溜池に本屋のYさんがありました。Yさんの息子は幼稚園、小学校、中学と同期です。
祖母から聞いた話では、店閉まいした後夜更けに店主が出かけていって料理屋さんとか料亭の裏口から入って高齢の常連客に絵を売っていたそうです。
江戸の浮世絵風のものなのか、幕末明治初期風のものなのかでしょう。それらのものは現代から見れば猥褻図画というより骨董品に近いものだったろうと想像します。
60年ぐらい前の話なので完全に時効です。
昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。
溜池に本屋のYさんがありました。Yさんの息子は幼稚園、小学校、中学と同期です。
祖母から聞いた話では、店閉まいした後夜更けに店主が出かけていって料理屋さんとか料亭の裏口から入って高齢の常連客に絵を売っていたそうです。
江戸の浮世絵風のものなのか、幕末明治初期風のものなのかでしょう。それらのものは現代から見れば猥褻図画というより骨董品に近いものだったろうと想像します。
60年ぐらい前の話なので完全に時効です。
母がつくる玉子焼きは甘かったです。甘いのとしょっぱいのどっちにする?と訊かれてだいたい甘いほうを選んでいました。玉子焼きは甘くなければもったいないと思っていました。それでなくても甘いものに飢えていましたから。
巨人大鵬玉子焼きの時代でしたから。王選手のサイン入りポスターは少年マガジンに応募するともれなくもらえました。大鵬より柏戸が好きでしたね。玉子焼きは甘いほうです。
もともと卵はそれほど好きじゃなかったです。生卵はあまり食べなかったと思います。大人が食べるものだと思っていました。しょっぱい玉子焼きも大人が食べるものだと思っていました。
幼稚園の遠足で弁当持参で行ったのですが、玉子焼きが甘じょっぱくてうわっと思ったことがあります。玉子焼きは甘かったのですが、たまたますぐ脇に梅干しがあったので味が移ってしまったのです。
あの時の玉子焼きの甘じょっぱさは忘れることが出来ません。そのこと以来ちょっと玉子焼きを控えたほどです。
円通寺坂下の通りにMさんという塾がありました。塾と言っても今時の進学塾ではなくて手習いのようなものでした。教科書のおさらいにも届かないレベルのものです。漢字の書き取りテストが100問出て、たいがいの子は悪くて96点取れます。
放課後の集会所みたいなところです。
一ツ木通りの甘味処Tの娘Iさんも来ていました。
一ツ木のYクンがぼくの首に腕を回していきなり絞めつけたこともあります。ぼくがはしゃいでいたからでしょう。理由は判りません。
永田町のハッサンも来ていました。ハッサンはある時四ツ谷にいい塾があると言い出しました。ハッサンはそちらに移ると言っています。一ツ木のYクンも赤坂田町のTクンもそちらに移ると言うのです。
結局四ツ谷駅前のKという出版社のビルヂングにある塾に通うことになり、M塾はやめざるを得なくなりました。今思えば子どもは残酷だと思います。Mさんにしてみれば近所の子どもたちに見放されたような気持ちだったでしょう。月謝など300円ぐらいの世界だったと思います。
四ツ谷のK塾(ちなみに有名な塾とは無関係です)も今の感覚の塾に遠く及びません。
前に旧草月会館のイメージは黛敏郎が似合うみたいなことを書きました。意外と武満徹じゃないとか。ですけど、昭和30年代~昭和40年代前半のイメージでいえば武満かなぁと思うのです。
映画「女が階段を上る時」や「卍」は黛敏郎が音楽担当で確かにそのイメージです。ですけど、「他人の顔」なんて武満徹です、完全に。ラストシーンには旧草月会館が出てきます。
The Face of Another (1966) - Hiroshi Teshigahara - 1. Waltz - Tōru Takemitsu
改めてアマゾンの試聴で武満の「ノヴェンバーステップス」や「弦楽のためのレクイエム」など聴いてみると赤坂見附の立体交差の近代性と対極にある繁華街での和服姿がちらほら見えるような気がしました。
こういう曲はウォルトンの弦楽曲にも通ずる感覚があると思います。
「夫が見た 女の小箱」や「千羽鶴」なんかの若尾文子の和服姿はモダンな和を想起させます。最近DVDで見ましたら林光とかが音楽担当でしたが、武満に似てました。
一ツ木通りに金物店があったのですが、その裏に住んでいたYクンと小中と一緒でした。Yクンは幼稚園は中ノ町だったそうで、旧檜町小学校(現:赤坂小学校)と通りをはさんではす向かいにある幼稚園です。大昔はあの里見弴も通っていたというところです。
Yクンは早生まれにもかかわらず発育がよく、ぼくなんかより全然マセていました。小学5年生ぐらいでベンチャーズに憧れてギターを買ってもらってます。
ベンチャーズのテケテケテケがどこでもかかっているころ、ぼくはせいぜい加山雄三のシングル盤に現をぬかす程度でしたが、Yクンはギターを買っていたのです。家に遊びにいくとクラシックギターが置いてあってボロロンと弦を触ったことはあります。
何だか家の中は照明が十分じゃなくていつも暗かったです。
うちの妹は一ツ木通りの浄土寺の幼稚園の帰り、Yクンちに寄ってパンをご馳走になることもたびたびあったようです。Yクンの妹さんはうちの妹より2、3才上でお姉さん代わりになっていました。
Yクンは中学に上がると同時に毎日整髪料をつけて通学するようなマセたガキになっていました。