昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

幼稚園の人々

 平河町の停留所で降りて通っていたのは、N幼稚園です。


 N幼稚園の同期で赤坂のひとは赤坂田町のGさん(数字が二つ入っている珍しい苗字)このひとは幼稚園児と思えないぐらい大人びた美人でした。
 真面目な感じのSさんもGさんと近所だったと思います。二人とも料理屋さんの娘だったかな。住居表示的には現在は赤坂3丁目です。


 赤坂新町だったか田町だったかバッテリー屋さんの娘Tさんも同期です。50過ぎた時点で幼稚園時代と同じ色白の顔です。Tさんが夏の体育の時間水着に着替える際、ぷりんとパンツを脱いでしまい白いお尻が印象的でした。びっくりしたので覚えています。


 赤坂新町のH美容室のH君はおかあさんと似ていました。ここも3丁目です。


青山通りの都電

 現在では薬研坂のてっぺんに横断歩道があります。信号もあります。
 昭和30年代特にオリンピック前は青山通りの交通量は少なかったと思います。横断歩道ももちろんありません。


 都電9番線「水天宮行き」と10番線「須田町行き」が表町もしくは赤坂支所前を通りました。バスも走っていました。幼稚園のころは都電で平河町まで乗っていきました。小学校からバスに乗って通ったような記憶があります。


 9番線と10番線は三宅坂で左右に分かれます。銀座方面に行くときは9番線に乗って行きました。


高橋是清公園

 赤坂表町には高橋是清公園があります。現在は赤坂7丁目。
 ドイツ文化会館の路地もこの公園に突き当ります。いったん青山通りに出て右に草月会館がありますので、左にもう公園は見えていると思います。


 高橋公園には思い出があります。表町のY子ちゃんと2人っきりで遊びました。苗字は知らないです。Y子ちゃんは一つ下で、数年後渋谷のほうへ引っ越してしまいました。


 公園の奥のほうには是清翁の銅像があります。これが子どもにはちょっと不気味でした。
 もう少し奥に行くと実は出口がありまして階段を降りると路地です。この付近は細川の殿様の別邸があったそうです。それと偶然ですが、銀幕スター細川ちか子邸もかつてはあったそうです。


赤坂丹後町ってどこ?

 昨日書いた丹後町の喫茶店というのは当時の正式な住居表示は一ツ木町のようです。
 丹後坂というのがあって山脇学園の女学生さんが利用する階段があるのですが、その近くなので勘違いしました。



 で、丹後町ってどこなの?ってことになりますが、
 現在では赤坂4丁目あたりです。部分的には必ずしも一致しません。


 牛鳴坂(青山通りに近いところ)に当時あったI歯科にはけっこうかかりました。でも後年わかったのは免許が無かったそうです。


薬研坂(赤坂丹後町)のパン屋さん

 3歳ぐらいだったでしょうか、丹後町のパン屋さんまでうちから子どもの足で2分ぐらいかかったと思います。
 20円を握りしめて菓子パンを買いにいきました。


 チョココロネもクリームパンも名前が分からない。しかたないので勝手ににょろにょろパンとグローブパンと呼んで、パン屋のおねえさんに分かってもらえていました。


 無事にパンを買えるとうれしさいっぱいで家路につきました。


 今考えるといくら交通量が少なかったとは言え、薬研坂を3歳児が横切っていたのです。
 親がよく子ども独りでおつかいに行かせたなと思います。