昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

Cecile Chaminade セシル・シャミナード piano

 セシル・シャミナード(1857-1944)はフランスの作曲家です。
 サン=サーンスやフォーレの流れを汲み、ドビュッシーやラヴェルより優雅さを残す作風が特徴です。



 途中音が大きくなるところがあります。

Cécile Chaminade: Automne op. 35, n°2 (Jérôme Ducros)




 CDは90年代半ばに買いました。






C. Chaminade, Valse d'Automne op. 169, Christina Harnisch piano



九月九日山中の兄弟を憶う    王維

 唐の詩人王維は十五歳のころ山西省から受験勉強のために都の長安に出ました。
 勉強の合い間に上流階級の家に出入りして実力を認めてもらっていました。
 王維の場合、絵と詩と音楽に秀でていたため王朝でも評判になり、サロンの寵児になりました。
 二十歳ごろ(数えで二十一)進士に及第しました。


 自注に年十七とある詩を挙げます。


 九月九日憶山中兄弟     九月九日山中の兄弟(けいてい)を憶(おも)う
 
 独在異郷為異客      独り異郷に在って異客(いかく)となる
 毎逢佳節倍思親      佳節に逢うごとに倍(ますま)す親(しん)を思う
 遙知兄弟登高処      遙かに知る 兄弟高きに登る処
 遍挿茱萸少一人      遍(あまね)く茱萸(しゅゆ)を挿して一人を少(か)くを




 九月九日=重陽の節句。
 山中=テキストによっては山東(上図)とするものもある。
 異郷=よその国。ここでは長安。
 異客=故郷を離れて旅をしている者。
 佳節=めでたい節句。
 親=ここでは一族の意。
 兄弟=ここでは弟のこと。一つ違いの弟王縉は総理大臣になった。
 登高処=処は、・・・する折、場合の意味。
 挿茱萸=和名を「かわはじかみ」といい、赤い実が成る。邪気払いの力があると信じられていた。九月九日の節句には茱萸を挿し、高所に登って菊酒を飲み、悪気を避け疫病を防ぐ風習があった。
 少一人=少は欠けている。一人は王維自身のこと。


 自分一人が欠けているから弟たちは懐かしがっているだろうなと思い、自身も懐かしがる、という間接的な表現になっている。
 王侯貴族とつきあいながらも年十七と若さが詩からにじみ出ています。
 

 茱萸(実はグミに似ている)




 (参考:講談社学術文庫)

九月九日玄武山に登る   盧照鄰  邵大震

 盧照鄰は初唐の四傑の一人、王勃と玄武山に登り、このとき旅に出る邵大震と共に競作の形で残っています。手法は王勃と似ています。


  九月九日登玄武山      九月九日玄武山に登る


 九月九日眺山川       九月九日 山川を眺む
 帰心帰望積風煙       帰心帰望 風煙積む
 他郷共酌金花酒       他郷共に酌む 金花の酒
 万里同悲鴻雁天       万里同じく悲しむ 鴻雁の天


 この詩も重陽の節句を詠ったもので、王勃と同席して競作したものと考えられます。競作の場合記録されやすく後代にまで残ることが多いです。



 やはり同席していた邵大震も似たような詩を詠んでいます。


  九日登玄武山旅望    九日玄武山に登りて旅望す


 九月九日望遙空      九月九日 遙空を望む
 秋水秋天生夕風      秋水秋天 夕風(せきふう)を生ず
 寒雁一向南去遠      寒雁一たび南に向かって去ること遠じ
 遊人幾度菊花叢      遊人幾たびか度(わた)る 菊花の叢




 重陽の節句=陽の九が重なっているので重陽といいます。奇数は陽です。


 言い伝えによりますと、ある占いの名人が「九月九日には茱萸(しゅゆ)を持って山に登りなさい」と言うので言われるまま出かけて帰ったところ、家畜が全部死んでいたといいます。それから奇数が重なる重陽の節句には邪気払いをしようというならわしになった、とのこと。この伝説自体には疑いを持つ学者もいます。


 今は五月五日も端午の節句ですがちまき食べたりしょうぶ湯につかる、三月三日もひなまつり、ですが元をたどれば重陽の節句です。三月三日は春になって海辺へ出て身体を清める節句だったそうです。


 

渋谷の街を走って逃げた

 長い午睡から覚めてトイレに立った。


 おっ!トイレ改装したのか。そうだよなー、男専用の便器が無くっちゃなあ。

 部屋は母と祖母が談話している。



 図書室にブロワの『絶望者』があった。自宅にもあるが、外出するのに手持ち無沙汰だから借りていくか。


 待てよ、図書カードの期限が切れてるから身分証用意しなくちゃ。
 でももう閉館5分前じゃダメだ。今日はあきらめるか。


 街は相変わらずごちゃごちゃしていた。


 なんか面白いことないかなあ。


 ビルの屋上に上がってみた。となりのビルの屋上が見える。

 屋上でワニ飼ってるよ。いいのか?


 街つまんね。


 アトラクションやってる。月光仮面だ。

 目の前で月光仮面とサタンの爪を見るとはビックラこいた。


 道を歩いていくうちに寂しくなった。

 あそこ空き地かな?
 渋谷なんて昔はペンペン草が生えてたよ、って誰か言ってたな。



 足が六本のカバとサイ、気持ちわりー
 こんな空き地で放し飼いしてやがる。こえー


 なんかヤバいところに足を踏み入れたみたいだ。脱出せねば。


 とにかく走ろうーーーー



 やべやべ ありえねー



 はああああああ



蜀中九日   王勃

 王勃(649-676)は初唐の詩人です。早熟の天才でしたが、少しおっちょこちょいな面があり、王子たちの闘鶏の遊びを煽る文章を書いたため(炎上?)、蜀の地に左遷させられてしまいました。


 その蜀にいる間詠んだ詩があります。


  蜀中九日           蜀中九日


 九月九日望郷臺     九月九日望郷台
 他席他鄕送客杯     他席他郷 客を送るの杯
 人情已厭南中苦     人情已に厭う南中の苦
 鴻雁那從北地來     鴻雁(こうがん)那(なん)ぞ北地より来(きた)る



 蜀=四川省。
 九月九日=陰暦九月九日(太陽暦十月中旬)。重陽の節句。菊花の節句。
 重陽のときは高いところに登って酒を飲むならわしがありました。
 望郷台=玄武山(蜀の東にある)にある高台の名。一説に、随の蜀王秀(しょくおうしゅう)が築いた成都東北部の中江県高台をいう。
 他席他郷=九月九日の用法に合わせたものと思われます。意味はよその土地での宴会。
 人情=作者自身の感情、望郷の念。
 已厭=もうあきあきした。
 南中=ここでは蜀のこと。
 鴻雁=がん(かも)のこと。鴻は雁の大きなもの。
 北地=都の長安、あるいは作者の故郷山西省を指す。


 この詩は重陽の節句に、望郷の念にかられて作ったものです。王勃は蜀に旅して、その地で友人の盧照鄰(ろしょうりん)・邵大震(しょうだいしん)と共に重陽の節句を迎え、酒を酌み交わしました。旅立つ客は邵大震のことだったようです。


 詩自体は絶句ですが、前半二句と後半二句は対句仕立てになっていて全対格です。


 第一句の九月九日と第二句の他席他郷、どちらも九と他を畳みかけています。
 後半の二句も北地を思う自分の心境を、北からやってくる鳥に「どうしてこんないやな南にやってくるんだ」という表現に託しています。



 九月九日という平仄を無視した、むしろ言葉のあやを強調したしゃれた用法です。七言絶句がまだ定まっていない時代でもあり、句中対どころか全対格という離れ技を成した、まさに天才ですが、傲慢な性格のせいでひとには嫌われていたようです。


 王勃は28、9歳で亡くなりました。海に落ちて溺死しました。


 というのも罪を犯した官奴をかくまい、しまいには露見するのを恐れて殺してしまいました。死刑の判決が下りますが大赦をもって救われました。

 ただ父親は連座して交趾(こうち:今のベトナムのハノイ付近)に左遷されました。
 その父親を見舞う途中船に乗るとき南海の海に落っこちて溺死しました。


 天才とおっちょこちょいが共存している例です。
 王勃は20代で亡くなったにもかかわらず初唐の四傑の筆頭として文名が高いです。



    (参考:講談社学術文庫)