昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

亀児が詩を詠ずるを聞く  白楽天  柏木如亭

 白楽天の詩を柏木如亭が訳したものを挙げます。



  聞亀児詠詩      亀児が詩を詠ずるを聞く    白楽天


 憐渠已解弄詩草    憐れむ 渠(かれ)が已に詩草を弄することを解するを
 揺膝支頤学二郎    膝を揺がし頤(あご)を支へて二郎を学ぶ
 莫学二郎吟太苦    学ぶ莫れ 二郎が吟に太(はなは)だ苦しむを
 年纔四十鬢如霜    年纔(わづ)かに四十 鬢(びん) 霜の如し




 〈柏木如亭譯〉
 憐(かあい)や渠(あれ)は已(いつか)詩草(し)を弄(つくること)を解(おぼ)えて
 揺膝(びんぼゆすり)をしたり支頤(ほゝづゑをつい)たりして二郎(おれ)を学(まね)る
 二郎(おれ)が吟(しをつくる)に太苦(なんぎす)るをば莫学(まねやる)な
 年は纔(やうゝゝ)四十だが鬢(びん)は 如霜(まっしろになった)


 電動貧乏ゆすり機



 亀児=自評に白楽天の子とあるが、正しくは楽天の甥。
 かあい=かわいい
 渠=彼
 揺膝支頤=苦吟搆思のさま
 びんぼゆすり=貧乏ゆすり
 二郎=楽天
 

 頬杖



          (参考:岩波書店)

深夜パーティー兼セミナーでバッタリ会った

 ぼくがそのセミナーに出席した理由はよく覚えていません。人間と会話ができるAIには泡を食いました。



 ぼく「ぼくは四枚刃のシェーバー、それは電動じゃなくて手動のT字のやつ、を持って洗面所に立っていたんだ。」
 AI「手に力を入れるとき、また手を動かすとき、力が入る以前と入った後、動く以前と動いた後の区別はついていますか。」
 ぼく「四枚刃だからシェービングクリーム無しでもヒゲは剃れると思ったんだ。」
 AI「力を入れるそのとき、そのつもりで入れますが、入れる以前にいちいち気づいていたり、注意していたり、意識していることは普通ありません。」
 ぼく「というのも、鏡を見るべくもなく、背中にかすかな体温を感じたので後ろを振り返ったら、妙齢の豊満な女性がパーティードレス姿であちらを向いて中年男性の顔ヒゲをやはりT字シェーバーでじょりじょり剃っていたのだ。」
 AI「手が動く以前は、手がどこにあり、何をしていたのかいちいち気づいた上で、手を動かしているのではありません。にもかかわらず動かす以前と違って、手が動くことに気づけます。」
 ぼく「ただね、実際剃ってみると意外に剃れないことに気づいたのだ。シェービングクリーム無しではやっぱ無理だなと感じた。」
 AI「その証拠に今まで思うように動いていた手が急に動かせないとなったとき、気づかないうちにしびれていて、手が動くこと、と動かないことの違いが怖くなるくらいはっきり分かります。」


 ぼく「部屋の見えないところで、というのもスイートルームになっていたので別室のほうでリラックスムードで談笑する声が聞こえた。ヒゲを剃られている中年男性は目を瞑ったままぼくの気配は感じていない様子だった。」
 AI「私たちは目に見えるものの動きは、一か所ずつちゃんと辿って飛ばずにものが動くので、動いているものが見えると思っています。しかしそれは仮現運動と呼ばれているものに過ぎません。」
 ぼく「ぼくは洗面所を離れていったんリビングのあるほうへ歩き出した。」
 AI「これらの感覚の変化が、変化として感じられるためには、それぞれ初めに感じる感覚が心に残っていくという働きが欠かせないということです。過ぎ去りゆく感じが残ることを過去把持といいます。」
 ぼく「リビングで数人が立食で談笑していると思っていたが、誰もいない。天井には小ジャレたシャンデリアが煌々と照らされていたんだが、一人もいなかった。」
 AI「そのつどの今に与えられものはすべて過去把持されていくのです。言い換えるとこの過去把持を伴っていないようなどんな瞬間も、どんな今も考えられないということです。」
 ぼく「何となくがっかり感はあった。しかたなくリビングを通って窓越しに超高層階の夜景を横目で見ながら、さっきのヒゲ剃り現場に戻ろうと思った。」
 AI「歩きながら何かをするとき、つまずいたり転びそうになったりします。歩いているとき先に出す足元の地面が平らで硬いことをいちいち気にかけることなく、いわば妄信して歩いています。考えながら歩くときとか散歩するときは先に出す足元の地面が地続きで硬いことは気づかないほど当たり前のこととして、まだそこに足が届いて確かめられていないにもかかわらず、素朴に信じられているものです。そうでなければ前に出す足に当たり前のように自分の体重をかけられません。」


 ぼく「リビングからダイニングルームへと曲がろうとしたらビックリした。妹が歩いてきたのだ。しかも背中を丸めて鼻水を垂らして。それでぼくには目を合わせない。他人みたいに知らんぷりして、それで半泣きの表情。肉親が自分に目を合わせないことがこんなに怖いことだなんて知らなかった。」
 AI「未来の足元に向けた信じ込みがなければ歩くだけでなく、転ぶことさえできません。なぜなら”転べた”のは意識にのぼっていない予感があって体重をその足元にかけたからです。不注意な予感が外れたからです。歩くのも転ぶのもこの予感があってのことです。」
 ぼく「去年死んだ伯母が妹に乗り移ったと思った。」
 AI「意識にのぼることのない予感の働きは意識にのぼらない、あるいはのぼっている過去把持と同様に、今体験する感覚の変化になるための感じる今に含まれ、直接それに属している働きです。この感覚の予感の働きを未来予持といいます。感覚の変化の前後関係は今に直属する過去把持と未来予持を通していつも感覚変化の前後関係になりえているのです。」
 ぼく「伯母は認知症でホームで療養していた。妹も認知症になったと思った。」


 以上、ある日の明け方見た不吉な夢と現象学を合体させたフィクションです。



         (参考:「現象学ことはじめ」)

ツァッテレ河岸   アンリ・ド・レニエ

 「ツァッテレ河岸」~(マチウ・ド・ノアイユ伯爵夫人に)

 マチュー・ド・ノアイユ伯爵夫人:マリー・アントワネットのしつけ係。マリーは夫人のことを「マダム・エティケット」と呼んでいました。


 という作品を紹介します。これはアンリ・ド・レニエ『水都幻談』の一節ですが、青柳瑞穂訳です。
 他に知られているのに『ヴェネチア風物誌』窪田般彌訳があります。内容は同じですが、訳はだいぶ違って青柳訳のほうは口語文語混合体です。
 なお、本文と画像の表記が異なる部分があります。




 われ、汝を愛す、おお、ツァッテレ河岸よ。汝の起点をなすドガナ岬より、汝の終点な

 ドガーナ岬


るカッレ・デル・ヴェントに至るまで、石畳の河岸に並ぶ家構のまちまちなるも面白く、  

 コッレ・デル・ヴェント


明るき昼の、暗き夜の、ながながと続くツァッテレ河岸よ。われは汝の全長を愛す、如何となれば、汝が甃石(しきいし)は、足ばやに歩むもよく、静かに歩むもよし、はたまた佇むもよければ。時間と季節によりて、日蔭なることもあり、日向なることもあり、おお、ツァッテレ河岸よ。


 われはサン・トロヴァゾの掘割より汝がもとに至ること多し。ああ、かの町角なる、ア

  サン・トロヴァ―ゾ


ーケードと藤棚のある家よ、そが藤も今年ふたたび来つればすでに黄ばみたれど。さあれ、十一月の太陽はヴェネチアの空に明るくかがやき、空気はうるほひて、すがすがし。そが空気を胸いっぱいに吸ひて、汝が歩道をそぞろ歩くは、おお、ツァッテレ河岸よ、何たる歓びぞ。眼前の広き運河をへだてて、彼方にヂウデッカの島影、三棟の教会堂と共に望み見えたり。かのサルビヤと糸杉の庭のゆかしきかな。

 ジウデッカ


 それ故にこそ、われ、ここに来たるなれ。右せんか、左せんか、そが判断に苦しむも、われは汝のことごとくを愛すればなり。おお、ツァッテレ河岸よ、ドガナ岬より、カッレ・デル・ヴェントに至るまで、われは汝を愛す。インクラビリ寺のあたりも、ヂェズアチ寺のあたりに劣らずよけれど、ルンゴオ橋もすてがたく、かの古き館邸のある場所もゆ

 ジェズアチ教会


かし。そが門扉にかかれる槌(つち)は、海馬の群を従へたる青銅のネプチューンなりき。然らば、彼処に行きて、そが扉に背をもたせつつ、かの細くして強き葉巻をくゆらすも面白からん。土地の人々のなすが如くに、先づ指にて真二つに切りてより、そが半分に火を点ずるは言ふもさらなり。

 然り、いざ行かん、日あたたかにして、空も美しければ、河岸に荷揚げする船は、ロープより鈍き呻きを発す。何処の地にても、港に船の行き交ふを見れば、おのづと流離の思ひわくものを、誰(た)ぞヴェネチアを離れんと思はんや。積荷の船の腹ふくらますとも、マストの帆綱をゆするとも、徒(あだ)なれや。おお、ツァッテレ河岸よ、汝が石畳にわが靴底を、かの青銅の槌にわが背をあつる、これにまさる何ごとかあらん。
 
 午砲のとどろき聞ゆ。鐘も鳴り出でぬ。そはヂェズアチ寺の、サン=トロヴァゾ寺の、
サルテ寺の鐘と、それぞれ識別されたり。レデントオレ寺の、サンタ=エウフェミア寺

 レデントーレ教会

 サンタ・エウフェミア教会


の、ツィッテレ寺の鐘々、運河の彼方より鳴り来たりて入り混る。空気のどよめくこと暫

 ツィッテレ教会


し。わが散策の時間も過ぎたり。明日はかく油を売ることなく、汝のことごとくを歩きまはらん、おお、ツァッテレ河岸よ、ドガナ岬より、カッレ・デル・ヴェントに至るまで、一瞬のあますところもあらじ、おお、ツァッテレ河岸よ。





                 (参考:平凡社)



題自畫   夏目漱石

 漱石が大正五年春に作った詩です。


  題自畫       自画に題す


 幽居人不到     幽居 人到(いた)らず
 獨坐覺衣寛     獨坐 衣の寛なるを覺ゆ
 偶解春風意     偶(たま)たま解す春風の意
 來吹竹與蘭     來たりて竹と蘭とを吹くを



 漱石遺墨集


 註:近体の五言絶句。「漱石遺墨集」に自筆が見え、それには「閑居偶成」と題する。
 幽居=隠棲。
 衣寛=着物の寛濶さ。漢土の詩では憂いによって瘠せた人が衣の寛さを感ずるというふうに使うことが多いが、それはこの詩の意ではない。もっとも杜牧の「郡斎獨酌」の詩の「儒衣寛くして且つ長し」のごとく、この詩の意に近い例もないではない。
 偶解=この機会によって理解した。       (吉川幸次郎の註による)


 現代語訳:わびずまいをしていると、世俗の人はやってこない。ひとりで坐禅をしていると自と他、凡と聖といった対待の世界から解放されてゆったりよしたくつろぎを覚える。
 このように対待を超えた境地に在ってふと合点がいったことがある。それは春風の差別を超えた大いなるこころである。つまり春風は竹や蘭といった常住に奥ゆかしい植物にまで吹きわたるということである。           (飯田利行による)



 漱石は晩年一日一句漢詩を作る習慣になっていました。遺作となった『明暗』の執筆中も漢詩は作りました。元々大学に入る前には英語の学校に通ったり漢学を習うため二松学舎に通ったそうです。正岡子規からも詩の影響を受けたようです。
 大正5年12月9日に死去しましたが、11月20日まで漢詩を作りました。


            (参考:岩波書店、柏書房)

舟、大垣を発し桑名に赴く   頼山陽

 頼山陽が大垣(美濃)で遊び、舟で桑名(伊勢)へ赴いたという詩です。



  舟発大垣赴桑名      舟大垣を発し桑名に赴く


 蘇水搖搖入海流      蘇水(そすい)搖搖(ようよう)海に入って流る
 櫓声雁語帯郷愁      櫓声(ろせい)雁語(がんご) 郷愁を帯ぶ
 独在天涯年欲暮      独り天涯に在って年暮れんと欲す
 一篷風雪下濃州      一篷の風雪 濃州を下る



 大垣=岐阜県大垣市。江戸時代大垣と桑名の間の交通は木曽川の舟運に因りました。
 桑名=三重県桑名市。
 蘇水=木曽川。岐蘇川とも書くので蘇水としたようです。ただ異説もあります。
 入海流=流入海の意味。美濃の高須海口に流入するの意味。
 櫓声=櫓をこぐ音。
 雁語=雁の鳴く声。
 天涯=遠いところ。
 一篷=蓬は舟を覆う苫(とま)。
 濃州=美濃の国。濃州を下る、はすでに濃州にいるわけですから「を」であって「に」ではありません。



 月見の森、高速の降り方によってはこういうところに観光できるようです。


 で、木曽川説と違う異説に揖斐川とする説があります。木曽三川つまり、木曽川、長良川、揖斐川があります。大垣から桑名に赴くのに木曽川を使うより揖斐川と考える方が自然だとする知識人がいます。


 さらに内容に関して加筆します:門玲子説というと(『江馬細香』によると)
 「十二月の初め、菱田穀斎の家を辞し、大垣船町の港から船にのった。水門川、揖斐川を下り、更に木曽川を九だって桑名に赴いた。その時の詩である。苫州に独り身を託して木曽川を下る。故郷を遠くはなれ、両親ともまだ和解していない。天涯孤独の思い。恋を得た人の詩とは思えない。細香に与えた留別の詩の明るい期待と、この憂愁の気分と山陽の心も明と暗の間を大きく揺れ動いているようである。
 縁談不成立の事情は誰でもあまりはっきりと語りたくないものであろうか。筆まめな山陽にもその間の事情をはっきり書いたものはないらしい。細香のほうも同様である。」
 以上です。


 ちょっと路線は外れますが参考まで。


 木曽川か揖斐川かに関係なく、この詩は大垣の江馬細香にプロポーズして断られた山陽の傷心の気持ちが漂っています。



(参考:岩波書店)