昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

ステレオ ②

  一体型ステレオは昭和45年以降は時代遅れの感覚がありました。


 それでも父と母と妹と四人で夜ラヴェルのボレロをソニーのシングル盤で聴いたのはよく覚えています。うろ覚えですが、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィアオーケストラだったと思います。33回転ですがシングル盤なので途中でA面からB面にひっくり返します。続けて二回聴きました。


 昭和48年以降は街中でジャズとかクロスオーバー(のちにフュージョン)を聴かす喫茶店が増えました。明るめの照明のジャズ喫茶ではレコードプレーヤーが客にも見えます。
 DENONが使われていました。メーカーだけを真似てDENONの安価なレコードプレーヤーをうちの洋間に設置しました。当時はデンオンと呼ばれていましたが、ぼくがデノンと言うとデンオンだよと友人に笑われたことがあります。今ではデノンと呼ぶそうですね。レコードプレーヤーをターンテーブルと呼んだらやはり友人にレコードプレーヤーなと笑われました。

 ただ60~70年代という括りで言うとフォーク、ロック、ジャズ、クロスオーバーが次第に移り変わったのです。とりわけ日本ではフォークロックが流行ったように思えます。

「ブーフーウー」


ブーフーウー 1/3


  「ブーフーウー」を急に思い出しました。テレビの三匹の子ぶたですね。


 ブーは大山のぶ代、フーは三輪さんという声優、ウーが黒柳徹子なんですね。大山のぶ代さんが認知症とかで、砂川啓介さん、この方はぼくらの世代だと体操のお兄さんです。結婚当初から姉さん女房ということはみんな知ってましたよね。


 ブーブーブーのぶつぶつ屋でしたか。フーフーフーのくたびれ屋。ウーウーウーの頑張り屋、ですね。でも見ていた当時ぶつぶつ言ったりくたびれることもあるだろうに、決めつけは良くないと子ども心に思っていました。末っ子が一番頑張り屋なのも反発を感じました。



 ある程度の年齢になったら認知症になってもしょうがないと思います。叔母も数年前から認知症です。1分前に訊いたことを再び訊きます。母もがんで入院していた時期に、これは薬の影響もあるかもしれませんけど、来てもいない親戚の子どもたちに太巻きでも買って食べさせろ、と言いました。


 ぼくは何とも思いませんでした。そういうものだから気にしない、と。昔の人は認知症が出るまで長く生きなかったのでしょう。

スカートめくり

 小学3、4年生のころは初恋のひとKさんを主にスカートめくりをしていましたが、5、6年生のころは転校生のOさんを主に時々思い出したようにKさんもスカートめくりをしていました。 

 5、6年生のころは高学年ですから校舎の三階が教室だったと思います。なので休み時間は屋上へ向かいます。階段を上るので息が上がってつい手元が狂ってしまいパンツに手が引っかかったことがあります。

 Kさんは池袋方面から、Oさんは渋谷からバスで行ったところから通っていたようです。お二人とも私立の中学に進みました。

 Kさんとは2001年以来同期会でたびたびお会いしました。
 Oさんとは2000年ごろ電話でお話しましたが、お会いしていません。電話の声は小学生時代と同じ低めでガラガラでした。49年会ってないことになります。

ステレオ ①

 うちにステレオが来たのは昭和39年か40年ごろだと思います。


 それまで叔母たちが下宿していた新井薬師でステレオは見たことがあり、わりと正方形かむしろ縦長(正面から見て)のでした。それはレコードプレーヤーに申し訳程度のスピーカーが付いたもので、ラジオが内蔵されていたかどうか思い出せません。


 サイドボードの横にあってウィスキーのハイカラな瓶や水飲み鳥、写真立てに入ったプレスリーのプロマイドとかに溶け込んだ調度品の一種でした。

 赤坂台町にやってきたのはステレオ然としたものでした。横長のいかにもスピーカーが左右にちゃんとある感じのものでした。ステレオですから当たり前ですけどw。FM/AMラジオが内蔵されていました。
 コロンビアだったのかビクターだったのかうろ覚えです。犬のマークが脳裏にありますのでビクターでしょう。

 これは叔父が秋葉原の電気街で見立ててくれたものです。横長の家具調ステレオということで5万円しました。縦長のは38000円ぐらいでしたから高いものを買ったと子ども心に思いました。


 そのステレオで初めのうちは叔母のK子ちゃんに譲ってもらったワルターのモーツァルト40番とかグリーク、ビゼー、ハチャトゥーリヤンなどを聴きました。33回転LPと言っても小さめのものです。

Moonglow / Theme From Picnic By Morris Stoloff



 同じく叔母のE子ちゃんからは「トゥナイト」とかのアメリカンポピュラーのソノシートとかA面「愛情物語」のサントラ(ショパン)B面「ピクニック」のサントラムーングロウとか聴き、ハマりました。


 自分で買おうと思ったのは加山雄三の「蒼い星くず」(A面)「夕陽は赤く」(B面)です。

プラッシー カツレツ

 プラッシーはお米屋さんが運んできます。これはほとんど知られていることです。子どもにとってジュースは夢のような飲み物です。

 でも一度バヤリースが届いたときがありました。親戚のひとが来るとかいう数日前です。プラッシーよりだいぶハイカラだと思いました。

 渡辺のジュースの素も一袋ずつオレンジを買っていました。袋から粉が出てきた時点でわくわくしました。
 テレビでグレープ味のCMが流れました。もう夢中で母を説得しました。ぶどうの栄養がいっぱい詰まっているんだよ、とか適当なことを言って説得したのです。
 10袋入りか、うろ覚えですが、ファミリー詰めを買って飲んだときの感激は忘れられません。


渡辺のジュースの素・CM



 近所のY精肉店でメンチ(推定15~20円)を買うことがよくありましたが、たまにカツレツを買います。


 小さいのが30円、中が50円、大は70円です。妹が生まれたかどうかのころは、中カツレツ三枚か大カツレツ二枚、+メンチ二枚を買って家族四人で分け合って食べました。


 コロッケはあまり記憶に残ってないです。うちが倹しかったのか判りませんが、昭和30年代半ばは港区の住宅街でもその程度の物価と暮らしです。