骨董品に近いものだったろうと想像します。


 60年ぐらい前の話なので完全に時効です。

玉子焼き

 母がつくる玉子焼きは甘かったです。甘いのとしょっぱいのどっちにする?と訊かれてだいたい甘いほうを選んでいました。玉子焼きは甘くなければもったいないと思っていました。それでなくても甘いものに飢えていましたから。

 巨人大鵬玉子焼きの時代でしたから。王選手のサイン入りポスターは少年マガジンに応募するともれなくもらえました。大鵬より柏戸が好きでしたね。玉子焼きは甘いほうです。

 もともと卵はそれほど好きじゃなかったです。生卵はあまり食べなかったと思います。大人が食べるものだと思っていました。しょっぱい玉子焼きも大人が食べるものだと思っていました。

 幼稚園の遠足で弁当持参で行ったのですが、玉子焼きが甘じょっぱくてうわっと思ったことがあります。玉子焼きは甘かったのですが、たまたますぐ脇に梅干しがあったので味が移ってしまったのです。


 あの時の玉子焼きの甘じょっぱさは忘れることが出来ません。そのこと以来ちょっと玉子焼きを控えたほどです。

円通寺坂下の塾

 円通寺坂下の通りにMさんという塾がありました。塾と言っても今時の進学塾ではなくて手習いのようなものでした。教科書のおさらいにも届かないレベルのものです。漢字の書き取りテストが100問出て、たいがいの子は悪くて96点取れます。
 放課後の集会所みたいなところです。

 一ツ木通りの甘味処Tの娘Iさんも来ていました。
 一ツ木のYクンがぼくの首に腕を回していきなり絞めつけたこともあります。ぼくがはしゃいでいたからでしょう。理由は判りません。

 永田町のハッサンも来ていました。ハッサンはある時四ツ谷にいい塾があると言い出しました。ハッサンはそちらに移ると言っています。一ツ木のYクンも赤坂田町のTクンもそちらに移ると言うのです。


 結局四ツ谷駅前のKという出版社のビルヂングにある塾に通うことになり、M塾はやめざるを得なくなりました。今思えば子どもは残酷だと思います。Mさんにしてみれば近所の子どもたちに見放されたような気持ちだったでしょう。月謝など300円ぐらいの世界だったと思います。
 四ツ谷のK塾(ちなみに有名な塾とは無関係です)も今の感覚の塾に遠く及びません。

他人の顔 etc

 前に旧草月会館のイメージは黛敏郎が似合うみたいなことを書きました。意外と武満徹じゃないとか。ですけど、昭和30年代~昭和40年代前半のイメージでいえば武満かなぁと思うのです。

 映画「女が階段を上る時」や「卍」は黛敏郎が音楽担当で確かにそのイメージです。ですけど、「他人の顔」なんて武満徹です、完全に。ラストシーンには旧草月会館が出てきます。

The Face of Another (1966) - Hiroshi Teshigahara - 1. Waltz - Tōru Takemitsu




 改めてアマゾンの試聴で武満の「ノヴェンバーステップス」や「弦楽のためのレクイエム」など聴いてみると赤坂見附の立体交差の近代性と対極にある繁華街での和服姿がちらほら見えるような気がしました。


 こういう曲はウォルトンの弦楽曲にも通ずる感覚があると思います。



 「夫が見た 女の小箱」や「千羽鶴」なんかの若尾文子の和服姿はモダンな和を想起させます。最近DVDで見ましたら林光とかが音楽担当でしたが、武満に似てました。