昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

表町の家の2階 続々

 あとお妾さんでも二号さんでもない、洋装学校の講師が住んでいました。Tという女です。昭和5年の生まれでした。これが曲者で、後々父親の浮気相手になります。

 うちは昭和38年ごろ表町から台町に引っ越しますが、台町のころにTと父親は虎の門のバス停で出会います。そのころTがどこに住んでいたか判りませんが、洋装学校が虎の門にあったのでしょう。

 二人はばったり二度バス停で出会います。お茶でも飲みませんかと誘ったのはTのほうだと思います。父は女にモテましたが、自身からモーションをかけることはしません。それからつきあいが始まったようです。

 Tの実家は札の辻の九軒長屋の九軒めでした。第一京浜から桜田通りに曲がるところに10年ぐらい前やっと横断歩道ができて便利になりました。あそこは事故が起きやすいそうですね。

赤坂表町の家の2階 続

 その他住んでいた人は、やはりお妾さんのYさん。母よりちょっと年上でぼくがお腹の中にいる時から2階に住んでいました。母と仲良しで炬燵に二人であたったスナップ写真があります。本名はSさんですが、ダンナの苗字Yで呼んでいました。ぼくは日本語の発音ができなくてタダちゃんと呼んでいました。タダちゃんとはお風呂もいっしょに入ったことがあります。浅黒くなめらかな肌でした。昭和50年ごろ世田谷のうちの家に訪ねてきたことがありました。そのころタダちゃんは50ぐらいになっていて、大森あたりのとんかつ店で働いているとのことでしたが、ぼくは何となく顔を合わせませんでした。

 あと名前は忘れましたが、やはりお妾さんと思われる、娘さん共々同居している人がいました。ぼくが産まれてすぐ産湯に浸かっている時その娘さんは小学生ぐらいですから、団塊の世代ぐらいでしょうか。その人の部屋に赤ん坊のぼくが遊びにいくと玉子焼きを御馳走になります。

 赤坂の芸者さんも住んでいました。両親と三人の記念写真があります。両親より年上で、ベテランの域にあった感じの上品な人です。

 築地の料亭のNさんも住んでいました。この人は後年うちの家を買いました。

赤坂表町の家の2階

 表町の家の2階は貸していました。住んでいた人はほとんど訳ありの人たちで、二号さんとかお妾さんが多かったです。

 お酒メーカーNの重役Tさんは子爵だか男爵のNさんのお嬢さんを囲っていました。だいぶ若い女性のように見受けました。

 地下鉄総裁はYさんという妙齢の女性を住まわせていました。Yさんは時々赤坂のからす亭から出前を頼んでいました。地下鉄総裁は相当な年配の人に見えました。総裁が2階に上がっていく時、ハイハイしかできない赤ん坊のぼくは中階段を見上げ、今ダンナが上がっていったよと祖母と母に報告します。声を出さず親指を立ててダンナ!の合図を送ります。

青山一丁目~権田原~慶応病院

 ぼくが3才ぐらいのころ父が自然気胸で倒れたことがありました。

 バスに乗って一番前の運転手さんのすぐ後ろに立っていたそうなんですが、バスの前を急にリアカーが通ったそうです。バスが急ブレーキをかけたので、父はしこたま胸を打ったんです。


 救急車で慶応病院に運ばれ今夜が山まで言われたのです。抗生物質を注入され命に別状は無かったのですが、個室の差額ベッドに入院しました。


 ぼくは母に手を引かれ青山一丁目の停留所まで歩き都電に乗りました。途中権田原を通り信濃町の慶応病院まで行きました。

 旧館の2階の奥から2番目の部屋と覚えていましたから、母の手を振り払って父の寝ている部屋に入りました。お付きの人は年配のHさんというオバサンでした。


 個室にはみかんが山と積まれていました。のどが渇いていたので「このみかんどうしよう」と遠回しに訊いたものです。


 前の年か前々年ぐらいに草月会館が建つのに、水道管をうちの庭の下を通させてくれと持ち掛けられていました。うちは当時の50万円の言い値で取引していました。

高橋是清公園に逃亡

 明日から幼稚園に通うという晩になって急に母親から「もう、おねしょしちゃダメよ」と言われました。
 それまで全然しつけが為されていないのに急にです。


 明朝おねしょしました。
 母親は裁断に使う黒くて大きな太刀ばさみを持ち出し、
「おちんちんを切ってやる」と言い出しました。


 これは大変だと思って縁側を伝って玄関の脇から門の外に裸足で逃げ出しました。


 夢中で走って、気づけば高橋是清公園に逃げこんでいました。公園の奥のほうはちょっとした林です。そこにじっとして母親に見つからないように、陽が傾くまで隠れていました。



 もう一生家には帰れないんだな、と思いました。



 でもちょっと家の様子を見に行こうと思って、夕方でしたが、公園の奥の階段を下りて路地に出て、ドイツ文化会館の道を魚屋Gの方へ小走りに行きました。


 薬研坂に出ました。八百屋やパン屋を横目で見ながら、そーっと表町の路地を覗いてみました。誰も歩いていません。


 印刷屋のKさん、Yさん、Sさん、Y子ちゃんの家の前を通って草月のアトリエやIさんちの路地のところを無事に通りました。もうすぐ我が家。


 家に着きましたが、玄関からは入れません。裏木戸をそーっと開けて家の中に入りました。