昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

ストリップ劇場

 昭和50年代にストリップを初めて見たと思います。
 渋谷の道頓堀劇場、新宿の二丁目近くと西新宿にもありました。渋谷は東急プラザの裏通りの立ち飲み屋街の先にもありました。


 コント赤信号はブレークする前にストリップ劇場の幕間に一、二度見かけました。
 「福助の足袋」のネタがブレークする前です。見たときに思ったのは、こいつらホントのチンピラなんだろうな、です。


 新宿の二丁目あたりにあったニューアート何とかという劇場ですが、新宿の路地にいる本当のチンピラを連れてきてコントをやらせているとしか思えなかったです。逆にそのぐらいリアルなインパクトがあったとも言えます。


 よく渋谷の道頓堀劇場の話が出ますがたまたまですが見かけたことはありません。


 ストリップの幕間のコントなんてたいがい客はそっぽを向いています。ですが記憶にあったのですから、それは特別な存在感があったんですね。



 まもなくテレビに出てきたときに、ああ、あいつらかと思ったら、早くもブレークでした。


 今見て笑えるかどうかは別です。当時としては斬新に感じたんですね。

東京都庁本庁舎

 昭和60年前後(1980年代半ば)ですか、友人Aと西新宿を散歩していたら、ライブの音が聴こえてきました。見ると窪地の広い空き地でマイルス・デイヴィス・バンドが演奏していました。


 ギタリストがマイク・スターンというのは覚えています。その筋の詳しい方なら年代が特定できるかもしれません。もちろん野外会場は観客でいっぱいでしたが、われわれ通りすがりでも陸橋のところから無料で見れました。
 今思えばあれだけの広い空き地というと、東京都庁の庁舎が建ったところだったんですね。数年間空き地でしたから、自転車で通りがかるとどんな建物が建つのかと眺めていました。


 もっと時代を遡ればかなりの広い範囲で、淀橋浄水場だったところです。淀橋區だったころです。角筈です。
 その西側には十二社(じゅうにそう)という街があって温泉や花柳界もあったようです。現在でも温泉はあるようですね。
 浄水場との間に熊野神社があったり、小西六(さくらフィルム)の六櫻社があったりしました。

フォーレ ピアノ五重奏曲 ④

 フォーレのピアノ五重奏曲でおススメしたいもう一枚のCDはVOXBOX盤です。92年盤は簡素な絵柄のボックスでした。最新盤はジャケットもキレイになっています。


 演奏者は、
Jacqueline Eymar:Piano,Gunter Kehr & Werner Neuhaus:Violins,Erich Sichermann:Viola,Bernhard Braunholz:Cello
です。演奏は派手さは無いもののなかなか素晴らしく音程もいいです。どこかほのぼのした空気も感じられます。


 このレコードを初めてLPで聴いたのは新宿区の民間の音楽資料室でした。各席にレコードプレーヤーが設置してあり、ヘッドホンで聴きました。
 資料室の窓が開いていて街の風景を見ながら聴いたのでとてもほのぼのした記憶があります。



 ただしこの録音には一か所だけ楽譜の読み間違いがあります。第一番の第2楽章、ヴァイオリンの87小節めの臨時記号♯を見落としています。6音めの♯を反映させていません。時間でいうと7分19秒のところです。


 レコードで試聴した時は耳だけ感知していましたが、後年楽譜を入手してどこの箇所か判明しました。


 当時第二番の楽譜は市販されていましたが、第一番の楽譜は入手困難でした。草月ホールで安田四重奏団の演奏を聴いたので、事務所に連絡して楽譜の入手先を問い合わせしました。


 都内の音楽大学資料室でレンタルしたとのこと、ぼくもその音大に出かけて簡単な質問に答えて(フォーレ没後50年経っているか等)後日楽譜の複写を送ってもらえました。6000円ぐらいでした。


 その楽譜を元にコンピューターに入力しました。ヤマハのCXシリーズだったと思います。8音しか入力できないのでピアノの両手と弦楽の全ての音を入力するのは無理です。ダブった音は1~2音省略しました。


 まだデータはカセットで管理する時代でした。
 ある時カセットが磁気を帯びてしまいデータを見たとき、楽譜にひらがなやカタカナ、記号などがバーッと出ました。思わず声を上げて背筋がぞーっとした記憶があります。

「赤坂の姉妹より 夜の肌」詳細 ②

 安保反対のデモのシーンは実写かエキストラか判別できない部分があります。国会議事堂前でわざわざエキストラを雇って撮影するほど悠長な時勢であったか疑問です。とすれば実写を撮ったことも十分考えられます。
 デモ隊の中には笑っている若者もいます。エキストラに笑わせるだろうか?と考えると実写の可能性も大と思います。聞くところによると、当時デモに参加した若者は安保の法令を読んでいなかった、といいますからニヤけるのもむべなるかなと感じます。


 安保闘争の議論の中で社会主義系としてヒラリーの『自己疎外と〇〇←読み取れませんでした』という本が出てきます。この書名は架空のようです。55年体制以降自民党中心で動いていた世の中で赤坂の花柳界もリンクしていたわけですが、どこまで社会主義系の政治家や学者、若者が赤坂の町に馴染んでいたか、ぼくには判りません。ただ安保闘争に関わる人員がいても不思議ではありません。監督の川島雄三の関心が強かったことは言えるでしょう。
 料亭の女将さん役の山岡久乃が、
「赤坂の町も先が見えてきたってこと。オリンピック過ぎたらどうなることか分かったもんじゃない」
と言うセリフがあります。早くもそんなことが裏でささやかれていたのか、とちょっとびっくりしました。祖母が昭和42年に金庫を退職する下地にこのような意識がすでにあったのかもしれないです。
 戦後まもなくの赤坂の復興がだいぶ進んだ状況で、今度は現代文明の波が古き良き文化を排除していったと見ることができます。


 主演が淡島千景というのはちょっと物足りない感じがありますが、山田五十鈴では貫禄があり過ぎます。京マチ子では関西色が強く、乙羽信子では華やかさが足りない、高峰秀子はタイプが違います。山本富士子ではアクが強すぎる、など考えると消去法で淡島と考えられます。ただ現実の赤坂のオバさま方は乙羽信子タイプが多いような気がします。


 縁日の実写風景は赤坂の知っている顔を探してしまいました。


 伊藤雄之助の政治家役はこなれています。淡島や久慈あさみを弄ぶ役柄です。フランキー堺は新珠三千代の恋人役ですが、香港やブラジルに飛んでいってしまいます。久慈は社会主義系学者の三橋達也に別れを告げ社会党系の伊藤に接近します。淡島に袖にされた田崎潤の仕返しもあります。
 山岡が淡島にキツい言葉を切り口上で告げます。これなどは一番ピリッとさせる場面ですが、現実の赤坂の人は違っていただろうと思います。山岡のような色気に乏しいオバサンがギスギスした口調で言うんではなく、脂の乗ったいい女が思いやりを残して苦言を告げるのだと思います。


 料亭での宴会のシーンは総理大臣まで登場して、短い時間ですが芸者衆の歌舞音曲まで披露します。料亭の店舗の外観は「A田」に似ています。

 高峰秀子は出演していませんが、参考のため。

「赤坂の姉妹より 夜の肌」詳細 ①

 以前映画「赤坂の姉妹より 夜の肌」について触れましたが、もう少し詳しく書きます。


 昭和35年当時の赤坂の見事なカラーの実写が見られます。原作は由紀しげ子の『赤坂の姉妹』です。国会議事堂前に花を手向けるシーンはこの年60年安保闘争で亡くなった樺美智子への川島雄三監督の思いがあるらしいです。


 山王下、日枝神社、豊川稲荷、氷川神社、料亭街、芸者、人力車、溜池の自動車屋、TBS社屋ビル建築前の工事現場(どういうわけかテレビ東京として登場します。12チャンネルが昭和35年創業ということかもしれません)、一ツ木の縁日風景、角のイズミヤの店舗、四方酒店、タイヤ屋など、とにかく昭和35年そのままの街並みが見られます。



 これだけで十分この映画を見る価値はあります。というかこここそ見るべきところです。すでに昭和39年の東京オリンピックの話題は出てきます。
 赤坂見附の立体交差の映像は出てこないのでまだ着工していないのか、基礎工事ぐらいだったのかもしれないです。


 主演は淡島千景で、他の出演は新珠三千代、伊藤雄之助、フランキー堺、三橋達也、山岡久乃、久慈あさみ、露口茂、蜷川幸雄などです。
 淡島と新珠は姉妹役、そのまた末の妹が安保闘争の若い女性は無名の女優です。実写と見まごうデモのシーンもあります。


 内容は水商売のママに取り入る政治家や実業家、反体制的な学者、若者が同じ領域を共有しているという設定です。本屋のK堂の並びあたりから山王下の鳥居が見える、その通りは何度か登場します。
 縁日の風景は一と六の日いずれかに撮影を行なったと推測できます。