昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

学園祭 ブルース・ロック

 昭和50年前後だと思います。東京近郊の大学の学園祭に出かけました。いつもの友人Kとです。目当てはライブコンサートです。


 上田正樹とサウス・トゥ・サウス、金子まりとバックスバニー、あともう一つバンドが出ていたと思いますが、思い出せません。


 あともう一つはチャーではないと思います。チャーとか金子まり夫婦、鮎川誠夫婦、カルメン・マキはよく下北沢の街で見かけていました。
 ライブでの金子まりは独特のうねるようなヴォーカルでバンドは意外とさらっとした都会的な演奏でしたね。


 サウス・トゥ・サウスはトリだったような気がします。有山じゅんじと石田長生がツインでギターを弾いていました。2人は同時にステージ上にいました。この目で見たんですから。ネット上で見ると石田は正式にバンドに参加していないようなのでゲスト参加だったのかもしれません。


 上田正樹の印象は不思議と残っていないです。たぶん注目は2人のギターに行っていたんだと思います。気のせいか有山のほうが緊張しているように見えました。


 リズム隊のノリが良くて後半は観客がステージのすぐ下まで押し寄せ、ぼくらも前に行きましたがいわゆるかぶりつきの状態で見ました。



 別の学園祭ではウエストロード・ブルース・バンドを見ました。
 初めのうちは山岸潤史が目立たない感じで弾いているのですが、半ばぐらいになって突然リードギターが突き刺さるような感じで聴こえてきてそれが山岸だったのです。
 これはビックリしましたね。先輩のTさんなんか机の上に立って(広めの教室だったので)腕組みして見てました。

60年代ジャズ 続

 70年代後半のころ小石川図書館でレコードを貸し出すようになりました。(自分がという意味です。レコード貸出はもっと以前からあったと思います)


 あらゆるジャンルがありました。フリージャズ、シャンソン、民族音楽、ルネサンス古楽器、現代音楽など何でも揃っていました。
 東京都内在住もしくは都内勤務の人なら貸し出しができます。当時は火金のみ20:00でしたが、現在は月~金20:00だと思います。


 フリージャズは60年代にカーラ・ブレイとマイク・マントラーが中心になって結成したザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラによるアルバム「コミュニケーション」のレコードを借りました。
 オーケストラのメンバーはポール・ブレイ、スティーブ・レイシー、ジョン・チカイ、アーチー・シェップ、ラズウェル・ラッド、ケント・カーター、スティーブ・スワロウ、バリー・アルトゥシュル、ミルフォード・グレイブスなどがセッションによって組み合わせを替えています。


 曲は「ロースト」「デイ(コミュニケーションズNO.4)」「デイ(コミュニケーションズNO.5)」です。
 「デイ(コミュニケーションズ)」は聴くと全体のうねりがあって、部分的には日本の無声映画かトーキーのころのチャンバラ劇を想い起こさせます。


 カルテットやクインテットのユニットでいうとザ・ニューヨーク・アート・カルテットやザ・ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイブが好きでした。
 カルテットでのジョン・チカイとラズウェル・ラッドの組み合わせは絶妙です。
 
 ニューヨークアートカルテットに「Mohawk」というアルバムがあります。その中でチカイが吹きつづける曲がありますが、秀逸です。


New York Art Quartet - Everything Happens To Me



 コンテンポラリー・ファイブはアーチー・シェップとドン・チェリーの組み合わせになります。
 コルトレーンやマイルスより若い世代によるフリー・ジャズはアンサンブルを感じさせます。


 コルトレーンやマイルスはワンマンなバンドだったのに比べて、ウェイン・ショーターのバンドなどでもそうですが、全体のサウンドが重要です。

懐かしのラジオ英語会話

 中2から中3、つまり昭和43年~44年はラジオの「英語会話」を聴いていました。誰に薦められたわけでもなく、何気なく聴いた松本亨さんの英語の発音に魅せられて聴くようになったのです。松本先生の英語はネイティブな感じで日本人離れしていました。よく英語の講師でも発音がまるっきり日本人みたいな人がいますね。中村雅俊みたいに口をひん曲げてそれらしく英語をしゃべろうとするダメ講師もいます。あれだったら日本人丸出しでカタカナ発音のほうが潔いと思いますw。
 松本亨さんは現在でも匹敵する人がなかなか見つけられないぐらいの自然な英語でした。アポロ11号の月面着陸の際の同時通訳のNさんも発音は良かったですが、松本さんのほうが上回っていると思います。
 英語を必死に勉強した覚えはありません。単に「英語会話」を毎日楽しみに聴いていただけです。毎月本屋へ行って新しいテキストを買っていました。だいたい100円ぐらいのものでした。中学校で習う英語が「基礎英語」や「続・基礎英語」だとすれば「英語会話」はちょっと進んだ英語でした。だからと言って会話だけに重点を置いているわけではなくて文法や語法、熟語なども自然に覚えるようなカリキュラムになっていました。そこが「英語会話」であって「英会話」と少しニュアンスが違うところです。
 あのころの1年分を一冊にまとめたテキスト(mp3も付けて)が再販されたら懐かしくて買ってしまうと思います。一応それらしい薄いテキストとカセットは発売されたことがあり買いましたが、音質も悪いしテキストもかなり薄いです。もう音源は残っていないでしょう。

カレーが食べたい

 カレーの隠し味にチョコとかコーヒー、赤ワイン、みそ、しょうゆ、めんつゆとかって基本的にはなしだと思います。カレーをおいしくするのはカレー粉だと思います。カレーは辛くても甘くても風味が大事だと思うので、チョコとかコーヒーを足すよりシンプルにカレー粉を足すほうが得策だと思います。スパイスを足すのはお好みで。
 メーカーはS&Bだったと思うのですがインドカリーのさらさら系のカリールーは美味しかったです。から揚げ用のチキンを二分の一か三分の一に切って、スーパーで売っている北海道産のじゃがいもとかにんじん、玉ねぎなどのカット野菜を使います。ですがそのルーは数年前に販売中止になりました。
 それ以降は中村屋のインドカリー(チキン)のレトルトを利用するようになりました。昔はハウスのジャワカレー中辛のルーを使うことが多かったです。
 いわゆるディナーカレーはデミグラスソースのカレー味な感じがして70年代80年代のファミレスを連想させて、もう食べる気がしません。チョコとかワインとか足すのも同じことだと思います。
 カレーうどんを作る場合はめんつゆはよく使うと思いますが、それさえもカレー粉を足すと俄然風味豊かなカレーうどんになると思います。
 5分とか10分でカレーを食べさせたい時に一番簡単にレトルトを2種類以上混ぜて作ったことがあります。違うメーカーの甘口、中辛と辛口のレトルトを一緒に鍋に流し込んで温めるだけです。カレーを作っている気配を感じさせず、いきなり祖母の前に出したらうまいうまいと食べてくれました。

ジュテーム・モワ・ノン・プリュ

 70年代に街中で何気なく喫茶店に入ってちょっと内装がゆったりした店なら頻繁に流れていたのはイージーリスニングです。
 レーモン・ルフェーブル、ポール・モーリア、パーシー・フェイス・オーケストラ、マントバーニなどです。


 あとバーキン、ゲンスブールの「ジュテーム・モワ・ノン・プリュ」'69も時々流れました。この曲はインパクトがありました。


 いきなりため息まじりのジュテームですから。女性の声は今やバーキン・バッグでメジャーですが、当時シンガーとしてもしくは女優としては知名度が今イチだったジェーン・バーキンです。


 最初はブリジッド・バルドーだったらしいですが。すったもんだでバーキンになったとか。怪しげな男性のささやきの主は作曲者のセルジュ・ゲンスブールです。



Serge Gainsbourg & Jane Birkin - Je t'aime... moi non plus/Original videoclip (Fontana 1969)



 当時コーヒーを飲みながらこの曲について気になっていたのはハモンドオルガンの音色です。何て煽情的なオルガンなんだと感じていました。
 それとピックで弾いていると思われるエレクトリックベースです。ベースギターという言い方もしていました。
 ハモンドオルガンとベースギターの組み合わせだけでこの曲のエロティックな雰囲気を醸し出しているような気がします。
 ロックやプログレにも使われていたんでしょうけど、自分はあまりロック系はアルバムを買うほど親しんでいなかったので、「ジュテーム」はインパクトが強かったです。


 プロコルハルムの「青い影」は流行りましたね。「男と女」のサントラもよくかかってました。ダバダバダのやつです。
 中学のクラスメイトIが観に行ったとか言ってぼくにいろいろ語ってくれましたが子どもだけでは見に行けません。あれは映画よりも音楽が売れたと思います。


 昔は大人っぽい音楽が流行っていました。