パン屋さんとかお店が並んでいたのは表町からの路地の向かいです。
そこが丹後町なわけで、魚屋Gは台町方面のつまり薬研坂の谷から上りが始まるあたりにありました。
魚屋さんに行く途中つまり薬研坂のふもとに俳優の藤巻潤の家がありました。「ザ・ガードマン」などで有名な人ですね。
その隣には帰国子女の家があってその子に突き飛ばされた思い出があります。
丹後町のI(同級生の女子)さんが遊びに来ていて僕と3人で保安官のバッヂが五角形なのか六角形なのかでモメたのです。
昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。
パン屋さんとかお店が並んでいたのは表町からの路地の向かいです。
そこが丹後町なわけで、魚屋Gは台町方面のつまり薬研坂の谷から上りが始まるあたりにありました。
魚屋さんに行く途中つまり薬研坂のふもとに俳優の藤巻潤の家がありました。「ザ・ガードマン」などで有名な人ですね。
その隣には帰国子女の家があってその子に突き飛ばされた思い出があります。
丹後町のI(同級生の女子)さんが遊びに来ていて僕と3人で保安官のバッヂが五角形なのか六角形なのかでモメたのです。
表町の路地を薬研坂のほうへ抜けますと、パン屋K(チェーン店ではないほう)、八百屋、たばこ屋がありました。
パン屋Kではチョココロネ、クリームパンなど10円で売っていました。あましょくは5円です。
薬研坂の中腹に魚屋Gがありました。ここは後年喫茶店になりました。
丁の字の角にたばこ屋があって、ここでは駄菓子も売っていました。
角を曲がって一ツ木方面に行きますとY酒店、キムラヤパン屋、ここでは食パンをその場で切ってもらい買っていました。一斤30~40円でした。
これらのお店屋さんは丹後町という住居表示になります。
東京の赤坂の思い出を書こうと思います。昭和30年代が中心です。
ぼくは赤坂表町の生まれです。のちに赤坂7丁目になりました。草月会館が建っているあたりです。
現在の草月会館は昭和53年に建てられました。
その前に昭和31年ごろ旧草月会館が建てられてぼくも建立パーティーに招かれました。2歳だったので、ほとんど記憶はないのですが、オレンジジュースかなんかを飲んでいたと思います。
ひょっとしたら岡本太郎も同席していたかも。
うちの建物は昭和38年ごろ築地の料亭Nさんに売却していました。Nさんはうちの2階に住んだことがあります。
Nさんは昭和53年までに草月に売却したようです。
うちの建物の資材が山中湖の「草月山荘」に活かされているそうですが、見学は断られました。
もちろんうちの敷地だけで草月会館新館が建てられたわけではありません。お隣の弁護士Yさん宅と並びの豊川旅館を買収したのです。