昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

夏休み ①

 昭和42年中1の夏休みに母の実家へ遊びにいきました。伯母も従兄も一緒でした。居間を客室代わりに布団を敷いてもらって寝ますが掛け布団が独特の匂いがしました。一泊目は毎回思うのですが、朝目が覚めると、あぁ昨夜は田舎に泊まったんだなと思うのです。居間と仏壇の部屋を仕切っている襖のふすま紙に漢文が書いてあります。小学生のころから不思議だったのですが、「而」「如」とか読めない漢字があって中学に上がってもなかなか出てこないなと思いました。


 伯母、従兄たちと上野まで帰ってきて映画館に入りました。「ロシュフォールの恋人たち」というカトリーヌ・ドヌーブ姉妹主演のミュージカル映画がかかっていました。1歳上の従兄Sちゃんは映画を見ながら半眼を開けて寝ていました。映画が退屈だったのか、よっぽど疲れていたのでしょう。
 伯母たちと別れて、うちの家族は銀座線に乗ってSちゃんの半眼の話で盛り上がりつつ帰ってきました。

新宿西口フォークゲリラ

 60年代末新宿西口フォークゲリラがありました。ぼくは実物を見ていません。昭和43年か44年ですから中学生でした。が、ほとんど記憶にないです。


 6歳下の妹は小学3年生でしたが、ニュースでフォークゲリラのことが報道されると、自分もあの広場に参加して全学連になって、ヒッピーにもなろうと思っていたそうですw。
 驚きました。


 妹は50代半ばですよ。最近その話を聞かされて思わず笑ってしまいました。ぼくが学生時代友人たちと飲んだり下宿に泊まり合っていたことを、妹は集会に参加していると思い込んでいたそうですw
 単に駄弁っていただけなんですけどね。


 なのでああいう思想的なものは世代に関係ないんだと思います。同じ団塊世代でもサヨクもノンポリもいて、
 同じフォーク系でも高田渡や岡林信康、中川五郎とかとはっぴいえんどのメンバーは距離があると思います。
 細野晴臣や松本隆からそういう話は聞きません。高田と細野は個人的には交流があったようですが、思想は当たらず触らずだったと思います。確証はないんですが。


 細野も松本も東京港区の出身です。ぼくもそうです。このブログの発想自体がそうですから。ですが妹も港区赤坂生まれです。
 ぼくも昭和55年ごろ一時的にマルクス主義に染まったことがありますが、そのあと保守に戻りました。

吉田拓郎 よしだたくろう

 吉田拓郎のアルバム「元気です」を買ったのは下北沢の長田楽器です。「おさだ」と読みます。たくろうの「人間なんて」は少し遅れて買いました。「イメージの詩」のほうが買ったのは後です。昭和46年~49年ごろですね。


 「結婚しようよ」「旅の宿」が立て続けにヒットして、特に「結婚しようよ」などはフォークやロックの人から相当反感を買っていたようです。いろいろなアーチストやミュージシャンがジョイントするコンサートではたくろうがステージに登場すると「帰れ」コールが起きたと当時の音楽雑誌でも記事になっていました。


 ぼくがギターを始めて日が浅かったころはもっぱらニール・ヤングの「孤独の旅路」でした、Emが押さえやすかったのが理由ですが、「孤独の旅路」は日に2、3回ラジオでかかるほどヒットしました。この曲があまりにいいのでギターをやってみようと思ったのです。


 その次は「結婚しようよ」のコード進行が取っつきやすかったです。Ebから始まりますが、カポタストを3フレット目に着けてCを押さえればいいのです。
 技術が進むと「旅の宿」の弾き語り、アルバムに入っている(もしくはコンサートでたくろうが弾く)ギター一本のバージョンのほうとか、「ある雨の日の情景」とか弾けるようになりました。どちらも2フィンガー、3フィンガーの変形だと思うのですが、聴くと難しく感じますが意外に弾けました。

昭和のドラマとジャズ 参考音源付加

 ポール・デスモンドとデイブ・ブルーベックの「テイク5」('59発売'61ヒット)を聴くと「ローンウルフ・一匹狼」のテーマ曲を思い出します。
 天知茂が歌っているんです。5/4拍子の歌を巧みに歌いこなしています。「昭和ブルース」を歌う天知は有名ですが、「ローンウルフ」もなかなか名曲です。
 本編では野際陽子が妻役で出演していました。

一匹狼(ローンウルフ)/天知 茂
 あとセルジオ・メンデスとブラジル66の大ヒット曲「マシュケナダ」('67)を聴くとタイトルなど不明ですがあるTVドラマを思い出します。「とぼけた奴ら」かなぁと思いましたが検索しても出てきません。
 「ヨリヨリ オパカパカパカパカ(←ここはあやふやです)アリオーアリオーアリオー」みたいな感じの歌詞です。「マシュケナダ」は「オー、アリアイアイオー、オパーオパーオパー」みたいに聴こえます。

Sergio Mendes & Brasil 66 - Mas que nada (introduced by Eartha Kitt / Something Special 1967)


 ジャズを聴きだしたのは73年ごろですから、ジャズ喫茶へ行ってもコルトレーンとか掛かってはいましたけど、回数は減っていただろうと思います。
 「マイフェイバリットシングス」「至上の愛」「バラッズ」「ジャイアントステップス」「ブルートレイン」とか掛かってはいただろうと思います。時代は徐々にクロスオーバー、フュージョンに移っていました。


 下北沢でも吉祥寺でも新宿でも、傾向の差こそあれモロジャズは数が減っていたでしょう。それに個人的には70年代半ばごろからECMレーベルやフリージャズを聴きだしたので、コルトレーンは後から聴き返した感があります。


 新宿の「DIG」か「DUG」かうろ覚えですが雰囲気が60年代を残していてちょっとだけ緊張しました。友人Kと今入っておかなければと言い聞かせ入店してみたのです。

野際陽子

 昭和38年のドラマ「赤いダイヤ」は見ていました。先物取引のいわゆるアズキ相場を描いていてドラマの中身は判りませんが、大辻司郎の個性的な雰囲気が子どもでも面白く感じられました。
 これに野際陽子が出演していたのですが、当時は気づきませんでした。


 似たような路線で「とぼけた奴ら」も面白かったです。千秋実、高松英郎、勝呂誉のコンビがお互い文句ばかり言っている腐れ縁の雰囲気が面白く感じられたんだと思います。これは昭和42年ごろのようです。

 昭和42年の「ローンウルフ・一匹狼」というハードボイルド系ドラマは天知茂が主演でした。このドラマはたぶんわりと直後の再放送で見たんだと思いますが、毎回最後に天知の妻役の野際陽子が悪の一味に連れ去られます。
 この場面見たさに画面にくぎ付けでした。野際陽子の名前も知らず、世の中にこんなキレイなひとがいるんだぁと思ったものです。中1から見れば相当歳の離れたあこがれの対象でした。

 「キイハンター」は昭和43年です。ここでの野際陽子は長髪にパンタロン姿のアクションドラマに相応しいいで立ちでした。「ローンウルフ」の野際陽子は亭主持ちの妻然とした地味なメイクだったはずです。髪は肩までかかってなかったと思います。だから「キイハンター」の野際陽子となかなか結びつかなかったです。


 「ローンウルフ」を見るときちょうど母が掃除機でガーガー居間の掃除を始める時間帯でしたが、野際陽子を注視していたのでうるさがらず、気づかれないように画面にくぎ付けになっていました。