昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

Henri Cartier-Bresson アンリ・カルティエ=ブレッソン

 

Henri Cartier Bresson - Sebastiao Salgado
 アンリ・カルティエ・ブレッソンは写真家です。ライカで1930年代から世界じゅうを撮りつづけました。


 時代を反映はしているものの、報道写真の雰囲気がプンプンというわけではありません。若いころ絵描きを目指していたこともあって構図を考えて絶好のシャッターチャンスをむしろ待ったように思います。偶然とは思えないすごく笑える写真も多くあります。


 それでもやはり写真でしか得られない瞬間の美があります。



Henri Cartier-Bresson Paris 1/3
 彼自身のインタビューによるとポートレートの場合ライカによるスナップですが、談話しながら相手が油断したすきを狙うのだとか。
 大物の中でも写真を嫌う人が多いのでどうしてもそういう手法になるんでしょう。



Henri Cartier-Bresson Paris 2/3
 自分は写真集をあちこち探して結局、新宿の高島屋の先の紀伊国屋で買いました。六本木の青山ブックセンターとかTSUTAYA書店にも置いてあると思います。


 ライカの携帯性と写実力があって得られる写真が多いです。それをなかなか生かしきれないプロも多いわけで。


 なお映画監督のロベール・ブレッソンとは縁戚関係はないようです。

良寛 ② 詩と書

  良寛でいい感じの詩がありました。題は分かりません。


 花無心招蝶     花は 蝶を招くに心なく
 蝶無心尋花     蝶は 花を尋ぬるに心なし
 花開時蝶来     花開く時 蝶来り
 蝶来時花開     蝶来る時 花開く
 吾亦不知人     吾もまた 人を知らず
 人亦不知吾     人もまた 吾を知らず
 不知従帝則     知らずとも 帝則(ていそく)に従う


 続いて、大山澄太氏のエピソード的な文章が綴られています。概ねの意味と良寛の心情が著されています。(詩の直接の意味とは関係ありません)
 
 雨の日は墨の匂いがこまやかである。墨が乾くまで自分で書いた字を見ていると、雨蛙が一匹ぬれ縁から這うてくるではないか。蛙はやがてぬれた字の上を歩き、良寛の良の字の上にじっと坐りこんでしまった。
 おい蛙よ、わしが一人で楽しんでいるのを、淋しいと思って遊びに来てくれたかや。うん、そうなのじゃ、淋しいから墨をすり旧詩を書くのじゃ、雨蛙よお前も独りで淋しいのであろう。そこに坐って雨が晴れるのを待つがよかろうーー
 小さい声でそう言って良寛は筆をもって立ち上がった。書に戯れることを止めて筆を洗いに水屋の方へ行きかけたのであるが、はっと気がついて、雨漏りの雫を受けているすり鉢のところに坐って、ゆるゆると雨水で筆先を洗う。
 洗った筆の穂先をじっと口にふくんでいる時の感触ほど懐かしいものはない。赤ん坊の指よりもっと柔らかくて唇にしみる。
 穂先をくわえていると、また何か書きたくなってくる良寛なのである。長雨は蕭々として降りつづく。
 

 花が散る時、蝶は死ぬ~という歌詞の歌謡曲がありましたね。

Soundtrack   サウンドトラック  色々

 0:43ぐらいから曲が流れます。

ブーベの恋人La Ragazza di Bube
 「ブーベの恋人」クラウディア・カルディナーレとジョージ・チャキリス。このころチャキリスみたいな髪形が流行っていました。2階の二号さんの弟も同じ髪形をしていて、時々お姉さんにこづかいをせびりに来ていたので、こういう髪形はみんな不良だと思い込んでいました。
 この曲は10年ぐらい前耳コピしたことがあります。




La peau douce - trailer HD subENG
 「柔らかい肌」フランソワーズ・ドルレアック。複弦楽器の音はポルトガルのファドに使う楽器だと思います。
 フランソワ・トリュフォー作品集としてサントラCDが出ています。



 音大きめ(特に後半)

悲しみは星影と共に






みなし児のバラード 新田洋
 サントラCDにはトランペット、ヴィブラフォン、ガットギターそれぞれのバージョンが収録されています。

Brahms Symphony NO.4 Bruch Violin Concerto


Carlos Kleiber - Brahms Symphony No.4 (1st mov./ first part)
 CDはクライバーとヴァントを持っていますが、たまたまライブがありましたので。





Bruch: 1. Violinkonzert ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Hilary Hahn ∙ Andrés Orozco-Estrada
 ブルッフ ヴァイオリン協奏曲 ヒラリー・ハーン。
 今地震が来ました。

かいもちひの児

 笑い話「児(ちご)のかいもちひするに空寝したる事」を紹介します。



 比叡山に稚児がいました。大人の僧たちが夜、「かいもちひ」(ぼたもちあるいはそばがき)をしようということになり、横になっていた稚児はわくわくしながら完成を待っていました。


 どうやら完成したらしい。僧が「起きてください」と呼びに来てくれましたが、一度で返事をするのもいかにも待っていたようでみっともない、と子ども心に考えまして、もう一度呼ばれたところで目が覚めたようにしよう、と取っ掛かりを測っていますと、


 「寝させておいてさしあげよう。幼子は寝入っておられるのだろう」
 と他の僧が止めました。


 「ああ、何ということだ。早くもう一度声をかけてほしい」
 と思いますが、、僧たちがせっせと食べている音だけが聞こえてきます。


 たまらなくなった稚児は、かなり経ってから勝手に「はい」と言ったので、僧たちは大笑いしました。




 稚児は見習いの小坊主でありながら身分が高い場合もあり、僧から可愛がられた存在でした。
 かいもちひは直訳するとぼた餅ですが、時間の流れや地域的に見て、そばがきとする説が有力のようです。

 大昔の子どもでも小さな見栄を張るものだなと驚きと共に感心もしました。大昔の人、特に子どもは感性や感情のまま生きていたんだろうと勝手に思っていました。
 ですが、本音と建て前は時代や年齢を問わずあった、と言われればなるほどそうに違いないと思われてくるのです。


 見栄と書きましたがプライドとも美徳とも言い換えられます。ぼくたちが子どものころも遠慮とか無言の作法のようなものがあったと思います。それは形にならなくても心の中で遠慮があった。


 それがいつのころからか引っ込み思案はよくない、行け行けという気風になって、50年ぐらい経ってみたら子どもも大人も前へ前へと出てくるようになりました。


 有名人が学校や幼稚園に行くとみんな元気に返事を返して来ます。ぼくらのころあんなに元気があっただろうかと思います。


 もう少し引っ込み思案というかシャイだったような気がします。もちろん腕白坊主はいました。おとなしい子もいました。バラバラに分かれていました。今みたいにリミッターに掛けたような一定のボリュームで元気があったかなあと考えると非常に疑わしい。


 もう少し歳が行ってもロックコンサートの盛り上げ方が恥ずかし半分だったりしました。今の子は大学生でも中学生みたいにはしゃいでいます。


 一方でぼくらより少し上の世代の人は今の若い人は元気がないと言います。見るポイントが違うんだろうと思いますが、前に出るのは得意だが、我慢がきかなくなったのでしょうか。
 観点が違えば違って見えるのは当然かもしれませんが、よくわかりません。



 脱線しましたが、「児のかいもちひするに空寝したる事」は『宇治拾遺物語』の十二話です。鎌倉時代前半に成立したと考えられています。


                      (参考:伊東玉美)