昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

グループサウンズ GS

 グループサウンズには驚きました。タイガースのボーカル沢田研二は相当美少年だったです。
 大橋巨泉の番組「ビートポップス」で、ゴーゴーダンスの踊り子たちのバックで絞り染めが動いた。そういう年代でした。

 やがてタイガースはメジャーになり、テンプターズも有名になりました。ブルコメの何某が同級生の兄と判り、へぇと思いました。Iさんに自宅は虎の門?と訊いたら有楽町と返ってきました。


The Tempters Legend Of Emerald



 もしかしたらテンプターズがスカウトされて東京デビューしたのも有楽町なのかもと思い、うわぁ、すごい地域なんだなぁと回想するばかりです。


 今度同期会でお会いする機会があったらくわしく訊きますね。
 テンプターズもスパイダーズの一件がなかったらただの地方のバンドに終わっていたかもしれないです。

妹の友だち

 台町の家の隣のHさんちのH子ちゃんは時々妹と遊んでいました。H子ちゃんは妹より1歳下でした。うちに遊びに来ていた時気軽にこうこうしようかと提案すると彼女は泣きだすのです。
 え?泣く?という違和感もありましたが、一人っ子の彼女にとって気を許したのは妹だけであって、兄である自分はまだ認可されない人物であったようです。
 それ以来H子ちゃんと妹の仲に割って入ることはしないようにしました。
 Hさんちは、平成のころまで赤坂に住んでいたと思います。H子ちゃんはどこかのコックさんといっしょになったと聞きました。
 自分を曲げない強さは時として他人の助けを払いのける排他性も含まれます。一生涯幸せに過ごされることを祈っています。

ドロボー!!

 台町の家で夕方くつろいでいる時でした。縫い物をしていた祖母がふいに起ちあがって庭に向かって
「ドロボー!!ドロボー!!」と叫びました。あまりに急で予行演習みたいにリアルさが無かったので唖然としました。
 やはり本当の泥棒だったのです。塀からうちの庭に飛び降りたところを祖母に大声を上げられ怯んだようです。また塀を上り逃げたようです。
 祖母の咄嗟の判断はすごいなぁと感心しました。距離によっては逆に凄んでくる可能性もなくはなかったでしょう。まだ庭に飛び降りたばかりで大声をしかも具体的にドロボーと言われれば泥棒は逃げるしかないのだろうと思います。これが「キャーッ!」とかだったら居直ったかもしれません。祖母は距離があったので、度胸が発揮できたんだろうと思います。
 その数日前から近所で泥棒が出没する噂があったそうで、取り締まりを強化し、捜査を俊敏に行って後日泥棒を捕まえたという話を聞きました。
 それにしても祖母は耳が遠かったはずですが、昭和30年代の終わりごろはまだ耳が聞こえていたのか、後年の耳が遠いのが都合つ〇ぼだったのか未だに判りません。

横綱柏戸

 大相撲は栃若時代に若乃花が栃錦を上手投げで破った瞬間は覚えています。


 柏鵬時代は柏戸が好きでした。顔が歌手(懐メロ)の三浦洸一に似ていたので柏戸が登場すると三浦洸一とつぶやいていました。

 柏戸と大鵬はどちらも横綱になっていて千秋楽で柏戸が大鵬に勝ったことにより、両横綱による優勝決定戦がありました。
 その時の柏戸の気迫は画面からもひしひしと伝わってくるほど凄まじいものでした。
 優勝決定戦も両社拮抗し、大鵬も粘りに粘りましたが最後は柏戸がよりきりで勝ちました。


横綱【大鵬】 vs 横綱【柏戸】 (ほぼ全取組映像)



 ぼくは嬉し涙で画面を見れません。というより父にからかわれるのは判っていましたから、起ちあがってその場を離れたほどです。
 父も笑いながら歓声を上げていました。


 起ちあがる一瞬前に見た画面の中も会場内は世紀の大勝負を見た興奮で騒然としていました。
 大鵬ばかりが優勝しつづけて多少マンネリ感もあったのかもしれません。それをくつがえす出来事だったわけです。


 想い出すのは、幼稚園のころ柏戸がN小学校に訪れてきたことがあります。小学校低学年生を相手に相撲を見せてもらいました。園児のぼくたちは握手しただけで、お別れしました。



 昔は個性的な四股名の安念山とか明武谷とかいましたね。

タクシー

 昔のタクシーの乗り心地は膝や足の裏の感覚で覚えています。ルノーは小さいお婆さんみたいな風貌の自動車でした。ワンメーターが60円。表町からなだらかな坂を下って赤坂見附方面を走っていった時のことはなぜか何十年経っても憶えています。
 「とらや」とか豊川稲荷のところをルノーに乗っていくと、都電のレールと重なりガタつくのです。小さい車ですからもろに震動が伝わってきます。
 観音開きのトヨペットクラウン?のタクシーは80円だったと思います。天井が高いので圧迫感が無かったように思います。日産のセドリックやプリンススカイラインもだいたい同じ感覚だったと思います。ぼくが一番好きなプリンスグロリアのタクシーもあったように思いますが、多少年代がズレるかもしれません。もしかしたら100円のころかも。
 70円のタクシーもありましたが、記憶があいまいです。ブルーバードはあったと思いますが、コロナはあったかどうかうろ覚えです。
 後年になるとたまにヒルマン、コロナハードトップ、ベレットGT、デボネアなどめったに乗れないタクシーも見かけたような気がします。そういう時は内心ラッキーと思っていました。
 昭和38年ごろでしょうか、上野駅から乗った時、これは台町の家の前までですが、330円でした。助手席に座っていたぼくは目の前の料金表示を見て「330円だよ」と言った憶えがあります。そしたら父に「子どもは黙ってろ」と言われてしまいました。これがブルーバード級かクラウン級かは思い出せません。