昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

赤坂台町周辺、コロンビア通り~稲荷坂

 赤坂台町は隣りが白洲次郎のビルがありました。
 近所に聖パウロの学校もあったような気がします。
 向かい側がテニスコートの時もありましたが、空き地の時もありました。



 空き地の時に財布を見つけたことがあります。財布の中を見てみると、メモが入っていました。「残念でした。お金は入ってませんよ」と書いてありました。見事にひっかかりました。
 この空き地で盆踊り大会があって櫓の上で太鼓をたたいたことがあります。


 路地を入ったところに往年の俳優Kのお宅がありました。その後同じ敷地にベテラン歌手Mも住んでいました。
 路地の先を行くと稲荷坂があります。


 降りたところの並びにRマンションがあります。
 南へ歩いて1、2分で檜町小学校がありました。現在は赤坂小学校になっています。


 檜町小学校の手前にKという魚屋さんがありました。そこは評判がよく芸能人がお忍びで買物に来ていたそうです。近所に住んでいた映画監督Sと大女優Oとか、麻布のほうから大女優のTも通っていたようです。

赤坂の逸話 続

 S子は赤坂に80坪の家を買ってもらいます。加えて銀行の定期預金を二百万円契約しました。
 銀行員は大口ゆえ新橋演舞場の切符を持参しましたが、その時、S子は女将の死後切り盛りをやっていて、女将の代わりに出かけていましたので、女中のK江が切符を受け取りました。


 どこからバレたのかS子が銀行員に訊きました。
「あんた切符は?」
 斯く斯く然々のたまえばK江の仕業となりK江は暇を出されました。


 殿村の外泊は頻繁になり、ある夜本妻さんがS子の家に出刃包丁を持って押しかけました。殿村は二階の窓から梯子で逃げました。


 S子のひと粒種の息子は慶應に入学し、そのうち赤坂の家は売ってしまいました。

赤坂の逸話

 戦前か戦時中の話と思われます。芸者屋「T」の女将が女中を引き連れて、伊豆の温泉旅館へ行ったところ、玄関口で稀なる美少女を見つけました。思わず旅館の女中に訊ねました。


「ちょいと、あの子はどこの子?」
「あれは近所の領事の子で預かり子です」
「お金に糸目はつけませんから、あの子あたしに貰えませんでしょうか?」
 はじめのうちはウンと言いませんでしたが、それなりの金額を言い渡せば娘を難なく養女に引き取ることができました。


 娘十五の初々しさにS子と名付け、化粧して磨きを掛けて見直せばますますキレイと女中たちの評判もいいです。
 踊りの師匠秋波にS子を紹介しましたが、美男美女同士程なく魅かれ合い愛人となりました。
 一年後、S子は男子を産み落とし、女将に呼び戻され再び芸者となりますが、今度は銀座に事務所を持つ殿村某という金持ちが旦那になります。(つづく)

永田町メンコ大会

 永田町に空き地がありました。昔のヒルトンホテルの真ん前でした。その後キャピトル東急になって現在は無いんでしたっけ?その空き地に同級生7、8人が集まってメンコ大会が行われました。


 腕慣らしはウソンキ(地域によってウソンコとも言うんでしょうか)でいざ勝負の時はホンキと呼びます。みんなどうせカッケなどマークしていなかったのでしょう。



 ぼくはうちの前でNさんちのS夫君やM夫君とメンコをよくやっていて、メンコを裏返しにする要領を把握していたので、一人勝ちでした。ぼくの手首は柔らかく瞬発力があったと思います。同級生の大事にしていたメンコをほとんど奪い取りました。


 同級生たちはいっせいに抗議をしましたが、ウソンキ~ホンキの経緯を踏んだのですから逃げも隠れもしません。カッケの実力を知らなかった自分らが悪いのだから、と判断し独りきりで応戦しました。キレ気味にみんなを蹴散らかしました。


 同級生たちは三々五々帰途につきました。

信用金庫

 M信用金庫は昭和26年に創立されましたが、祖母は創立メンバーの一人でした。前身の信用組合は昭和21年に創立ですが、すでに祖母も参画していました。


 初めは赤坂支所の中地階のフロアを利用したそうです。メンバーも当時の東京都議会議長Iさんと祖母だけで始めたそうです。のちに知り合いのNさんKさん、女性のOさんも加わったそうです。信用組合の時点ではまだ赤坂區だったと思います。


 祖母の家は昭和24年に表町に引っ越しました。ぼくが生まれた表町の家と6、70メートルの距離にある、通称すずめのお宿です。Yさんの裏がそうです。その前は日本橋室町に住んでいましたが、東京大空襲で被災して赤坂に引っ越してきました。


 信用組合や信用金庫の後ろ盾には戦前からの大元締めM右衛門さんがいたと思います。幼稚園、小中と同期だった質屋のN君の先祖です。氷川神社には名前が刻印されています。
 現在はさわやか信用金庫になりましたが、電話番号が3710なら元M信用です。
 祖母は昭和42年に退職しましたから、バブルのころはもちろん金庫にいませんでした。