昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

ショパンの生年月日

 ショパンの生年月日は三通りある。


 1809年3月1日(出典は不明)
 1810年2月22日
 1810年3月1日


 通説は1810年3月1日である。ではなぜ同年の2月22日説があるのか?については一つ根拠がある。
 『ショパンの手紙』アーサー・ヘドレイ著(白水社)の第一部の初めに手がかりとなる記述がある。


 要は父親が洗礼簿に書くときに誤った生年月日を記したのが真相のようだ。
祖父が2月22日生まれだったからというが、この地方は家族の互い互いの誕生日は把握していて年に何度もパーティーを開き互いの誕生日を言い合うぐらいに誕生日を記憶している。
 役所に届ける際に間違えるというのはありそうでこのケースの場合考えにくい。


 真相は闇の中だが、
次回は西洋占星術により解明したい。


 もっとも私の体調が良ければの話だが。


 

不調から脱却

 この半月ばかりずっと不調でした。
 中華店の経営者に助けられたものの、身体は不調でした。


 寝たきりになったら電動ベッドにしましょう、とあっさり訪問看護師さんは言います。ケアマネもパンフを持ってきました。イヤだ。枕は落っこちてくるし、病院でさんざん苦しい思いをしたから寝たきりになるぐらいなら安楽死のほうがいいと言いました。


 そしたらやっぱり潜在能力が擡げたんでしょうか、少し元気になって、今こうしているんです。


 でもこないだの先々週の日曜日箪笥の下敷きになって救急車を呼びました。看護センターにも電話しました。なんでかというとキーボックスを置いているから、救急隊員にそれを伝えなきゃいけない。


 だけど脳梗塞でのどをやられてるので電話だとキ印がいたずらで掛けていると思われがちなんです。いろいろやりとりをして何とか救出されました。


 ヘルパーさんとドラッグストア行って、僕が商品名を言ってもレジの人は一瞥もくれません。ヘルパーさんの顔を見る。このじいさん何言ってるんだと言わんばかりにです。


 箪笥が倒れたのは同じ柄のパジャマを探して引き出しを開けたり閉めたりしてた時です。ヘルパーさんが最近若い人に変わって勝手がわからなかったのでしょう。


 箪笥は上下セパレーツになってまして上だけ倒れてきたのです。今は布テープで応急処置をしています。
 幸い子機が近くにあったので電話できました。ケータイもスマホも持ってないもんで。

今月のそっくりさん だじゃれ

テレビディレクター小松原

パントマイム中村ゆうじ



 高橋ビックリハウスの編集者

放送大学教授青木




志村喬

二葉亭四迷



 宇野昌麿

小室圭





ジョンマクラフリン

ジョージHWブッシュ(父)



だじゃれ:


あずきつまむのにあずきルーペ


「今度食事行こうよ」「体操部です」


洗濯機フライドチキン



他にもありましたが、忘れてしまいました。

妄想 森鴎外  を読む

 森鴎外の「妄想」はエッセイのようであり、私小説、詩のような部分もある。鴎外は夏目漱石ほど人気はないが、漱石より魅かれるところがある。
 下部に挙げる文脈でそのわけが判ったような気がした。文中のハルトマンはエドゥアルト・フォン・ハルトマンのことだと思われる。



 形而上学と云ふ、和蘭寺院楽(オランダじゐんがく)の諧律(かいりつ)のやうな組立てに倦(う)んだ自分の耳に、或時ちぎれちぎれのAphorismen(アフオリスメン)の旋律が聞えて来た。
 生の意志を挫(くじ)いて無に入らせようとする、ショオペンハウエルのQuietiveクヰエチィフに服従し兼ねてゐた自分の意識は、或時懶眠(らんみん)の中から鞭うち起された。
 それはNietzscheニイチェの超人哲学であった。
 併しこれも自分を養ってくれる食餌ではなくて、自分を酔はせる酒であった。
 過去の消極的な、利他的な道徳を家畜の群の道徳としたのは痛快である。同時に社会主義者の四海同胞観(しかいどうはうくわん)を、あらゆる特権を排斥する、愚な、とんまな群の道徳としたのも、無政府主義者の跋扈を、欧羅巴(ヨオロッパ)の街に犬が吠えてゐると罵ったのも面白い。併し理性の約束を棄てて、権威に向ふ意志を文化の根本に置いて、門閥の為め、自我の為め、毒薬と匕首(ひしゅ)とを用ゐることを憚らないCesareBorgiaチエザレボルジアを、君主の道徳の典型としたのなんぞを、真面目に受け取るわけには行かない。その上ハルトマンの細かい倫理説を見た目には、所謂(いはゆる)評価の革新さへ幾分の新しみを殺(そ)がれてしまったのである。
 そこで死はどうであるか。「永遠なる再来」は慰藉(ゐしや)にはならない。Zarathustra(ツアラツストラ)の末期に筆を下し兼ねた作者の情を、自分は憐んだ。



(参考:「妄想」森鴎外 青空文庫)

おススメ本格中華 神楽坂

 神楽坂の坂下に本格中華の店があった。2013年というから5年気づかなかった。


 自分は車いすごと理科大の路地で横倒しに倒れていた。通り過ぎる人も少ない夜中だ。カップルも知らんぷり。自分は40分も横倒しのままそこにいただろうか。


 声をかけてくれる自転車に乗った青年がいた。起き上がるのに手を貸してくれた。どこかへ行くんですか?と訊いてきたので散歩だと告げた。


 とりあえず突き当りまで行きますか。お願いします。青年は車いすを押してくれた。ついでだから神楽坂通りに出て、翁庵かモスバーガーに隣接する花屋さんのところに出た。


 夜中は工事をしている。どっちに行きますか?外濠のほうへ渡ります。
 ここで別れるつもりが押してくれる。困った。引っ込みがつかなくなった。


 外堀通り沿いの歩道をずっと市ヶ谷方面に行く。やがてお濠沿いのテラスのテーブルも見えなくなったころ、自分はお濠を見たいと言った。


 意外と手すりの高さは高い。心の中で苦笑いした。こりゃダメだ。


 このときの心境はこのブログでも紹介した「捨吉」の主人公そのものだ。(くわしくは「捨吉」を参照されたい)
 青年は自分にまとわりついた僅かな違和感を感じ取っていたようだ。


 おうちに戻りましょう、と車いすをUターンさせた。


 うちに帰る間、彼が41歳で中華店を経営していることなど聞いた。その店は自分が愛用していた(笑)「日高屋」の裏手にあった。


 後で調べてみると「膳楽房」という立派なお店だ。41歳でこんな立派なお店を経営し、彼自身がオーナーシェフである。自分はいい歳をして何をしてるんだと思った。


 ランチは1000円以下だが宴会にも利用できる本格中華の店だ。
 見知らぬ自分を助けてくれた「仁」のある人だ。料理もまちがいあるまい。四川も台湾もあるということだ。


 みなさん出かけてみてはどうでしょう。ランチタイムは相当混むらしいので少し時間をずらして行くのがいいでしょう。


 神楽坂はとかく高飛車な商人が多いが稀にこういう良心的な経営者がいたということだ。