昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

赤坂の豊川稲荷


 赤坂豊川稲荷の近くの路上に手相見というか易者がいました。何かの用事で通りがかった時、
 「ちょっと見てあげますよ、お金はいらないから」と母は呼び止められました。ドラマでよく見るシーンみたいです。ぼくは覚えていないのですが、母が言うには、妹がお腹にいたということですから昭和34年ごろです。


 その易者は、あなたはあちこち転々とする、というのです。母は、そんなはずはない旦那は学校の先生でもないし警察官でもないんだから、と答えました。


 でも易占いは当たりました。母は死ぬまで引っ越しばかりでした。ざっと数えて8回です。東京に嫁いで転勤も何もないのに都内を8回引っ越しした人は少ないだろうと思います。


 豊川稲荷は大鵬関が来て豆まきをしたように記憶しています。



 昭和40年代も豊川稲荷をデートに利用したことがあります。相手は2歳下のSさんという女性でした。四ツ谷駅で待ち合わせて迎賓館の前を通り前田外科の右側の路地に入って青山通りに出て豊川稲荷で一休みしました。ベンチに腰掛けてお稲荷さんとか団子を食べた記憶があります。
 そこから表町の停留所まで歩いてバスに乗り、渋谷まで乗っていって彼女と別れました。

「妻として女として」

 昭和36年の東宝「妻として女として」という映画は「女が階段を上る時」(昭和35年)と年代が近いです。高峰秀子、森雅之を中心に仲代達也や淡路恵子が絡んでくるところは共通を感じる作品と言っていいかもしれません。
 子役の大沢健三郎や星由里子が当時の中古車の相場を言います。昔は中古のことを「ちゅうぶる」と言いましたね。トヨペットが55万円、プリンススカイラインは45万円、セドリックは55万円、ヒルマンは48万円、ルノーは23万円となっています。
 大沢健三郎が鼻歌を歌う森山加代子の「じんじろげ」。坂本九はてっきり森山加代子と一緒になると思っていたのはぼくだけでしょうか?大沢は団塊の世代でしょうが、高峰秀子の息子役は他にもありましたね。
 バーのマダムが酔ってしまってタクシーを拾い、「青山まで」と言いますがこれは仲代のアパートでした。ちなみに「女が階段を上る時」に出てくる高峰(銀座のバーのマダム)が住むアパートは部屋代3万円とナレーションで語ります。
 高峰秀子(妾、バーのマダム)は淡島千景(本妻)に森(夫)と別れ、銀座の店を手放す条件で300万を要求します。淡島は50万の手切れ金で手を打とうとします。仮に今の価値に換算すると、20倍として6000万の要求に対して1000万出すということになります。それがダメなら大沢と星を返してくれ、と。これは高峰の母親飯田蝶子の悪魔のささやきとも言える助言が元です。

赤坂の床屋さん

 5歳ぐらいのころです。いつものM理容店に散髪に行きました。この床屋さんは赤坂田町だったと思います。現在は赤坂3丁目です。


 その日はリーダー格の人が他の客の相手をしていましたので、19歳ぐらいの新人女性に刈ってもらうことになったのです。ところが髪を切ってもらううちにだんだん女の子みたいな髪形になっていきました。まだビートルズも世に出る前ですが、ちょうどマッシュルームカットみたいなお茶目な髪形で、心の中でどうしようと思いながらじっと耐えました。


 表町のうちに帰るまでしょんぼりした気持ちで歩いて帰ったのを覚えています。帰るなり母に女の子みたいに刈られちゃったとグチりました。
 結局母についていってもらいM理容店にもう一度行って髪形のことを相談しました。そうしたらいつものリーダー格の人が、いつも通り後ろと左右を刈り上げて、前髪は曲線ながらきっちり切るようにやり直してくれました。そのリーダー格の人は手際が良くきびきびした感じなので、子どもながら万全の信頼を置いている人でした。

昭和の懐かしい邦画 続

 「女は夜化粧する」(昭和36年)という映画は山本富士子主演の赤坂でナイトクラブのママとして生きていく女性の物語です。冒頭にニューラテンクォーターのネオンも見られます。ラテンクォーターは昭和34年創業だったと思います。


 森雅之は大手建築会社の重役で、事実上のオーナーです。山本は家賃を支払う立場ですが、着物などの費用は森の会社が負担し、そもそもナイトクラブの建築に当時の価値で何億という費用もかかっています。

 映画では新劇出身の女優がギター芸者として花柳界に乗り込み、一躍赤坂のナイトクラブのママに抜擢されるなどと、いささか現実ばなれした設定です。



 「女が階段を上る時」(昭和35年)という映画は銀座のバーのマダム役に高峰秀子が扮し、森雅之がまたかんできます。
 バーのマダムが帰っていくアパートは赤坂か青山のちょっと閑静な場所のようです。アパートの家賃は25000円ぐらいだと思いますが、今度見直して確認してみますね。いずれにしても昭和35年当時の2万とか3万はかなりの価値があったでしょう。アパートの内装は当時としてはモダンなほうだと思います。

QUAND UNE FEMME MONTE L'ESCALIER (女が階段を上る時) de Mikio NARUSE - Official trailer - 1960


 高峰さん、キレイだなあ

島崎雪子

 バブルのころテレビで映画「めし」(昭和26年)を見たときに女優島崎雪子を初めて見ました。
 正確には映画関係の雑誌か何かの「めし」のスチール写真で横顔が素敵だなと思ったのが最初です。主役の原節子より興味を持ちました。



 赤坂表町の2階に住んでいた妾のYさんを想起させるような容貌でした。Yさんとは一緒に風呂に入るぐらい親しくしていました。弟さんが二人訪ねてきたこともあります。


 Yさん(本名Sさん)は大正生まれで海外で言えばメゾソプラノのセーナ・ユリナッチのような鼻筋の通った輪郭のはっきりした顔立ちでした。正妻というよりいわゆる妾顔の人でした。



 ぼくの亡くなった妻にも似ています。Yさんではなく、島崎雪子にです。
 不思議なことに島崎雪子の横顔のスチール写真を指してこういう女性が理想だ、と母に打ち明けたことがあります。しかも昭和50年代に女性の肖像画を油絵で描いたことがあるのですが、その絵の女性に妻が酷似しています。知り合ったころは全く忘れていて絵のことも映画の島崎雪子のことも思い出せませんでした。




「七人の侍」にも出た島崎雪子コレクション


 島崎雪子は他に芸者役で伊豆肇と好対照なカップルの悲恋ストーリーの映画を見たことがあります。この映画はなかなか面白かったです。タイトルも正確に思い出せません。