昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

青山 赤坂 イギリス音楽

 青山一丁目の交差点から六本木方面、外苑東通りですか、あそこの赤坂8丁目9丁目のあたりは独特の雰囲気があると思います。


 ベンジャミン・ブリテンのヴァイオリン協奏曲が似合います。都会の中のエキゾチックさを感じるのです。


 このエリアで夜になると、ブリテン・コネクションというピアノ曲選集があるのですが、いくつかの曲で雰囲気ぴったりのものがあります。


 レノックス・バークリーとかフランク・ブリッジとかブリテンの先輩もいてスティーヴンソンなどの後輩もありのアルバムです。


Anthony Goldstone - Benjamin Britten Night Piece: Notturno



 赤坂8丁目9丁目のマンションが林立するあたりで夜になると常夜灯の明るさが目立ち、マンションのコンクリートと中庭や建物の周りを囲んでいる緑が都会の安らぎを喚起させて、ブリテン・コネクションのピアノ曲にぴったりです。


 それと同じイギリスのウィリアム・ウォルトンのヴィオラ協奏曲も似た感覚があります。
 ウォルトンのヴァイオリン・ソナタは東宮御所内(もちろん入ったことはないです)に咲く可憐な花々を連想します。
 弦楽四重奏曲は平河町から赤坂見附の立体交差の風景を連想させてくれます。


 これらはたぶん容易に理解されない感覚だと思いますが、92年のバルセロナオリンピックのころにイギリスの近代・現代音楽に触れ、そう感じるようになりました。

青山のピーコック

 話はさかのぼりますが、表町のころ、母に連れられて青山のピーコックまで買物に行きました。
 表町の停留所で都電を待って乗るよりも、青山一丁目まで歩いていけば後は外苑前までのんびり歩くだけです。


 父が慶応病院に入院していた時も、青山一丁目まで歩いて都電に乗って権田原を通過、信濃町まで通っていましたから、青山一丁目までは慣れっこになっていたのかもしれません。
 草月会館、高橋公園、カナダ大使館、郵便局、そうこうしていると青山一丁目の交差点です。現在は角にHONDAがありますね。


 とぼとぼ歩いても外苑前の駅を過ぎると青山通りと外苑西通りの交差点が見えてきてピーコックはすぐです。案外近いんです。
 向かいの東急ストアがそのころあったかどうか思い出せません。帰りも歩いてしまいました。母も時間的に余裕があったんだと思います。ぼくにとってはいい運動になったと思います。
 実はあんまり覚えてないので、そんなに苦痛ではなかったんだと思います。


 青山通りというと今やわざわざ車で通るほど景観がいいですが、当時はもっと狭く平凡な通りだったと思います。


 昭和10年の映画「二人妻 妻よバラのやうに」には青山通りかな?と思えるような風景が映りますが、こればっかりは確かめようがありません。

港区の街の雰囲気

 港区は独特ののどかさがあると思います。
 引っ越しばかりを経験しましたから、その区の特質というのは住んだらもちろん判りますが、区役所に行った時点で何となく雰囲気が違います。

 新宿区と渋谷区でも違います。区役所も渋谷区のほうがのんびりしていて開放感があります。住む環境によってもちろん雰囲気も違いますが、スーパーの客の空気感は肌で感じられます。引っ越す場合はスーパーで買物をしてみると意外な発見があるかもしれません。

 品川区はちょっと気ぜわしくマナーに問題ありなところが多いです。大田区は住んだことがないですが、街にはのどかさがあります。



 昭和30年代の港区はのどかで落ち着きがありました。世田谷や杉並の住宅街に行けばそれは落ち着きがあるのは想像できますが、赤坂は商店街においても落ち着きがあったと思います。昭和30年代ならよけいにそうです。
 意外に思われるかもしれませんが、赤坂の住民は見栄を張らず、落ち着きがあってお人好しです。バブルのころにうんと騙されて不動産を処分しなきゃいけなかった人もいると思います。
 前回の三田あたり、白金あたりもそうでしょうか。麻布はもちろんそうですが、前回書いたような、はっぴいえんどの「風街ろまん」が似合う街並み、路地があったと思います。



Frederic MOMPOU: Impresiones Intimas, No. 8 (Secreto)
 ( ↑ これはラローチャではありませんが、たまたま見つけた落ち着いた演奏です。)


 個人的にはフェデリコ・モンポウのピアノ曲「内なる印象」が昭和30年代の港区を想起させます。アリシア・デ・ラローチャの演奏がゆったりとしていて、子ども時代の路地で遊んでいた記憶を甦らせてくれるのです。

三田の界隈

 三田綱町のあたりを散歩したことがあります。


 日向坂(ひゅうがざか)を上っていく場合、その手前は麻布十番で二の橋を渡ることになります。左側は三田小山町というところです。20年近く前ですが何と路地には豆腐屋さんがポツンとありました。現在はどうなんでしょうか。


 坂を上るとオーストラリア大使館がありますが、三井倶楽部とかいいたたずまいですね。もう少し行くとイタリア大使館もあります。三田2丁目あたりです。



 別のルートで散歩したこともあります。天祖神社のある神明坂という小さな坂です。上りきったところに三井倶楽部とオーストラリア大使館が見えます。手前は竜原寺の敷地がありまして、昭和を思わせる水道管がありました。このあたりはアングルをいくつか変えて写真を撮りました。


 その時ふっと頭に浮かんだのは、はっぴいえんどの「風街ろまん」の風景でした。「風をあつめて」「夏なんです」とかです。「夏なんです」は実は群馬県だとどこかで読んだ気がしますが、昭和30年代の港区はのどかなたたずまいの記憶があります。




夏なんです(3人はっぴいえんど)




 赤坂生まれで赤坂育ちですが、港区という括りで言うと三田のこのあたりもむしろ港区の色合いは強いのではないかと思います。


 天祖神社をお参りして神明坂を下ったあたりはまったくありきたりの通りですが、昭和を想起させる空間があると思います。

港区のアパート

 表町のCマンションの1階は車が駐車できるスペースがありました。潜っていくと裏庭みたいなところに出ます。都会のオアシスみたいな子どもでも静寂に浸れる空間がありました。そのころから一軒家にない都会的な雰囲気に憧れる因子を植え付けられたような気がします。
 昭和30年代の映画の中の高峰秀子や田宮二郎の帰っていくアパートは青山や麴町にあったと思えます。
 日活「風船」(昭和31年)という映画のダンサー役北原三枝が住んでいたアパートも都心にありました。訪ねてくる二本柳寛は外人とすれ違います。アパートと言っても形態はマンションと変わりません。
 デザイナーでタレントの四方氏は上京して三田5丁目のマンションに住むのが憧れだし目標だったと語ったことがあります。昔は芝區三田豊岡町というところでした。
 港区的な空気を漂わせる地域は麻布や青山だけではありません。三田あたりも戦後港区ですから実際出かけてみると港区の空気を感じます。昭和30年代から千代田区(旧麴町區)や港区には都会的なアパート(マンション)がありました。