昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

ライカで撮った大阪

 2008年3月、つまり食い倒れ人形が無くなる一か月ほど前に大阪見物しました。そのときライカを持っていきました。ライカはM3が有名ですが、ぼくが持っているのはバルナックライカといって1932年ごろ製造の古いカメラです。そんな古いカメラで写るのかと思われる方も多いでしょう。レンズはエルマーといってすこぶる良く写ります。


 腕がない分良いカメラでカバーしたい気持ちもありますが、古いレンズは新しいレンズでは得難い味があります。2006年にフランス旅行に行く直前にライカを買いました。でもフランスにはライカを持っていきませんでした。


 扱いが面倒でまともに写るまで慣れないと使いこなせなかったので、フランス旅行には間に合いませんでした。
 だんだん慣れていき、日本橋人形町を撮ったときに、老舗の印章屋とか洋服屋さんのウィンドウの昔ながらの硝子窓が昭和初期みたいに仕上がりました。つまりレンズの製造された昭和7年ごろの描写がレンズの中に残っている、とぼくなりに解釈しています。


 大阪では梅田のビジネスホテルに泊まって翌日アメリカ村を見て歩いたり大坂城を見物しました。大坂城の天守閣から大阪の街をライカで撮りました。下に降りると似顔絵師がいたので描いてもらいました。ほんの数分で上手に色紙に描いてもらいましたが、たった500円でした。
 タクシーに乗ってなんば駅まで行く途中運転手さんにそのころ流行っていた宮川大輔の話をしたところ「大助&花子面白いですね」と言うので「そっちじゃなくてピンのほうで若い人がいますよね」「テレビあんまり見ないんですよ」と返ってきたので、意外に大阪でもそんなものかなと思いました。


 なんばのタワレコで意外なお宝CD、フォーレのピアノ五重奏曲を発見したときは驚きと嬉しさが押し寄せました。そのあと道頓堀というかミナミというか「かに道楽」の大きな看板とか食い倒れ人形などを撮りました。


 でも腹が立ったのはしゃがんでフィルム交換しているときに若い観光客カップルの男にデジカメを手渡され撮ってくれと言われたときです。
 バルナックライカはフィルム交換のとき巻き戻しを完全に終えて裏ぶたと底板をカパッとはずします。両手がふさがった状態です。新しいフィルムを装てんする際はフィルムの片側半分をハサミで切って尾っぽを長くしないといけません。そういうややっこしい慎重さを要する作業をしている時にデジカメを手渡されると腹が立ちます。
 カメラをいじっているから大丈夫と思って頼みやすいんでしょう。というかモノを頼む相手の状況をまったく考えてないんですね。離れたところで二人でつっ立って待ってるのですから。


 人気のお好み焼きの屋台は行列が長かったので諦め、ビル内の店舗でたこ焼きとお好み焼きのセットを食べました。みやげ物屋でトランプを買ってミナミのビジネスホテルに泊まり、翌日ホテルのレンタサイクルで新世界の通天閣まで行きました。途中の日本橋電気街にあるうどんのチェーン店のスタンドで食べたうどんとお出汁は美味かったです。


 新世界はライカで撮りまくりました。大きなちょうちんとか派手な看板がたくさんありました。肩車しているカップルや酔っ払いのオッサンとか以前今田や河本がテレビで言っていた通りでした。旅回り一座の芝居小屋もありましたし、通天閣の上では歌謡ショーも催されているみたいでした。通天閣の上には上りませんでした。


 出来上がった写真は我ながら上出来でした。モノクロとカラーの両方ですが、どちらもピントびったし露出バッチリです。なかなか際立った描写力でさすがライカと思いました。
 そのネガなり写真をスキャンしてここにアップする知識も技術も無いので、残念ながらお見せできません。
 今度ラボにネガのデータをCDにしてもらえたら、そういう機会があったらアップできるかもしれません。

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