昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

フレンチ イタリアン

 カトリーヌ・スパークはフランス人だと思いますが、イタリア語で歌っているようです。
 
CATHERINE SPAAK - PENSO A TE
 じわっと来る曲です。マカロニウエスタンの風味も少し感じられる気がします。

これはたぶんサントラじゃないと思います。





The Sicilian Clan - 1969 -Theme : Ennio Morricone .
 映画を見る前からサントラが気に入ってシングル盤を持っていました。数年まえ耳コピして8trMTRに録音しました。(焼いたCDは手元に無し)






Laetitia (Alain Delon) Leticia 1967. Laëtitia. Letizia


 アラン・ドロンが歌っています。歌がうまいわけではないですが、味があります。「冒険者たち」は人気の高い映画ですが、ぼくはこの楽曲が気に入っていcます。

Jeff Beck Neil Young "A Day In The Life"

 A Day In The Lifeをジェフ・ベックとニール・ヤングで聴き比べしてみました。



A Day in the Life(Tuning regular ) - Jeff Beck
 まだタル・ウィケンフェルド(b)が加入する前です。





Neil Young Live Glastonbury 2009 BBC Broadcast - 05 A Day In The Life
 2008年は体調が今イチでしたが、2009年には持ち直しました。


 当時は二人とも60代ですが、今や70越えですね。

サウンドトラック ①

 サウンドトラックで名曲をあげたらきりがないですが、変わったところをあげれば「禁じられた恋の島」です。


 カルロ・ルスティケリの作曲でこの人の代表作は「ブーべの恋人」です。これは有名ですね。



Carlo Rustichelli/L'sola Di Arturo カルロ・ルスティケリ/禁じられた恋の島
 「禁じられた恋の島」は小石川図書館で借りたレコードに収録されていました。こんな曲あったんだと思いましたね。


 何年かCD化するのを待ちましたが、そのうちカセットで録音したものから耳コピして演奏を再現してみました。8トラックMTRの機器で録音しました。(今は聴くことができません)


 そんなこんなで本編は見ず終いでしたが、最近DVDで販売されていることを知り、さっそく買いました。


 見てみるとあらすじは凝っていないです。欠点は画像がそんなに良くない。Amazonでは4000円以上します。どうせならHDリミックスされた画質のキレイな状態で見たかったです。


 個人的には、主演女優の名前も知らないですが入院していた時の喉のリハビリのセンセに似ているのでOKかなと思っています。以前養命酒のCMとかに出ていたタレントさんにも似ています。


 他サントラで挙げると、フランス映画「柔らかい肌」ですね。フランソワ・トリュフォー監督でフランソワーズ・ドルレアック(カトリーヌ・ドヌーヴの姉)の代表作です。La Peau Douce、英訳するとSoft Skinまさに柔らかい肌です。サントラはジョルジュ・ドレリューです。フルートの物悲しいメロディーが印象的です。


 あとはアニエス・ヴァルダ(Agnes Varda)監督の「カンフー・マスター」ジェーン・バーキン主演ですが、ジョアンナ・ブルズドゥヴィック(Joanna Bruzdowicz)作曲です。この人は現代音楽畑のようです。入手困難なCDでプレミア価格でした。

江戸漢詩 嵐山に遊ぶ

 頼山陽と江馬細香が男女の仲になったとされる嵐山での花見の詩を紹介します。


 「武景文、細香と同じく、嵐山に遊び、旗亭に宿す」


 山色稍暝花尚明
 綺羅分路各歸城
 詩人故擬落人後
 呼燭渓亭聽水聲


 擬=ぎ、なぞらふ


 (読み下し文)
 山色稍(やや)瞑(くら)くして、花尚(なお)明らかなり。
 綺羅(きら)、路を分かちて、各おの城に帰る。
 詩人故(ことさ)らに人後に落ちんと擬(ほっ)し、
 燭(しょく)を呼びて、渓亭に水声を聴く。



 (現代語訳)
 夕方になり山が暮れかけて、しかし花の辺りはまだ明るさが残っている時に、それぞれおめかしをした散歩の客たちが、自分の道に分かれて帰っていく。それを見送ってわざと遅れたふりをして、詩人はこのひと気の去った静かな黄昏を味わうために、料亭で灯火を部屋へとり寄せながら、窓の下の渓川の音に耳を傾ける。


 
 タイトルの長い詩ですが、「嵐山に遊ぶ」という別の詩があるので、こちらと区別されます。この詩は七言絶句ですが、元々の詩は七言律詩で細香に与えたので江馬家蔵『山陽先生真蹟詩巻』に収められています。
 七言絶句は『山陽詩鈔』に収録されるときに、ここに挙げたように改作されました。


 山陽は旧友の武元登々庵(たけもととうとうあん:タイトルの武景文はあざな)と、初めて京都に訪ねてきた江馬細香とを連れて花見にでかけました。細香はこの時点では山陽に梨影という妻がいることを知らなかったようです。
 登々庵は新婚の細君の手前山陽によってアリバイに使われたようです。


 武元登々庵は少年時代から才能を発揮し神童と呼ばれ、柴野栗山に入門しました。後年蘭学も修めました。1810年に菅茶山、頼山陽と知り合います。登々庵は1767年生まれで山陽と歳は離れていますが、旧友と言えます。


                     (参考:門怜子 中村真一郎)

赤坂氷川逸話

 赤坂氷川町は現在の赤坂6丁目あたりを言います、


 氷川小学校は自由な校風で岡田真澄があちこちの学校であいのことからかわれいじめられて転校ばかりしていましたが、氷川小学校に転校して差別もいじめも無くなったという話、本人がトークしていました。アメリカ大使館も近いので帰国子女とかハーフの子が多かったのかもしれません。



 勝海舟旧邸もこの近辺にありました。



 〇ス疑惑のMKの殺害容疑があったのはチ〇〇ス〇川坂に当時住んでいたSCさん。
 
 あのマンションに住んでいた女性HMさんとたまたま話をする機会がありました。


 HMさんはMKと同年代で社会人でした。実家は老舗でお金持ち。年齢より若く見えるお嬢さんタイプでした。会社に通勤する朝、降りしきる強い雨はなかなかやみそうにありません。エレベーターに乗るとMKと一緒でした。


 MKは雨たいへんですね。よかったら会社まで車に乗っていきませんか?ご遠慮はいりませんよ、と気さくに話しかけてきたそうです。
 
 HMさんはちょっと迷って断りました。
 ひょんなことで知り合っておつきあいしていたらどうなっていたかわかりません。駐車場に停めてあったMKの車は黄色のポルシェだったそうです。