昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

フォークと哲学 Folk

 昭和50年ごろでしょうか、先輩のKSさんの下宿先は東京女子大の近くでした。
 KSさんのアパートに遊びに行くとレコードを聴いたりギターを弾いたり哲学書を読んだりしました。
 先輩は昭和27年の早生まれで、サークルのOとかIと学年で言えば同じです。


 先輩のお気に入りのレコードはペンタングルなどのブリティッシュ・トラッド系フォークです。
 当時のぼくはペンタングルなど知りませんでしたから、ずいぶんと渋めが好きなんだなあと聴きながら思いました。


Pentangle - Let No Man Steal Your Thyme (1968)


 先輩もアコースティックギターは一応試してみたものの、うまくならず部屋の隅にありましたので、ちょっとお借りして弾いてみました。


 和製フォークのコード本を見ながら先輩も歌ったと思います。ぼくがちょっと声真似をして当時流行りの「22才の別れ」を弾き語りすると似ていると言って喜んでくれました。


 泊まった夜だったかにキルケゴールの『死に至る病』を見させてもらいました。


 冒頭「自己とは自己自身に関わる一つの関係である。・・・」こんな感じがしばらく続く文章でした。先輩も一応解説してくれますが、さっぱり判らず終いでした。


 KSさんの実家は九州の名家で帰郷してからはビル経営とかそういう身分でした。

ジャズ・ヴォーカル Jazz Vocal (音あり)

 昭和49年~50年ぐらいの時期だと思います。友人Kと三鷹市の女性Iさんのアパートを訪問してジャズ・ヴォーカルのレコードを聴かせてもらいました。
 IさんはKと同じ歳でぼくより1歳上です。しかも上にお姉さんがいるせいかやはり聴くものが進んでいました。Kはもう知っているふうな応対をしていました。


 まず聴かせてくれたのはヘレン・メリルの1954年録音の有名なレコードです。's WonderfulとかYou'd be so nice to come home to 、What's new?とか名曲揃いのあのレコードです。ハスキーなメリルのヴォーカルはもちろんアレンジがすごくいいし、クリフォード・ブラウンのトランペットは天才的です。

Helen Merrill with Clifford Brown / You'd Be So Nice To Come Home To


 次はアン・バートンでした。「ブルーバートン」と「バラードアンドバートン」どちらも透明感があって心象風景的なジャズでした。あと北欧のカーリン・クロッグのキレのあるヴォーカルを聴きました。その日だったか次の機会だったか忘れましたがLPを4枚借りました。

THE SHADOW OF YOUR SMILE - ANN BURTON.wmv
 昭和51年ごろ、Iさんとは吉祥寺のSometimeに行ってライブを聴いたりしました。彼女の郷里長野の松本にサークルの友人Oと旅行に行ったときも会って、70年代に多くあった山小屋風の喫茶店で話したり、松本城、美ヶ原高原美術館を見学したりしました。
 IさんもOもふたご座です。
 Oはぼくの父方の祖父が亡くなった日に生まれました。奇遇です。

ゲイリー・バートン

 76年(昭和51年)ごろはジャズ喫茶でフュージョンやキース・ジャレットを聴くと同時にジャケ買いもするようになりました。新宿コタニで気になるレコードを見つけました。ゲイリー・バートン・クインテットによるプレイズカーラブレイです。

Gary Burton Quintet • Dreams So Real (1976) US



 英語ではDreams so realです。ジャケットの写真が淡いカラーでブレを使っています。カーラ・ブレイってどんな人だろう。パット・メセニーというギタリストも参加している、とその時思いました。この盤のほうが先にメセニーを聴いたわけです。


 聴いてみたらイメージ通りでした。3、4回コタニに通ってイメージを構築していきました。LPレコードはなかなか試聴できるものじゃありません。ジャケ買いするにしてもそのころジャケ買いという言葉もなく、果たして気に入るかどうか賭けのような心境です。カーラ・ブレイとパット・メセニーがどうしても確かめたくて買ったら大当たりなわけです。


 このアルバムは未だに聴きます。1曲めのアルバムタイトル曲は本当に気に入っていて、イメージとして盛夏冷房がかかった部屋もしくは厳冬暖房がかかった部屋で聴く音楽です。記憶の底にあるのは、友人Kと真夏の暑い日原宿を歩いていてヒョイと入ったジャズ喫茶でかかっていたような音楽です。そこは冷房がガンガン効いていました。
 
 パット・メセニーは12弦のエレキ・ギターを弾いていてミック・グッドリックとツインギターになっています。アルバムの2曲めからフリージャズ的な曲になっていて訪ねてきた知人Aを驚かせました。カーラ・ブレイのフリー時代を探索するきっかけにもなりました。

下北沢 吉祥寺 ジャズ喫茶

 下北沢の「シェルブール」とか吉祥寺の「シモン」ではキース・ジャレットの「ソロ・コンサート」がよく掛かっていたように思います。70年代前半から半ばにかけてですか。
 だいたい友人Kとジャズ喫茶めぐりをしました。その彼の神奈川のご自宅に遊びに行ったらリビングが30畳ぐらいありました。昭和40年代後半から50年代にかけてですから、珍しくてずいぶん広いなあと思いましたね。


 そこでマランツかなんか(アンプのメーカーは忘れました)にタンノイのスピーカーで「ソロ・コンサート」を聴かせてくれました。正直あまりピンと来なかったですw音が籠っていて。オーディオのことは判りませんが、アンプとかスピーカーって相性もあるでしょうし、聴くジャンルで調整も必要なんでしょうね。一緒に訪ねた先輩KSさんも同意見でした。


 あとジャズ喫茶でキースの「ケルン・コンサート」もよくかかるようになりました。これは自分でもLPを買って耳にタコが出来るぐらい聴いたので食傷ぎみです。


 キースのソロで一番好きなのはアルバム「ステアケイス」です。最初FMから流れてきたのを聴いて気に入りました。これの「サンダイアルPart-1」は2000回以上は聴いています。

Sundial, Part 1

大正生まれの人々 続々

 母方の伯父(伯母の夫)は大正9年生まれですが、戦時中は大陸にいて戦後もシベリア抑留に遭いました。ソ連の湖に20日間浸かったまま戦友は次々と病死していったと聞きます。抑留されてからは、片言のロシア語で軍看護婦と懇意になり、物資を優遇してもらったそうです。伯父は生前ぼくと母と本郷のそば屋でロシア語の単語を教えてくれました。ロスキー、ヤポンスキー、ソルダット、ハラショなどです。
 やっと引き揚げてきて実家の文京区の家に着いたとき、土地を勝手に半分取られていました。ぼくらが本郷の伯父さんと呼んでいたのは昔、本郷區だったからです。東京は焼け野原だったので、関東のM市にたまたま就職し、伯母と出会って結婚したのです。伯母というのは肺けっかくで死んだ伯母の妹です。
 伯母は関東大震災の数日前に生まれて助かった人です。いまだに生きていて甥のぼくのほうが先に死ぬかもしれません(苦笑)。


 ある事情で知り合った初対面の小父さんと喫茶店で話したことがあります。その人は大正12年生まれですが、仙台二高という進学校出で、徴兵を遅らせるために、あわよくば召集を免れるために大学に進んだそうです。でも学徒動員で結局は戦争に行ったのですが、いい大学なので幹部候補で年上の部下といっしょに大きめの飛行機に乗り込みました。でも若いので年上の部下にいじめられたそうです。その飛行機は4、5人乗れるものだったらしく年若い幹部がいろいろと指示したんだろうと思います。