昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

下北沢 スナック

 昭和50年ごろだったと思います。下北沢のスナックに初めて入りました。場所は小田急線下北沢駅からほど近いどん詰まりの路地の奥から二軒めです。線路と路地が鉄柵だけで区切られていて鉄柵の周りは雑草が鬱蒼と生え放題で荒れ果てたところです。一番奥はロック喫茶でした。
 友人Nと居酒屋で少し飲み、店を変えようとあても無く歩いて試しに入ってみようと思って入った店です。ママさんは40手前でしょうか。カウンターの常連客のひとりが昭和20年生まれと判ったのでうらやましいと話しかけてみました。そのころは本気で団塊ぐらいに生まれていればと思っていました。Nはぼくより1コ上です。
 常連客が帰ってぼくらだけになったので、店の隅に置いてあったガットギターでボブ・ディランの物まねのつもりで「風に吹かれて」を弾き語りしました。三人ともソファ席に移りました。Nはいつもぼくの伴奏で歌っていたのでその時もフォークをいろいろ歌いました。ママさんも歌うというので、楽譜をめくりますがだいたいフォークが中心ですね、あのころの楽譜は。カラオケはまだほとんど普及していなかったのか、その店にはありませんでした。
 夜が明けるまで飲んで歌って、やっとの思いで店の外に出たはいいけど、歩けません。Nは電車で帰るのに始発までは少し時間があります。彼はおもむろに路地に大の字になって寝始めました。ぼくも路地に寝そべっていました。ママさんが店のカギを閉めて帰りしな、あらあら気をつけてねwと声をかけてくれました。若かったし街の危険度も少なかったんですね。

バルバラ ① Barbara シャンソン

 いきなり”シャンソン”などと言うと大抵引かれます。フレンチならともかくシャンソンを聴く世代は70歳代以上がほとんどでしょう。ぼくが最初聴いたのは小石川図書館で借りたエディット・ピアフとかのレコードだったと思います。もちろんまだLPの時代です。
 借りた中で一番グッときたのは1960年代に出されたバルバラのレコードでした。バルバラのCDを見つけて買ったのは昭和から平成にかけてです。六本木にまだWAVEがありました。

 彼女の「いつ戻ってくるの?」というタイトルの曲を聴くとパーッと市谷薬王寺町の風景が頭に浮かんできます。バルバラにそっくりな中学時代のクラスメイトIクンが住んでいた街です。
 薬王寺町とか加賀町とか甲良町あたり、通りから30メートルも入ると閑静な高級住宅街です。それでいて外苑東通り沿いの商店街はひっそりとしていて、都心なのに車以外は寂れた感じがあります。



 バルバラの2巻物のDVDのモノクロ映像中心の1巻めに、バルバラが古い寂れた小屋みたいなところで歌う場面があります。その部分は1967年(昭和42年)の市谷薬王寺町にタイムスリップしたような感覚になります。ホントに勝手なイメージでしかないのですが。



 父が昔浮気した相手が昭和5年生まれでバルバラ(1930)と同じ歳でした。越路吹雪のコンサートをいっしょに見に行って越路吹雪のファンになった父ですが、越路吹雪が早くに亡くなったときは残念そうでした。

ビートルズ 解散前後

 昭和44年、中3のころビートルズの「カムトゥゲザー」と「サムシング」が流行りました。クラスメイトのYクンとSクンと学校の帰り徒歩で赤坂見附駅までいっしょだったのですが、ちょっと遠回りの弁慶濠の辺りを歩いたりしました。Yクンとかぼくが「カムトゥゲザー」をマネして「シュッ~シュッ~」とか言って笑いながら歩きました。Yクンの神宮前の家とかSクンの杉並松庵の家とかぼくのうち(世田谷)にお互いに遊びに行ってどこでも店屋物のカツ丼を食べました。うちに来たときにシングル盤の「カムトゥゲザー」と「サムシング」を聴かせました。(シングル盤の発売が昭和44年であるかうろ覚えです)

 昭和45年の春休みに「レット・イット・ビー」のシングル盤を買いました。高1になってクラスメイトのKと新宿歌舞伎町の映画館でビートルズの三本立てを見ました。ジョージ・ハリスンを思わせるルックスのKからビートルズの映画をいっしょに見に行かないかと誘いがあったのです。歌舞伎町の映画館がちょっと密集しているエリアがありました。ミラノ座だったかもしれません。
 「ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!」と「イエローサブマリン」を見た覚えはあります。あとの一本は何だったのか、「レットイットビー」ではなかった気がします。三本立てで上映するには新しすぎる気がするので。

池袋 文芸坐 文芸地下

 昭和50年前後、池袋の文芸坐か文芸地下で大島渚の「日本の夜と霧」を見ました。サークルで知り合ったOと見たのです。ネット上には80年つまり昭和55年に再上映とありますが、70年代に見たのは確実です。あのころ何度も上映したのだと思います。
 映画の中で渡辺文雄や戸浦六宏、津川雅彦、佐藤慶とかが討論していました。渡辺か戸浦が何かしゃべると館内で爆笑の渦が沸きます。瞬間的にぼくは隣りの席のOの顔を見ました。Oはポーカーフェイスで姿勢も乱れず見続けます。
 この映画は昭和35年封切で60年安保に関係するんだなぐらいは思いました。が、討論の中身までは入っていけません。ぼくも一応二十歳過ぎでしたし70年代なので一丁前に柴田翔の「されどわれらが日々」は読んでいましたが、何のことやら判らない。幼稚園のときに議事堂前でデモがあるから早引けだ、得したぐらいの記憶しかありませんでした。Oはぼくより3歳上ですから60年安保はともかく70年安保は見過ごせなかったと思います。
 どうやらその実60年安保とは違う意味があったようですね。ここでは深く突っ込みませんが、機会があったらもう一度DVDか何かで見てみようと思います。
 会場内で爆笑の渦が沸いたのも、嘲笑だったのか笑うことで価値を見出そうとしていたのか判りません。皮肉にも歌舞伎の掛け声のようにも聞こえました。いずれにしても70年代半ばにして懐かしさを見るための上映会であったように思えます。

下北沢 ジャズ喫茶 続々

 昭和48年か49年、Kと一緒に下北沢「シェルブール」で聴いた「リターン・トゥ・フォーエバー」というアルバムは清新な印象を持ちました。


 全体的にはボサノバっぽいのですが、もっと感覚的でフローラ・プリムの淡い妖艶なヴォーカルは楽しめます。チック・コリアのフェンダーローズピアノはジャズっぽいのですが、開放的な雰囲気が散りばめられていて斬新でした。「クリスタル・サイレンス」ではジョー・ファレルのソプラノサックスが70年代初頭の時代の移り変わりを表現しています。


Chick Corea:Crystal Silence




 「クリスタル・サイレンス」は別にゲイリー・バートンとのアルバムがあります。こちらは新宿のディスクユニオンで聴いたのか、小石川図書館で借りて聴いたのかうろ覚えですが、図書館はもう少し後なので、最初はディスクユニオンの地下で偶然聴いたと思います。



Chick Corea and Gary Burton - Crystal Silence



 ゲイリー・バートンのヴァイブラホンは不思議な浮遊感が漂っています。フェンダーローズに乗ったジョー・ファレルのソプラノ・サックスと比べると、チックもアコースティックピアノになり、より内面的なそれでいて風景をあざやかに映し出す、心象風景の研ぎ澄まされた美の頂点と言った感じです。


 だからといって堅苦しいわけではなくフォークロック的な温かさも漂っています。いつでも原点に立ち返ることができる音楽です。

 後年、LPを買ったのはゲイリー・バートン盤のほうです。