昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

渋谷 ロック喫茶

 いずれも75年から76年(昭和50~51年)の間のことです。

 渋谷の「ブラックホーク」というブリティッシュトラッドフォーク系のロック喫茶に行きました。
 友人Kが彼の兄か誰かに聞いたらしく、ぼくを誘ったのです。Kとは下北沢のジャズ喫茶を探索していましたから、そのときはたまたま渋谷で、フォークだったというわけです。


 サイトを見ると77年ごろにジャンルが変わったそうですから、ぼくらが店を訪れたのは末期ということになります。


 場所は百軒店と書かれていますが、どうもぼくはそういう認識ではありません。(百軒店という商店街は「神泉」駅近くにあるような記憶があるからです)


 フォークの店の順路はストリップの道頓堀劇場が右側にある坂の路地がそれです。
 
 路地の真っ直ぐ先は狭くなっていて名曲喫茶「ライオン」があります。その狭くなる路地の手前に「ブラックホーク」はありました。クラシックにもくわしいKはなぜか「ライオン」に行こうとは一度も言いませんでした。


 「ブラックホーク」に入ったときの記憶はおぼろげですが、何となく居心地が良くない印象があります。Kと店の外に出てホッとした心持がしました。
 音楽自体はアコギ中心の精逸なもので心地よいのですが、店内はマニアックな人しか楽しめない堅苦しい雰囲気でした。


 常連客などは店主に言伝て、隣りのムルギーカレーで有名なカレー店や中華屋「喜楽」で食べて、再び店に戻り長居することもあったそうです。
 (2000年代になってブリティッシュフォークなど欧米フォークの良さに目覚め、CDも入手しやくなったので聴き始めています。)



 別の機会に狭い路地を行ったところの「ライオン」の一軒手前のロック喫茶「B・Y・G」に入りました。この時もKに誘われて行きました。
 ここはいわゆるロックがかかっているのですが、記憶違いでなければ絨毯かカーペットが敷き詰められて、靴を脱いでしゃがみこんで席についたような気がします。リラックスしてロックを聴こうという狙いかもしれません。が、逆にリラックスできませんでした。



 ここがロック喫茶であることは知っていました。「ライオン」に来た際、トイレに立つと隣りの店のロックが漏れ聞こえていたからです。

LPレコードの溝を掃除する方法

 レコードは年月が経つと溝にゴミが詰まったりカビが生えたりしますね。その掃除の仕方を書きます。 


 昭和50年ごろだと思いますが、FMラジオでアスペクト・イン・ジャズという番組がありました。DJは油井正一でした。
 油井がレコードの溝の掃除の仕方を放送で教えてくれました。


 ゴミとかカビでも溝に詰まったレコードを用意してください。市販の木工用ボンドも必要です。


 レコードをレーベルと同じぐらいの大きさの灰皿でもご飯茶わんでもいいですが、乗っけます。
 溝の部分つまりレーベル以外の黒い部分に木工用ボンドを塗りたくります。指で塗るのが一番やりやすいと思います。


 溝が傷つかないようにやさしく撫でるように塗ります。均等に塗ってください。慎重にひっくり返して反対の面も塗ります。


 30分か1時間ほど放置します。乾かすわけです。ボンドが半透明になってきます。


 完全に乾いたらボンドをペリペリっと剥がします。溝のゴミとかカビはだいぶ取れているはずです。一度で取れない場合は二度やってみてください。


 はじめは溝がないところで試すのもいいでしょう。自信がついたら本番をすればいいのです。


 この方法でくぐもっていたサウンドがクリアになりました。にごっていたサウンドがクリアになりました。実は図書館で借りたレコードもひどい状態のものはボンドパックしたことがあります。


 これらの方法はすべて油井正一が放送で言っていたことなので、どこかのサイトなりネット上でくわしいやり方が載っている可能性もありますので、ご確認ください。


 大切なレコードの場合慎重に行なってください。

機械にも感情がある?!

 ちょっと昭和の話ではないんですが、機械にも感情があるのではないかと思う体験談です。


 世田谷の家を売って都心に物件を探すため、郊外のC市に仮の住まいをしていたころです。そのマンションはうちが持っていたもので他人に貸していたのですが、ちょうど折りよく空室になったタイミングでうちが住むことになりました。


 自分専用の自転車があったのですが、そのマンションは駐輪場がいっぱいだったので路上に停めていました。数か月後、都心の物件でいい塩梅のものが見つかりました。
 でもそこへは自転車は持っていかれないと思いました。というのも都心の物件は高台で坂が急なので、電動自転車に買い替えたらどうですか?と不動産屋に薦められたのです。だったらいい機会なので買い替えようと思いました。当時はまだ電動自転車は現在ほど普及はしていませんでした。
 じゃあ現在使っている自転車は廃棄処分にしよう、と心の内で決めました。


 その翌日F市の警察から横浜市の叔母のうちに電話が入りました。〇〇〇〇さんご存じですか?と。叔母は甥っ子が何かやらかしたのか?と瞬間思ったそうです。


 真相はC市で酒を飲んだ人が深夜路上に停めてあったうちの自転車に乗って、F市を走っているところを警察官に呼び止められ、職務質問され自転車泥棒だと発覚したのです。ぼくは後輪にカギをかけていたのですが、そのカギごと直角に捻じ曲げられていたそうです。


 F警察が叔母のうちに電話した理由は、自転車の登録先に電話しても世田谷の家はすでに引き払っていましたから、電話番号は抹消されていました。なので連絡のしようがないわけです。登録書類の臨時連絡先に叔母の名前が記入されていたので連絡が入った、というわけです。



 また別の話です。ぼくは電子書籍のソニーリーダーを使っていましたが、電子書籍の購入できるジャンルが違うということで東芝のタブレットを買い足しました。途端にソニーリーダーが作動しなくなりました。どうやっても動かないので仕方なくリセットボタンを押してアーカイブファイルから入れ直しました。
 また昨年入院して退院した後、Kindleを買ったときもソニーリーダーが動かなくなったのでまたリセットボタンを押しました。


 どうやら機械もすねる感情があるのではないかと思います。

中古レコード店「ハンター」 Terje Rypdal

 昭和55年ごろ深夜番組を見ていると中古レコード店のCMが流れていました。
 「銀座!ハンターッ!」確かソニービルの地階にあったと思うんです。それと数寄屋橋にもありました、「ハンター」が。


 ある日数寄屋橋の「ハンター」でLPレコードを物色していました。
 客がレコードを探しているときのパタパタパタ、コンコン、あの独特の中古レコード屋の音懐かしいですね。


 そのときテリエ・リピタルがかかったんですよ。Terje Rypdalです。


 アルバムタイトルは「Whenever I seem to be far away」(ECM)です。それの「Silver bird is heading for the sun」という冒頭の曲でした。カッコいいんですよ。

Terje Rypdal - Silver Bird Is Heading For The Sun (vinilo)



 ディストーションの掛かったエレクトリックベースがズーーンって重い感じで、フレンチホルン(もしかしたらミュートトランペットも)とかで奏でられ、
 途中からメロトロンがぬめーっという感じで入ってきます。(正確にはメロトロンは冒頭からあります)


 それでリプタルのエレクトリックギターがジャーンです。徐々にソロになっていきます。


 ぼくは思わず「ハンター」店内でジャケット(now playing)を手に取って見ました。


 これいいなぁ、と思ったのです。


 フェンダーローズが絡んで、ギターは本格的に佳境に入っていき、非常にスリリングなソロを聴かせてくれました。
 ジャズロック、クロスオーバー史上屈指のギターソロではないかと個人的には思います。

バンド ⑤

 昭和54年から55年にかけてだと思いますが、ジャズ雑誌でメンバー募集していたので応募してみました。いつかぼくが募集したときに電話してきたサックスのNさんです。


 最初に会ったのがどこだったか定かではありませんが、ジャズ喫茶だとすれば杉並区です。Nさんのトリオの演奏を観に行きました。でもスタジオのほうが先だったかもしれません。そのあたりは相前後していました。スタジオは中野区にありました。安いけれど狭くて汗臭いスタジオでした。


 Nさんは新しいバンドを作るつもりのようでした。ぼくはベースで参加しました。あとドラムがもうひとりのNさんで、ピアノのKさんとシンセのSさんという編成です。
 曲ごとにテーマというかリフがあって、その後はフリーインプロヴィゼーションです。


 完全フリーではないです。ぼくらを信用していなかったのか、Nさんに自信がなかったのか、判りませんが、バンド解散までとうとう完全フリーというのは記憶にないです。


 どうやらフリー志向というのは建前で実はジャズをやりたかったようです。ベースはこうやってくれとか言い出していました。それでいてNさん自身はジャズ的イディオムを一向に吹きません。正確に言えば吹けないのです。そこはW市のHと似ているのですが、ジャズっぽいフレーズが全然出てこないのです。
 バスクラに持ち替えても同じです。エリック・ドルフィーのように吹けとは誰も言いません。でもバスクラ特有のムードってあるじゃないですか。それがないんです。
 そもそもサックスがコルトレーン風でもアンソニー・ブラックストン風でもありません。敢えて言えばチンドン屋さんです。
 笑えません。メンバーにとっては鬱々として厄介な問題です。
 ただいい経験はさせてもらいました。吉祥寺のライブハウスで豊住芳三郎と共演できました。Nさんは有名ミュージシャンと知り合いのようでした。講釈だけはすごいんですよ。営業マンですから。


 脱退はぼくのほうからでしたが、バンド自体が解散になりました。でもケンカしたわけではないので35年ぶり40年ぶりにどこかでお会いしても笑って話せると思います。