昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

Requiem : M・Haydn , Mozart

 ヨーゼフ・ハイドンの弟ミヒャエル・ハイドン(1737-1806)のレクイエムはモーツァルトのレクイエムの原型と言われています。

Requiem - Otto von Habsburg - Requiem und Kyrie (Michael Haydn)
 CDは2、3種類持ってますが、誰だったか思い出せません。





W. A. Mozart - Requiem (fantastic performance) [Arsys Bourgogne] [HD]
 ベームのモツレクはいいですが、ちょっと悲しすぎるところがあるので、こちらにしました。

『月世界探検』羽化仙史

 明治のころのSF小説の一節を紹介します。
 『月世界探検』は明治39年の作品です。羽化仙史(うかせんし)は安政四年(1857)生まれ。


 『月世界探検』第七 (一)


 残忍無情の蛮族も、無邪気なきん子が無限の愛嬌を呈して厚意を表するのを見て、心和(やわら)ぎ、気弛(ゆる)み、言うが儘(まま)に快く任かせたれば、きん子は、退いて、玻璃服(はりふく)を身に纏い、羽衣を着て、空中へ舞い揚って、見たところが、地球よりは、引力の量が少ない所為(せい)か、舞い揚がることは容易(たやす)いが、空気が至って稀薄ゆえ、翔(かけ)るのが余程困難である。


 しかし、きん子は、此の儘に飛去れば、蛮人の害を免れるは知れてあれど、同情に富んだる彼女(かれ)は、甚麼(どう)しても、そんな無慈悲な事を為すに忍びず、不利益と知りつつも、再び降りて蛮人に従うことにした。


 蛮人は、きん子の飛び揚ったのを見て、大いに驚き、言語(ことば)は通ぜねど、天津女神とでも思ったか、頗(すこぶ)る尊敬の意を表して、沙舟に乗せ、らく子、はな子、ふき子の三人を合乗りにさせた、しかし羽衣は、蛮人の懇請(こんせい)に依って脱去った。


 きん子は、他の人々の安否如何を掛慮(きづか)ったれど、自己(おのれ)すら体の好い囚虜(とりこ)も同然で、如何(どう)することも出来なかった。 




 (注)
 玻璃=玻瓈=ガラス
 甚麼=どう、なんと、麼は恁麼(いんも)で変換が容易。


 羽化仙史は本名渋江保。渋江抽斎の七男。慶應義塾本科卒。1857年生まれということはアルチュール・ランボーとグスタフ・マーラーの間の歳です。


 「空想科学小説集」『少年小説大系』(三一書房)は1986年刊行ですから、もう30年前に読んだことになります。当時笑みを含みながら読んだ記憶があります。


 きん子って名前が単純に面白いと思いました。大げさな表現なんだけど、今じゃ考えられない月への思いがちょっと稚拙。明治39年以後の旧制中学の生徒たちが読んでいたのかと思うと感心するやら微笑ましいやら、です。


 本編の全文は分厚い本に載っていますが、図書館用に刊行したシリーズ本と思われるので、図書館にあると思いますのでお確かめください。
 他の収録は幸田露伴、木々高太郎、北村小松、三石巌などの作品です。
 この三一書房の少年小説大系は約12巻ほど刊行されていますので、お好みのものを貸し出ししてはいかがでしょうか。


                 (参考:三一書房)

バーンズの詩

 ロバート・バーンズ(1759-1796)はスコットランドの国民的詩人です。のちにフリーメイソンに入りました。


   僅かのもので滿足し


 僅かのもので滿足し、澤山あれば陽氣にし、
 悲しみ心配に出會つた時には、
 愚圖つく奴を叩き出す、
 よい酒の杯と、古いスコットランドの歌をもて。


 時には思案に暮れるけど、
 人は軍人、世は戦争。
 樂みは笑ふは私の資本(もとで)、
 自由は絶對無上の王位。


 十二ヶ月の苦しみが私の運命あらうとも、
 樂しい一夜の歡樂は其を瘉して餘りあり。
 斯くて旅路の終りに辿り着いたる其の日には、
 誰が一體通った道の事なんかをば考へる。


 盲目の機會よ、躓(つまづ)け、よろめけ、
 來るなら來い、行くなら行け、えゝどうなりと勝手にせ。
 安樂も來い、苦勞も來い、樂しみ苦痛(いたみ)皆んな來い、
 私の最惡の言葉といふのはー「喜び迎へ又迎へる!」のだ。



 (念のための注)
 僅か=わずか     澤山=沢山     出會つた=出会った
 愚圖=愚図      瘉(「ゆ」で変換)=ユ、イユ≒癒(「いやし」で変換)
 餘り=あまり     一體=一体     機會=機会



 訳者の中村為治は明治31年(1898.1.17)銀座生まれです。第一高等学校で川端康成と同級。東京帝国大学英文学科卒、ロバート・バーンズ専門家。
 昭和54年にはスピノザの『倫理学』を羅和翻訳つまりラテン語和訳を行ないました。


               (参考:岩波文庫)

ステファヌ・マラルメの詩

 ステファヌ・マラルメ(1842.3.18-1898.9.9)の詩集の鈴木信太郎訳で紹介します。


  禮
 
 虚(むな)し、この泡沫、處女なる詩、
 ただ、酒盞(さかづき)を示すのみ。
 群居る人魚の、眼路(めぢ)はるか。
 躍り亂れて 沈み行くごと。


 船出して、 おお もろもろの
 友よ、 われ はや艫(とも)にあり、
 君 氣も驕(おご)り 舳(へ)
 雷(いかづち)と眞冬なす浪 掻き分けて


 醉(ゑひ) 艶(えん)だちて おのづから
 蹣跚(まんさん)と、 船のたゆたひ憚(はばか)らず、
 やをらわれ立ち この禮を獻げむ、


 寂寥、 暗礁、北極星、
 わが船の帆の素白(ましろ)なる
 悩みを 與へし 悉皆(あらゆる)ものに。



 (注)
 舳(へ)=へさき    醉(ゑひ)=酔い   禮=れい、らい   
 獻=たてまつる   悉皆=ことごとくみな


 訳は渡辺守章氏のものも刊行されています。ぼくは未見ですが、文語調と聞きました。鈴木訳も十分現代語とは離れていますが、ぜひ渡辺訳も見てみたいです。
 柏倉康夫氏の研究論文も気になりますが高価すぎて手が出ません。


                     (参考:鈴木信太郎)

Return To Forever


Return To Forever - Medieval Overture
 1976年ごろ友人とジャズ喫茶(吉祥寺アウトバック)に入ったら、このアルバムがかかったんです。ジャズ喫茶でもこういうのかかるんだなと思いました。
 その後、これは売れて下北沢のジャズ喫茶でもバンバンかかりました。




Return to Forever - School Days - LIVE
 これはスタンリー・クラークの名盤「スクールデイズ」の冒頭曲。
 当時FMでアルバム全曲流しっぱなしの番組があり、チェックを妹に頼んでいました。妹はちゃんと構えて待っていたのですが、冒頭が何気なく始まるので録音しそこなったのです。(番組のテーマだと思ったらしい)少しモメました。
 結局レコードもCDも買いました。この動画とは別のクラーク名義のライブ盤CDもあってそれも内容がいいです。



Return To Forever Live 1973 - Captain Señor Mouse/Game Maker (pt. 1/2)
 RTFのスタジオライブ、貴重な音源ですね。まだギタリストがビル・コナーズのころ。リズム隊の強靭さは無類です。