昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

フリー・インプロヴィゼーション

 同じころ、ぼくは小石川図書館でデレク・ベイリーを借りて家で聴いていました。スティーヴ・レイシーとベイリーのデュオアルバムを聴きました。

Company 4 (1976)


 ベイリーのギターはエレキのフルアコかなにかでレイシーはソプラノサックスです。ヘビとマングースのように絡み合って殺気立っているような場面もあります。
 それを4トラック4チャンネルのオープンリールテープレコーダーにダビングします。残っているトラックのチャンネルにある有名な容疑者〇〇疑惑のMの弁明インタビューをカブせます。
 全トラックを再生してみました。レイシーとベイリーと容疑者の弁明がうまく絡み合ってくんずほぐれつしています。


 フリー・インプロヴィゼーションなどという狭い範疇でなく、人間の会話も十分不可解な部分があって、それらを切り取れると確信しました。実際会話の内容を切り取ってテープをつないだものが湯浅譲二の作品になっています。荻窪のジャズ喫茶でかかりました。


 そんなある日バイト先の先輩MKさんが好きな著述家いる?と訊いてきました。ぼくはそのころ「無について」「実存主義とはどんな科学か」とか読んでいました。でもとりあえず、ショーペンハウアーとだけ言っておきました。MKさんはマルクス、レーニンとか言い出したのです。彼は6歳上の団塊で高校の世界史の教師を以前やっていました。おそらく思想が偏向的なので解雇になったんだと思います。

バイト 現像所

 昭和54年ごろだったか記憶があいまいですが、年の初めだったのは覚えています。現像所でバイトしました。
 そのころすでにフリー・ジャズはレコードで聴いたりしていましたが、バイト先で知り合った同じ歳のMTさんにデレク・ベイリーの2枚組のアルバムを借りてデレク・ベイリーもいいもんだなと思いました。タイトルは忘れました。ソロでアコギかフルアコかとにかく電気を通さないギターで完全フリーのアルバムです。フリー・ジャズじゃなくてフリー・インプロヴィゼーションです。


 バイトは朝、写真屋さんを何軒か廻り撮影済フィルムを回収します。午前中現像所に出勤し、フィルムを作業工程に乗せます。フィルム現像は機械がやって同時プリントもほとんど機械が自動的に焼き付けます。ネガの状態によって部分的にベテランの人が焼き付け作業をします。
 印画紙は新入りが暗室でロール巻きし、現像工程に回します。焼き直し工程をして袋詰めし、夕方帰り掛けに朝廻ってきた写真屋さんに寄って出来上がったプリントとフィルムを配送します。車の人もいますが、新入りは往きも帰りも電車です。


 2歳上の女性Uさんが気さくに声を掛けてきました。Uさんは気さくすぎて、ちょっとクソしてくる、と言ってトイレに行きます。もう5年ぐらい働いているんだろうと思って訊いたら、入って一週間でした。ぼくより数日早いだけでした。
 Uさんの担当はまだできたばかりの渋谷の「109」にあるDPEでした。昼食は社員食堂にUさんと向かい合って一緒でした。喫茶店も一緒のことが多かったです。
 Uさんが昼休み文庫本をカバーをかけて読んでいたので、字面から「山手樹一郎か何か?」と訊いたら「どうしてわかったの?」と返ってきました。ぼくも本屋さんで立ち読みして山手樹一郎は読みやすく面白そうだと思っていたので、あてずっぽうで言ってみたのです。


 Uさんは人妻でした。なのに団塊のMKさんも何となくUさんと話したがっている様子でした。
 そのうちUさんは妊娠をしてバイトをやめてしまいました。言うまでもなく旦那さんとの子どもです。
 MKさんとぼくは喪失感に襲われました。Uさんがいたころはライバル視していたのに、昼休みとかMKさんと親しく話す機会が増えました。このMKさんが思想的なことをぼくに話し始めたのは、それほど後のことではありません。

「ヌー・ハイ」ケニー・ホイーラー Gnu High Kenny Wheeler

 昭和52年以降小石川図書館でレコードを借りることが多くなりました。


 ケニー・ホイーラーのアルバム「ヌーハイ」('76)もその中の一枚です。ECMのものを聴く機会が増えていた時期ですから、気になるものはどんどん借りていました。

Kenny Wheeler - Heyoke



 アルバム「ヌーハイ」はわりと聴きやすくフリージャズに比べるとだいぶ洗練されていました。リズムとか部分々々を取り上げるとフリーなところもあり複雑ですがうまく昇華されていて、キース・ジャレットもかなりまともな演奏をしています。



 ジャック・ディジョネットの変格的なビートとデイブ・ホランドの変格的なベースラインが合わさるとうまく融合します。キースも普段よりは調和的です。これらの変格的なリズム隊を気にせずホイーラーは都会的なフリューゲルホーンを端整に吹いています。


 70年代初めにマイルス・デイヴィスのバンドに参加していたキースとホランドとディジョネットですから、フリューゲルホーン(トランペット)のホイーラーとしてもやりやすかったのでしょう。


 妹の友人Iクンは吹奏楽部でトランペットをやっていたというのでレコードを聴かせたところ、大層気に入って自身で「ヌーハイ」を買ったそうです。


 ホイーラーの90年代ぐらいのライブを最近YouTubeで見ましたが、ジョン・テイラー(p)やジョン・アバークロンビー(g)パレ・ダニエルソン(b)、ピーター・アースキン(dr)などと共演していました。彼らとも合います。少しスリルが足りない傾向はありますが。

北陸一人旅

 77年(昭和52年)の夏に北陸へ一人旅に行きました。北陸ミニ周遊券というのがあって、ある期間電車バス乗り降り自由というものでした。その日の気分で石川へ行ったり富山、福井へと勝手気ままな旅です。


 ある夜、石川駅の待合室のベンチでごろ寝していたら女性に声をかけられました。夕方ジャズ喫茶で見かけたというのです。そのジャズ喫茶は冷房の具合はいいしスピーカーも本格的でアイスコーヒーも抜群に美味しかったです。場所は片町か香林坊だったかどちらかです。
 言われれば正面の席に向かい合うように女性が腰かけていた、のは覚えていました。明日いっしょに廻りましょう!という問いかけに快諾しました。だけど今は眠たいのでごめんねと言って眠ってしまいました。


 翌朝女性に起こされて内灘海岸に遊びにいきました。彼女は水着も持参していて着替え、海岸の水辺で遊んでいました。姿が見えなくなったのでちょっと心配になって海岸を眺めていましたら、ひょっこり現れて笑われてしまいました。泊まるところを探すのが面倒なので砂浜にテント(彼女が持ってきた)を張って二人で寝ることにしました。
 彼女は2つ下でした。映画「旅の重さ」を地でいくようなリュック背負って女の一人旅だったのです。しかも主演の高橋洋子と同じおうし座でした。
 ぼくはぼくのリュックからオ〇タ〇〇ンを2錠ぐらい出して彼女に気づかれないように飲みました。そのころハイミナールとか入手しづらかったです。眠いから寝るねと告げて目を瞑りました。昼間知らないオバサンに彼女と結婚するといいよ、なんて助言をされたことを思い出していました。


 翌日は別行動を取ることにしました。ぼくは福井の東尋坊を観に行きました。崖の下をそーっと見てみました。掃除のオバサンが心配そうに、ここは自殺の名所だから気をつけてね、と声を掛けてきました。
 富山の駅は一番清潔感がありました。福井駅はコバエだか蚊が多かったです。福井駅の外壁には電車から見えるように「米は福井」とデカデカと書いてあります。そうなんだなと思いました。


 旅ももう終わりだという日に再び金沢のジャズ喫茶へ行きました。一度目と同じ席に腰かけました。入口付近にこないだの女性らしきひとが腰かけていたのでトイレへ行ってオ〇タ〇〇ン2錠を飲みました。帰ろうとしてレジに向かうとき、彼女が「今夜泊まるところ決まったので」と言って隣りの男性を指差しながら微笑んでいました。ぼくは逃げるようにして店の外に出ました。

浅川マキ

 ずっと何十年も浅川マキは聴かず嫌いでした。「夜が明けたら」がいけないのです。あれをちょっと耳にしただけでブルースかジャズを無理やり日本語にしている、というマイナスイメージが先にきます。


 わりとそういう人多いのではないかと思ったりします。長い黒髪で黒ずくめ、スポットライトで地下室で歌っている、そういうアングラっぽいちょいブスのおばさんみたいなイメージです。


 インテリが浅川マキ好きみたいなイメージもありますね。だまされてるなとか、ポーズで聴いている、とまでは言いませんけど、そう思っていた時期もありました。


 「恐怖劇場アンバランス」の「夜が明けたら」の巻で実際浅川マキがアングラ的な雰囲気のクラブみたいなところで歌っています。浅川自身はアンダーグラウンドであってアングラじゃないんだと主張していたようです。この場面はYouTubeにも上がっています。


 でも実際CDで「かもめ」とか「少年」「淋しさには名前がない」とかを聴くとじーんと来ました。

浅川マキ(1942/1/27 - 2010/1/17) - Just Another Honkey - 1976 Studio Live Version(2/2)



 浅川は2010年に亡くなっていますが、ぼくがちゃんと聴いたのはちょうどそのころです。レンタルで試しに聴いてみました。
 「幕間音楽」みたいなものもあります。これは日活ロマンポルノの作品で場面展開のときに70年代の何気ない町の風景が写りますが、それにぴったりの音楽です。フォークロック調の肩の力の抜けた曲です。


 フォークのライブ大全みたいなDVDに「かもめ」が収録されていますが、これは失敗です。まず観客が引いてしまって、そっぽを向いています。浅川本人も素人みたいな気持ちになったとインタビューに答えています。


 ちなみに「恐怖劇場アンバランス」の「夜が明けたら」の巻の主役は夏珠美ですが、この人は奥村チヨを美人にしたようなパンチのある新宿フーテンガールです。子役のころは藤井珠美の本名で月光仮面の映画版「サタン(魔人)の爪」や「怪獣コング」に木の実ちゃん役で出演していました。女子美の中高を経てTVドラマ「キイハンター」「ザ・ガードマン」に出演したり、映画ではフーテン役をやるなどホントに新宿が似合うカッコいいお姉さんです。