昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

吉祥寺 ジャズ喫茶

 吉祥寺のジャズ喫茶にはKとよく行きました。昭和50年前後ですが、アウトバック(OUT BACK)とかシモンとか後年のライブハウス、サムタイム(SOMETIME)とかですね。
 メグとかファンキー、A&Fはよく覚えていません。A&Fは蕨市のHと行ったことがあるかもしれませんが、記憶が打ち消されています。


 アウトバックの店内は暗かったと思います。リターン・トゥ・フォーエバーの「浪漫の騎士」が印象に残っています。スピーカーから重厚なサウンドが聴こえてくるんですが、アル・ディメオラの閃光のようなアコースティックギターがきらめいて胸が高鳴りました。

Return To Forever - The Romantic Warrior


 一方で薄暗い店内でこんなクロスオーバーをかけちゃって大丈夫なんだろうか、と少しだけ違和感を覚えました。別に自分がリクエストしたわけではないにしろ。


 1970年代も半ばにさしかかったころ、粋がってジャズだけかけるのもどうだろうと自分の中にあったかもしれません。店はジャズとクロスオーバーをうまく織り交ぜてかけていたのかもしれません。
 ですから傾向はあったんだろうと。うろ覚えですが、ジョージ・ベンソンとかはあまりかからなかったのではないか、と。家では聴いていてもウェザーリポートがかかったら店外脱出していたと思います。

 シモンは知らない人もいるかもしれませんが、下北沢のシェルブールと似た、シャレた感じの喫茶店でした。店内は明るく会話OKで、かかっていたのはごく普通の4ビートとかキース・ジャレットあたりだったような気がします。


Keith Jarrett - THE KÖLN CONCERT - complete
 (別人の完全コピーです)



 サムタイムはグランドピアノが鎮座したオシャレなバーでした。ここもやはりKと何度か、それとIさんという女性とも来ました。


 ピアニストのすぐ横もカウンターになっていてそこに陣取り、少し見降ろす感じでピアニストの妙技を目の当りにしました。

林間学校 『怪盗黒星』マッカレー

 年代はだいぶさかのぼりますが、昭和39年、4年生で箱根に林間学校に行きました。リュックに『怪盗黒星(ブラックスター)』(マッカレー著:南洋一郎訳:ポプラ社)を入れていきました。自由時間に読むつもりでしたが、往きの電車の中でも本を広げて少し読みました。
 現地に着いて晩ご飯まで自由時間があったので本を開こうかなと思っていたら、担任のF先生に何を読んでいるのと声をかけられました。ふむふむという感じでF先生は寝転がり『怪盗黒星』を読み耽っていました。
 ぼくはむしろ嬉しい気持ちでいました。あるいは先生はマッカレーにもしくは南洋一郎の名に魅かれたのかもしれません。
 ぼくは習字を習っていたわけでもないのに先生の目利きで素地があると言われ、東京大神宮の書道展示会に2年続けて出展できました。マンガを描いていたことも知っていて、教壇でクラスメイトの前で読んでもらったこともあり、ありがたいと感じていました。

 マッカレーの『怪盗黒星』は赤坂一ツ木通りの古本屋で買いました。昭和30年(32年も有り)出版のもので昭和39年に70円で買い求めたものです。

下北沢 フォーク喫茶

 下北沢のフォーク・ロック系というんでしょうか、「ぐ」とか「段」とかありましたね。
 未だにあれらの店は何だったのかと疑問なんですが、「ぐ」などは始終お香を焚いて店内に一種異様な香りが漂っていました。


 たぶんボブ・ディランとかザ・バンドとかまともなものからマニアックなものもかかっていたと思います。ブリティッシュ系とかトラッド系がかかっていたかどうかは思い出せません。


 「ぐ」に友人KとかNと別々に行くことがありましたが、Nと一緒に行った際、隣りの席にたまたまカルメン・マキが来ていて、Nはぼくに向けて一眼レフのシャッターを押しました。


 同時にストロボが焚かれたので彼女はびっくりして怒ってきました。自分が撮られたと思ったのでしょう。


 Nはぼくを指差し彼を撮ったのだと弁解しましたが、店の人には注意されました。「ぐ」の店先のワゴンに穴あきジーパンが100円で売っていたことがあります。

 「段」には一、二度行きましたが記憶があまり鮮明ではありません。

 「ぐ」でも「段」でも後年の「ロフト」もそうですが、焼きうどんを食べることが多かったです。
 日常では食べたことのない焼きうどんの味はフォーク喫茶やライブハウスの味として脳裡に焼きつきました。

 「ぐ」は「ロフト」より内側の路地にありました。

下北沢 ジャズ喫茶 続

 下北沢にはいろいろな喫茶店がありました。フォーク・ロック系喫茶、ジャズ喫茶、ライブハウス系等など。ロフトができたのはだいぶ後で70年代後半です。
 
 ジャズ喫茶の「マサコ」はスーパー忠実屋(その後ダイエーですか?)の裏の路地にありました。店内は和やかな雰囲気ですがジャズを聴くという暗黙のマナーみたいなものは保持されていたように思えます。ここは老舗で確か1950年代創業だったように記憶しています。


 後発の「ノイズ」は70年代開店でメインストリート沿いの2階にありました。
 並びに焼きたてパンを売る店もありました。うるさいぐらいに「焼きたてパンの、焼きたてパンの」とスピーカーで鳴らしていました。
 パン屋の裏の2階にレコード屋のエジソンがあったように記憶しています。


 「ノイズ」はジャズだけでなくクロスオーバー(フュージョン)もかかりました。リクエストも受け付けていましたね。ここでアル・ディメオラとかジャコ・パストリアスとかリターン・トゥ・フォーエバー、ウェザー・リポート、ポール・デスモンド、ハービー・ハンコックなんかがよくかかっていたように思います。店内は明るめで談話OKです。


 ジャコの1stアルバムがかかった最初は何のことやら判りませんでした。あれよあれよと言う間に「Continuum」などは象がパオーンパオーンと合奏して得もいえぬ不思議なアンサンブルを奏でているように聴こえました。
 フレットレスベースはバストロンボーンのような音でした。友人Kはウェザーリポートの新しいベーシストと解説を付けてくれただけです。

Continuum Jaco Pastorius



 ディメオラの1st「白夜の大地」もここで聴いて、久しぶりにラテンっぽいのが聴けた、気に入ったぐらいに思っていましたが、結局かなりハマりました。

早稲田通り界隈

 Oと知り合ったサークルは早稲田の町にあったのですが、よく行った喫茶店の名前が思い出せません。
 早稲田通り沿いの「オリエント」とか「エトランゼ」みたいな名前だったような気がします。


 このあたりの風景は、はっぴいえんどの「風街ろまん」というアルバムの中に「そら色のクレヨン」という曲があるんですが、これを聴くとなぜか思い出します。
 たぶんペダルスチールギターのゆったりしたフレーズが昭和48年ごろの淡い記憶を呼び戻すのだと思います。


 それと高田馬場駅近くの地下の喫茶店もよく利用しました。だいたいOとIが一緒でした。他に二人のM、この二人もサークルメンバーですが、埼玉在住だったので帰りの電車の関係で喫茶店で長居はできなかったようです。
 二人のMとは車で信州を旅行したことがあります。Oも一緒でした。御嶽山か御岳山か忘れましたが低い山にゴムぞうりで登りました。


 その人がサークルに正式に加入したかどうか定かではないですが、17歳の高校中退の女子Sさんとデートしたことがあります。
 一度めは早稲田の町から歩いて高田馬場駅のちょっと先(小滝橋方面)にミルクホールがあったのですが、そこでお茶しました。
 ぼく自身は何を注文したか忘れましたが、彼女はプラッシーを注文したのです。そのころすでにプラッシーは懐かしい飲み物という捉え方でしたので鮮明に記憶にあります。


 彼女とは四ツ谷の迎賓館あたりから赤坂の豊川稲荷もデートしました。このことはだいぶ前に書きました。