昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

ゴーゴー イエイエ French pop yeye


Stella - J'Achète des Disques Américains..
 ナウなヤングに捧ぐ




France Gall - Le temps du tempo (1968)
 フランス・ギャルにしては珍しいジャズ調。今ボウリングブーム再来だそうです。




Yé-Yé Girls of '60s French Pop
 曲はクロチルドの「猫のしっぽを踏んじゃダメ」です。




Pussy Cat ‎- Ce N'est Pas Une Vie (1966) [Original Mono]


奉和觀落葉    滋野貞主 (一部加筆)

 嵯峨天皇の御製「落葉を見る」に唱和し奉っての作品。
 滋野貞主(しげのさだぬし)、延暦4年ー仁寿2年(785-852)『経国集』の撰者。
 御製は残っていません。


  奉和觀落葉      滋野貞主
 
 寒聲落葉簾前雨    寒声(かんせい)の落葉(らくえふ)簾前(れんぜん)の雨、
 點着閑筵不濕衣    閑筵(かんえん)に點着するに 衣を濕(ぬ)らさず。
 聞道璇璣秋月暮    聞道(きくなら)く、璇璣(せんき)秋月(しうげつ)の暮、
 聖年宮樹待黃飛    聖年の宮樹(きゅうじゅ) 待て黄飛(くわうひ)すと。



 璇璣=美玉で飾った天文を計る機械、渾天儀(こんてんぎ)。ここは北斗七星の第一星より第四星までをいい、星の経過をさす。


 イエズス会の東西渾天儀



 渾天儀のある道教の寺



 シャリオールの渾天儀をモチーフにした時計




 全然関係ないと思いますが、気功で璇璣といったらここだそうです。☟


 閑筵=静かな座席
 點着=点々とつく落葉
 聞道=六朝以来詩に多くみえる句法。「道」は接尾の助字とも「道(い)う」(言う)の意ともいう。
 秋月=秋という月、季節。
 待黄飛=「待つ」は散るべき秋を待つこと。


 寒々とした音を立てて木の葉が散る、すだれの前に降る雨のように。静かな坐席(むしろ)の上に点々とつく落葉。、雨のように衣が濡れることもない。
 聞くところによると星は廻って今や秋の暮れ、治まる聖代(みよ)の宮廷の木々の葉は秋という時を待って黄色に色づきつつ飛び散っているとか。



 加筆*伊賀山人さんのご指摘で無事「點」が変換できました。



              (参考:岩波書店)

GSヒットの原曲

 1曲めは「今日を生きよう」ザ・テンプターズ。

The Grass Roots - Let's Live For Today - [STEREO]
 有名なバンド。タイトルがまんまです。

The Rokes - Piangi Con Me
 同曲、これはイギリスのバンドですがイタリアでヒットしたそうです。当時日本でもヒットしたそうですが、まったく知りませんでした。
 この2バンドを聴くかぎり、わがザ・テンプターズもかなりいい線いってると思います。
 オマケ

Ben E. King and The Drifters - I Count The Tears




 「キサナドゥーの伝説」ザ・ジャガーズ

Dave Dee,Dozy,Beaky,Mick & Titch - Legend Of Xanadu [totp2]
 


鴨東四時雑詞   中島棕隠

 中島棕隠の京都の風情を詠った詩です。

 鴨東四時
 


 鴨東四時雑詞(おうとうしじざつし)   
  其九十一             其の九十一


 繊手鳴刀各慣忙       繊手 刀を鳴らして 各々忙に慣る
 店頭菽乳照紅裳       店頭の菽乳(しゅくにゅう) 紅裳(こうしょう)を照す
 軽軽串得稜稜整       軽軽 串し得て 稜稜(りょうりょう)整ふ
 三尺泥爐炙雪香       三尺の泥爐(でいろ) 雪を炙って香(かんば)し


 泥爐=土製の爐(いろり)


 鴨川の東、祇園の花街の風俗を詠んだ詩。
 祇園の飲食店でしなやかな女性の細い手でかつ手慣れた手つきで包丁をさばき、豆腐を串刺しにして、土製の爐で炙って客に出す様、香ばしい匂いが立ち込めている。


 繊手=女性の細い手
 菽乳=豆腐
 紅裳=赤い前掛け
 稜稜=かどだつさま
 雪=豆腐の形容

 『鴨東四時雑詞』中島棕隠


 『洛中洛外漢詩紀行』(人文書院)をひもといてみますと、
 棕隠の『鴨東四時雑詞』はヒットして昭和初期まで版を重ねて売れていたそうです。鴨東は通常祇園と呼ばれている地域です。江戸時代の中頃から芝居小屋や茶屋が立ち並んで遊興の街として賑わいました。
 鴨東は平成の今も賑わっていますが、様相は変わりました。
 かつては四条橋から縄手通の大和橋あたりにかけての一帯、鴨川と白川に臨んで茶屋が櫛比(しっぴ)する艶冶(えんや)な花街の風情を醸し出していました。
 四条河原の東岸には、縄手通に沿った二階建て茶屋の裏座敷が落ち着いた連子(れんじ)窓を並べ、白川の流れが鴨川に注ぐあたりには「縄手引込み茶屋」冨田屋名物の二本柳が川面に大きく枝にしだれかけています。
 今はそのどれ一つとして残っていません。

 山口素絢の絵
 

 オランダ人が蘭医と共に食事に呼ばれた図。またオランダ人は街に出て鴨東の豆腐店に寄り、炙った豆腐を食べたということです。

 四条河原夕涼図



ぶらんこ遊び  嵯峨天皇

 嵯峨天皇は桓武天皇の皇子、大同四年(809)に生まれました。
 「寒食」の季節にぶらんこ遊びする宮女たちの様子を詠じたものです。

 「鞦韆」



  鞦韆篇(しうせんへん)     嵯峨天皇(さがてんわう)


 西日斜          西日(せいじつ)斜(くだ)ち、
 未還家          未だ家に還(かへ)らず。
 此節猶傳禁火       此の節猶(なほ)し禁火(きんくわ)を伝ふ、
 遂無燈 月爲燈      遂(つひ)に燈(ともしび)無く月を燈と為す。
 鞦韆樹下心難歇      鞦韆(しうせん)樹下(じゅか) 心歇(や)み難し、
 欲去踟蹰竟不能      去らんとして踟蹰(ちちゅう)し竟(つひ)に能はず。




 内容:「鞦韆」(ぶらんこ)の詩。冬至から百五日めを「寒食」といい、

 「寒食」


 すなわち「清明節」の二日前の日(現在の四月三、四日ごろ)に

 「清明節」(国はちょっとわかりません)


 中国では煮炊きをしない禁火の習慣があり、春の新しい火を迎える行事がある、そうです。
 その前後に「鞦韆」(ゆさはり)や「打毬」(まりうち)の遊戯も行われました。

 「打毬」(まりうち)(これは日本のようですね)



 嵯峨天皇の時代に宮女はぶらんこ遊び、男子はホッケーのようなことをやっていたんです。


 画像検索しましたら「騎馬打毬」というのもあって「ポロ」に当たるんでしょうね。カッコいい。


 詩の内容はぶらんこで遊んでいたらいつの間にか暗くなってすっかり夕方になり、月が灯のようになった。帰るタイミングを逸したという話。誰しも子どものころの思い出にあります。


        (参考:岩波書店)