昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

「稲妻」高峰秀子

 映画「稲妻」成瀬己喜男監督(昭和27年)は地味ながら何度見ても面白い映画です。 
 日本映画と記録はありますが、一応大映映画とタイトルの前に出ます。

 浦辺粂子が母親役ですが、なかなか味があります。行き当たりばったりでずるずるべったりな母親です。
 長兄と三人姉妹が父親が違うという特異な設定ですが、四人とも事情が違っていてお互い噛み合いません。

 何度見ても高峰秀子ばかり気になって兄妹の関係が今イチつかめないのですが、三浦光子と高峰秀子は気が合うようです。映画では三浦光子の夫は病死します。


 適齢期を迎えた高峰秀子ですが、結婚に疑問を持っていてなかなか踏み切れません。



 高峰秀子と浦辺粂子の会話がいいです。
「おかあちゃんは結婚して幸福(こうふく)だったことある?」
「幸福だなんて、そんなハイカラなこと」
とか笑っちゃいます。
「もう今年25だろ、男1人に女23人だっていうじゃないか」


 大正生まれの男性は戦死した人が多いので、戦後は人口の比率が合わず女性は幾分焦り気味でした。うちの母は男1人に女トラック1台分という表現をしていました。


 現実の高峰秀子は昭和30年結婚ですから当時31歳。映画撮影時も25ではなく28ぐらいです。


 浦辺粂子はセリフの中で来年60と言っています。(老い先長くないというニュアンス)浦辺はうちの祖母と同じ歳ですから撮影時の実際の年齢はまだ50ぐらいです。



 高峰秀子は兄妹の問題や親の愚痴から逃れるために世田谷に部屋を借ります。隣りに間借りしている兄妹は根上淳と香川京子なんですが、仲の良いさわやかな兄妹です。


 高峰が二階の部屋から外を見ますがそのシーンはセットです。部屋から見える風景は張りぼての写真なのですが、うちが世田谷に住んだときの外の風景とそっくりです。うちは往年のスターのSSの持ち物でしたが、息子のSHが幼かったころお腹が減って泣いていたので、隣りのM藤さんに蒸かした芋をもらって食べていました。うちの二階から見たM藤さんちの屋根とほとんど同じものが映画で見られます。
 もしかしたらSSの家はすでに空き家で(現にSSは隣町に住居を移していたと思います)二階から見える根上淳と香川京子の下宿の洗濯ものが干された庭とか屋根のスチール写真を、空き家を借りて撮影したのではないかと勝手に想像しています。


 村田知栄子と小沢栄(太郎)の悪い感じが面白いです。中北千枝子も巧い。
 植村謙二郎や丸山修は戦争で死にはぐった男の敗北感をよく演じています。
 植村と丸山(どっちがどっちかハッキリしませんが)は日活の「洲崎パラダイス・赤信号」(昭和31年)や大映の「赤線地帯」(昭和31年)でもダメな男役で出ていたと思います。

リキュール スピリッツ お酒 カクテル

 元来アルコールには弱いので、深酒はしないのですが、入れ物つまり瓶の柄やデザインがオシャレだったりかっこいいので集めてみたくなりました。味や酔い心地もついでに記憶に留めておきました。


 想像したとおりイタリアとかフランスはオシャレでした。オランダとかスウェーデンはすっきりしていてかっこいいです。


 赤、青、茶、緑など色を揃えたほうが楽しいので、見た目でほとんど選びました。白もあったほうがジュースで何色にも染まるので白も欠かせません。


 アブソルート・ウォッカ(ABSOLUT VODKA) 40%スウェーデン
 この瓶はすっきりしていてロゴも簡素です。冷蔵庫でも邪魔にならない。


 ルジェ・クレーム・ド・カシス(LEJAY-CASSIS Creme de Cassis de Dijun)20%
 ブルゴーニュ産のカシスリキュールです。バーやレストランで飲めます。シャンパンで割るとキールロワイヤルになります。瓶の格好は貴婦人を思わせます。デザインは濃いめのオシャレさで好き嫌いが分かれると思います。お酒自体はグレープ色です。



 カンパリ(CAMPARI)25%イタリア
 ハーブリキュール、ミラノ産でレストランのアペリティーヴォなどに使われます。ソーダやオレンジジュースで割ります。瓶はオシャレです。スーパーでも売っていると思います。香りはけっこういいですが、酔い心地は今イチでした。




 デカイパーブルーキュラソー(DE KUYPER BLUE CURACAO)24%オランダ
 真っ青なお酒です。300年の歴史があって、香りは柑橘系です。色が強いので割るのが難しいです。瓶はデザインが60年代のモダンさを思わせます。キュラソーのソーはフランス語で使われるCとSが縦に重なっている文字です。


 ウィルキンソン・ウォッカ(WILKINSON VODKA)50%ニッカ
 オレンジジュースで割ればスクリュードライバーになりますが、グレープフルーツで割ってもおいしいです。瓶のデザインは地味です。




 チンザノ・ベルモット・エクストラ・ドライ(CINZANO EXTRA DRY)18%イタリア
 甘味果実酒、透明辛口、1757年トリノが発祥で白ワインをベースにハーブ、スパイスを加えろ過工程に時間をかけています。香りは風邪薬のシロップのような感じ。
 瓶は淡い緑色でラムネの瓶みたいな味のある色です。

 チンザノ・オランチョ(CINZANO ORANCIO)14%
 カラメルで色づけした甘口。オレンジフレーバー。エクストラドライとの違いははっきり判りませんでした。瓶は透明でした。

 フィンランディア ウォッカ(FINLANDIA VODKA)40%フィンランド
 瓶のデザインはスッキリしています。ただ高さがありますから冷蔵庫に収めるのが大変でした。小型冷蔵庫なので中の棚を差し替えて納めました。


 菊ノ露(泡盛)

 久米仙緑

 久米仙黄


 久米仙(琉球泡盛)25%,30% 米麹(タイ産米)から作られています。
 最初に友人に薦められたのは菊之露という銘柄ですが、スーパーでも買えるのは久米仙なので久米仙を選びました。思ったより臭みは全くなくむしろ香りがいいです。






 中国酒は最初友人からもらったものを試しに飲んでみました。蒸留酒の白酒です。銘柄は覚えていませんが、紅星二鍋頭酒というのが瓶のデザインにイメージが近いです。これは中国東北地方の紅コーリャンを原料に二度蒸留させたことからこう名づけられました。コーリャンは漢字で書くと高簗です。56度なのでもちろん割って飲みましたが、酔い心地は意外といいです。
 いわゆる紹興酒とか老酒と違います。紹興酒は醸造酒で料理にも使います。




 眞澄
 日本酒は眞澄というのがコンビニで買って一番旨かったです。スーパーで買った上喜元というのもけっこう美味しかった。




今は紙パックの菊正宗を利用しています。


 結論的にはデザインはあまり関係なく日本酒の酔い心地が一番いいです。整腸作用もあります。デザインと酔い心地の両方ではチンザノが良かったです。

京都へ逃避行

 東日本大震災のとき、京都に避難しました。
 3月11日はいつものようにリビングで過ごしましたが12日に急に不安になってタクシーで東京駅まで行って新幹線に乗り込んでいました。


 売店に弁当も残っていなくて車内販売もお菓子しかなく名古屋を過ぎたころもお菓子をかじっていました。
 隣りの席の子持ちの若い母親が食べ残しの食パンを差し出して「食べますか?」と訊いてきましたが、さすがに断りました。


 なんとなく京都で降りました。駅ビルは新しくなっていました。夜でしたのでビジネスホテルに泊まりました。ホテルの近所のコンビニで晩飯用におにぎりを買いました。


 朝食はバイキング方式でしたが、BGMにブラームスかメンデルスゾーンあたりの弦楽四重奏曲が流れていて心地よかったです。後日問い合わせたほど良かった。


 とりあえず駅前に戻って暑かったのでダウンジャケットを脱ぎ捨てて駅前のユニクロで軽めのジャケットを買って着替えました。

 駅前のベローチェで今後のプランを練りました。そこは便利なので4、5回利用しました。


 レンタサイクルで自転車を借りて嵐山を目指しました。その前に四条河原の交差点も寄ったのですが、外人がスタバで半ズボンでゲラゲラ談笑していました。
 狭い島国なのに、一方は東日本大震災の大混乱、京都では外人が観光気分、この落差は驚きました。
 四条河原から左折した繁華街は自転車通行不可ですから押して歩きました。


 繁華街を抜けて嵐山線(路面電車)に沿って嵐山への道を行きました。嵐山線「出町柳」駅前のクラシック喫茶「柳月堂」(1階はパン屋)に2007年に寄りましたが、その時は開店時刻前だったのであきらめていました。2008年に寄って堪能しました。店内に小ホールみたいな空間があって時々室内楽コンサートが催されるようです。


 東日本大震災の時は寄らなかったと思います。


 嵐山付近に駐輪場があってそこに停めました。歩いて渡月橋や嵐山の竹林を見物して帰ってきました。
 途中100均の店に寄って折りたたみ傘を2本買いました。


 その日松竹撮影所の太秦も見物したと思います。想像より小さかったです。



 翌日奈良に行きました。前年も奈良に行きましたが、阿修羅像は見ていなかったので駅前のレンタサイクルで自転車を借りて興福寺まで行き、阿修羅像を見ました。
 上野の博物館に来ているときは見られなかったのでやっと見れたと思いました。奈良のインターネットカフェで暇をつぶし、みやげ物店で小指の先ほどの小さい仏像を買いました。



 後年友だちに話したら、東京を捨てて京都に避難するなんてもってのほかみたいに言われましたが、12日から15日は東京や神奈川あたりに放射線は流れていたとする情報もありました。


 衝動的に新幹線に飛び乗った自分に罪の意識もありますが、しがらみのない自分が取る手段としてやむに已まれない不安が為した愚行であったと言い訳しています。

若尾文子 岸田今日子

 若尾文子と岸田今日子の共演の中でも「卍」と「女の小箱より 夫が見た」が特に好きです。
 どちらも昭和39年公開で「夫が見た」のほうは2月15日、「卍」は7月25日です。


 昭和39年というと東京オリンピックの年でした。担任のF先生の引率で歩いて観に行った覚えがあります。でも白黒テレビで見た印象のほうが強いです。

 「第四のコース、ショランダーくん」の競泳のアナウンスがなぜか記憶に残っています。くん付けですよwアメリカの水泳選手だと思いますが違っていたらごめんなさい。



 「卍」は最初どこで見たのか忘れましたが、たぶん深夜テレビで放映されたのだと思います。バブルのころです。


 1999年か2000年に渋谷のユーロスペースで増村保造作品上映週間があって「卍」「痴人の愛」「偽大学生」など数本見ました。「卍」はとにかく面白い映画です。


 岸田今日子の京都弁のセリフが冴えています。
 「あんたの裸のかっこ見せてほしい」と若尾に懇願します。「ホントの裸になってへんやないの」「憎いわ、あんた、こんなキレイな体しててんな」「あたしキレイなもん見てると終いに涙出てくるねん」


 これは谷崎潤一郎の原作もほぼ同じセリフですので確認してみてください。


 船越英二は一見大根に見えますが、この映画を見ると相手(岸田)をフォローする演技が卓越していて感心しました。


 そして船越も若尾観音教の信者になり三人心中することになります。
 若尾が「死のぅッ!!」と言うと岸田と船越が同時にうなずきます。ストーリーは悲劇なんですが、その場面はユーロスペース場内が笑いに包まれました。


 「女の小箱より 夫が見た」は若尾と岸田が恋愛の仇同士になります。
 田宮二郎をめぐって命がけで女の意地を見せます。田宮二郎も命がけで若尾を守ろうとします。


 川崎敬三はいつもの甘々のキャラと違って面白いです。
 「そうすると山本さん、A地点からC地点まで行く間のB地点で犯人はタバコを買っていたんですね」
 「そーなんです」
 懐かしいですね。テレ朝がやらせ取材をしなければあの番組ももう少し続いていただろうにと思います。


 まあ、大映作品は若尾文子、船越英二、市川雷蔵、川崎敬三、川口浩、山本富士子、田宮二郎、叶順子など増村作品を筆頭にどれも面白いです。


 「千羽鶴」なんかも平幹二郎と京マチ子と若尾文子がからんでかなり面白いです。

立ち食いそば かつや やよい軒 他

 元来貧乏性なので定食屋さんは月に二三度がいいほうで、多くは立ち食いそば店を利用しました。


 「富士そば」「小諸そば」「ゆで太郎」が主ですが、駅そばとか無名の立ち食いも利用しました。


 浅草の地下街は饐えた匂いの昭和の地下道がありました。現在はどうなんでしょう。そこに「文殊」という名店がありました。天ぷらが旨かったです。


 浅草から自転車で御徒町に戻ってくる途中の春日通り交差点の角に立ち食いがありましたが、営業時間が限られていたのでとうとう入店は果たせませんでした。ここも天ぷらが評判でした。


 御徒町の「多慶屋」の帰りなど上野広小路近くに「富士そば」が二軒ありましたが、どちらも普通の「富士そば」でした。ジーパン屋の並びの「かつや」はジーパンの裾上げの時間を利用しました。


 御徒町の「スタバ」には二度見するほどの美人ウェイトレスがいましたが、6年も前のことですからもういないでしょう。


 春日通りの湯島天神下交差点の角の立ち食いもけっこういい店でした。ドンキのはす向かいというかのぼりが目立つ店です。


 「かつや」を初めて利用したのは浅草六区にある店舗です。浅草は「花やしき」近くのスタンドラーメンも食べたことがあります。200円代でした。


 あと縁台の飲み屋街のはずれに「山田うどん」があり二三度利用しました。ここは貴重な店で焼き魚定食などもありました。


 田原町の国際通りには昔ながらの立ち食いがありました。


 「多慶屋」の通り、昭和通りですか、秋葉原方面に揚げたての天ぷらが食べられる人気の立ち食いがありましたが、名前は忘れました。
 通りの反対側の道に「ゆで太郎」(上野5丁目)がありましたが、ここはフランチャイズという感じではなく寡黙な店主の地味な店でした。


 秋葉原は「小諸そば」が何軒かあります。末広町方面の店舗はリニューアルしてから味がアップしました。ガード近くの「かつや」はいつも混雑していて落ち着かないです。


 秋葉原駅前は昭和通り側に「箱根そば」があり案外重宝しました。ヨドバシカメラの行き帰りに利用しました。
 昭和通り向かいの「富士そば」は普通です。隣りのラーメン店も便利でした。
 
 昔風に言えば須田町都電10番線終点近く神田小川町は秋葉原から神保町への途中にありますが、老舗蕎麦屋の「まつや」の向かいに「ゆで太郎」があります。ここは広くていいです。
 並びの「ルノアール」の行き帰りに利用しました。

 駿河台下神田橋方面の「ゆで太郎」は味は良かったのですが、コップにカスが残ったままでした。
 三省堂の向かいの「小諸そば」は便利さがありました。すずらん通りの「小諸そば」も便利さだけです。キッチン南海は入ったことがありません。
 靖国通り向かいの「富士そば」はあまりおいしくなかった。


 白山通り水道橋方面の「小諸そば」は混んでいて好きではありません。
 神保町角のたばこ屋の隣りの路地奥に名もない立ち食いがあり昔何度か入りました。電機屋並びの梅もとはまずいです。
 白山通りの「やよい軒」は閉店したと思います。


 神保町の「上島珈琲」は学生が多く落ち着けません。
 神楽坂の「上島珈琲」は開店当初一階のみで、ジャズLPのジャケットを壁に掛けてスピーカーの音もかなり本格的でした。コーヒーは濃すぎるぐらいでしたが何度も利用しました。数年前ビルの改築に伴い二階フロアも出来、平凡な「上島珈琲」に成り下がりました。


 水道橋駅前の「富士そば」「ゆで太郎」はどちらも今イチです。
 九段下の「小諸そば」は混んでいることが多かったです。
 飯田橋の「小諸そば」「富士そば」は今イチです。


 浅草橋駅前の宝くじを買った時はゲン担ぎに向かいの「かつや」でカツ丼を食べました。腹ごなしに並びの「ベローチェ」で暇つぶしし、「かつや」に寄らなかった時は江戸通りの蔵前方面を歩いて「やよい軒」で魚の定食を食べました。そのまま大江戸線の「蔵前」まで歩きます。


 スカイツリーのふもとまで自転車で行き、錦糸町の「やよい軒」に寄らなかった時は浅草橋まで戻ってきて「日高屋」で半チャンラーメンを食べたりしました。


 飯田橋の「なか卯」はしょっぱいので「日高屋」をよく使いましたがここも良店とは言い難い。


 神楽坂の「大戸屋」はレゲエを流していましたが案の定つぶれました。

 市ヶ谷の外堀通り沿いの「富士そば」は一時旨くなった時があります。
 市ヶ谷の靖国神社方面の「ゆで太郎」はけっこう便利でした。
 六番町の「ゆで太郎」は味が良かったです。


 四ツ谷駅前交差点近くの新宿通り沿いの「箱根そば」はインド系の人が店員でした。
 赤坂の「箱根そば」もインド系でした。


 四谷三丁目交差点近くの「松屋」の牛めしは肉質がいいです。
 肉質がいいのは青山一丁目交差点近くの「吉野家」の牛丼もそうです。
 赤坂見附駅前の「富士そば」は便利だし感じがいいです。
 
 「小諸そば」を初めて旨いと思ったのは京橋駅から歩いて八重洲ブックセンターの途中にあった店舗です。かき揚げが何て旨いんだろうと思った記憶があります。


 渋谷は今「奥渋」と呼ばれる神山町に住んだころ、それこそ裏通りにある「富士そば」をよく利用しました。ここはカレーやラーメンもよく注文しました。


 本店通りの「富士そば」は狭すぎます。
 宮下公園方面の「富士そば」は便利です。
 宮益坂途中の「ゆで太郎」は狭いですし地下に降りるのも曲芸並みに危なっかしい。
 はす向かいの「かつや」は同チェーン店中最もまずいです。


 渋谷は昔、井の頭線の下に駅そばがありました。そこのラーメンがすこぶる美味かったです。
 井の頭線からJRの内回り、東横線にのりかえる時に幅の広い階段を上りますが、階段の脇に駅そばがありました。そこはまずかったです。今はリニューアルして「しぶそば」になっているようです。


 六本木交差点角の「富士そば」は深夜よく入りました。震災前の青山ブックセンターが朝まで営業していた時代や六本木ヒルズ近くのTSUTAYA書店フロアの帰りなどに寄りました。
 後年ミッドタウン側に「小諸そば」ができましたが狭かったです。


 五反田の有楽街近くの「小諸そば」は昼食時混みすぎです。
 「ベローチェ」も混み合います。
 「大戸屋」は広いのですが、ジャズのBGMが大きすぎて閉口しました。
 駅反対側の駅そばは親子で営んでいる感じでしたが旨いとは言えない。


 五反田も大崎広小路の交差点を曲がった先に「ゆで太郎」がありますが、ここは都内でもベストです。電車に乗ってわざわざ行ったこともあります。


 西葛西の「やよい軒」は「イオン(ダイエー)」の帰りに寄りました。
 錦糸町の「やよい軒」も駅前のダイソーの帰りに利用しました。


 新宿は明治通り沿いに「富士そば」が二軒あります。交差点角のほうは広くゆったりしています。


 タワレコ新宿店の帰りは映画館近くの立ち食いを利用しました。狭いです。
 「松屋」の牛めしは意外と良かったです。
 西口ヨドバシカメラの先の「富士そば」はわりと良かった記憶があります。


 池袋は東急ハンズ方面の「富士そば」とか仕方なく利用しました。
 ジュンク堂並びの「吉野家」も入りました。


 赤羽は「イトーヨーカドー」目当てで行きましたが、
 「かつや」でカツ丼を食べるのも楽しみでした。大昔そば屋の出前で頼んだカツ丼の味わいです。


 赤羽はにわかに人気が上がっているようですが、けっこう面白い街です。
 「かつや」のはす向かいに昭和っぽい喫茶店があります。最近内装が新しくなったようです。ヨーカドーや書店の帰りに足を休ませました。


 赤羽西友方面アーケード内のドトールはオバちゃんが店内で30分も立ち話しているくつろいだ風情です。


 珍しいところでは銀座の昭和通り方面に立ち食いがあったと思います。「吉そば」だと思います。一度食べました。
 赤坂TBS向かいの「吉そば」も二度入りました。
 明治通り沿いの北参道の北の店も三四回入りました。
 八重洲の「吉そば」は今イチでした。八重洲通り近くの十割そばの立ち食いがあり試してみましたが好みではありませんでした。


 「富士そば」で一番旨かったのはバブル期下北沢南口にあった店です。ただゆで時間が5分とずいぶん待たされました。


 もっと昔70年代は下北沢の駅そばを数えきれないほど利用しました。当時はゆでめんを使い、まずいのを承知で食べていました。かき揚げそばも200円台で食べられました。


 浜松町の大門側の「小諸そば」は普通でした。大門近くの「ゆで太郎」はけっこう良かったと思います。
 新橋と虎ノ門の間に「小諸そば」が二軒あったと思います。まあまあです。


 まずいのは品川駅構内の立ち食いです。
 あと新宿西口地下街の立ち食い梅〇〇。水曜日卵サービスでも入りませんでした。
 新宿小田急線西口地下改札出たところの立ち食い本〇もまずいです。


 貧乏性でも好みはうるさいものです。