昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

シャルル・ボドレエル(ボードレール)の詩

 ボドレエルの詩を上田敏訳で挙げてみます。


   信天翁(をきのたいふ)


 波路遙けき徒然の慰草(なぐさめぐさ)と船人は、
 八重の潮路の海鳥の沖の太夫(たいふ)を生擒(いけど)りぬ、
 楫(かぢ)の枕のよき友よ心閑(のど)けき飛鳥(ひてう)かな、
 奥津(おきつ)潮騒(しほざゐ)すべりゆく舷(ふなばた)近くむれ集(つど)ふ。


 たゞ甲板に据ゑぬればげにや笑止(せうし)の極(きはみ)なる。
 この靑雲(あをぐも)の帝王も、足どりふらゝ、拙くも、
 あはれ、眞白き双翼(さうよく)は、たゞ徒に廣ごりて、
 今は身の仇、益(やう)も無き二つの櫂(かい)と曳きぬらむ。


 天(あま)飛ぶ鳥も、降(くだ)りては、やつれ醜き瘠姿(やせすがた)、
 昨日の羽根のたかぶりも、今はた鈍(おぞ)に痛はしく、
 煙草(きせる)に嘴(はし)をつゝかれて、心無(こゝろなし)には嘲けられ、
 しどろの足を摸(ま)ねされて、飛行(ひぎやう)の空に憧がるゝ。


 雲居の君のこのさまよ、世の歌人に似たらずや、
 暴風雨(あらし)を笑ひ、風凌ぎ獵(さつを)の弓をあざみしも、
 地(つち)の下界にやらはれて、勢子(せこ)の叫に煩へば、
 太しき双(そう)の羽根さへも起居(たちゐ)妨ぐ足まとひ。


  


 信天翁=アホウドリ、シンテンオウとも。



 この訳詩は1938年と言いますから昭和13年に初出です。


           (参考:上田敏訳詩集)

8マン エイトマン ③

 桑田次郎(現:二郎)は13歳でデビューした天才です。線描きのなめらかさは手塚治虫をしのぐもので、手塚が病気療養中代筆で描いたこともあるほど。
 平井和正は「幻魔大戦」で知られるSF界の人気作家です。


 この2人のコンビが作った「8マン」はぼくたちの世代にとって神にも値するすごい漫画です。

 圧倒的な画のうまさ、圧倒的なカッコよさ。

 ロボットにもかかわらず痛々しい。

 タバコ型の強化剤です。中にはカドミウムが含まれていて原子炉を活性化させます。
 この大人っぽいところにも当時の子どもは魅かれたと思います。

 構造図は漫画好きの少年は必ず描きました。ぼくは苦手でした。


 こういう豪華本も出ましたし、持っていました。

 女性美を損なわない救い方のパターン。

 丸美屋のふりかけはもちろんシール目当てで買いましたが、チズハムはあまり買った記憶がありません。今食べたらおいしそうですね。
 すきやきふりかけはよく買いました。シールは集めていましたが、窓ガラスに貼っていたため引っ越しで一切を失いました。2013年には丸美屋ふりかけ8マンシール50周年のキャンペーンで大人買いしました。

 平井和正。桑田次郎との共著では「デスハンター」が好きです。一見虚無的なストーリーですが、人類とは何か、死とは何か、平井氏の人類に対する失望感、絶望感が伝わってきて深い哲学的なSF大作だと思います。のちの「幻魔大戦」につながっているんだろうと思います。


 桑田次郎は当時連載が多すぎて睡眠さえも取れず自殺を考えて、拳銃を所持していたため、銃刀法違反で人気絶頂のころに逮捕されました。42歳すぎからは東洋思想を中心に漫画を描き下しています。


 主題歌を歌っていた克美しげるは殺人事件を起こして10年服役しました。


 桑田次郎が上手すぎてその後の世代の漫画には満足できず、大人になってからは漫画に熱中することはほとんどありませんでした。


 ぼくらの世代は「少年マガジン」で連載された8マンのファンなのでテレビのアニメ化で原画も動画もヘタな回はちょっとがっかりしていました。東探偵がマッコウクジラみたいになっていたり、細かいところで不満はありました。


 ちなみにさち子さんの声優は上田みゆきで佐々木功の奥さんです。東探偵の高山栄は亡くなりました。デーモン博士の声優は高遠(下の名前は度忘れ)さんです。高遠さんは月光仮面に出ていました。

江馬細香の漢詩

 江馬細香の42歳の、文政十一年(1828)の作。


   題竹
 玉立湘江碧    玉立(ぎょくりつ)す 湘江(しょうこう)の碧(みどり)
 逢人写数枝    人に逢いて 数枝(すうし)を写す
 流伝如有後    流伝(るでん)せば 後有(のちあ)るが如し
 不必恨無児    必ずしも児無きを恨(うら)まず


 青々と水をたたえた湘江のほとりにまっすぐ立つ清らかな竹の姿。人に会ってその数枝を描いてさしあげた。
 私の描いた画(え)が伝われば、子孫があるのと同じこと。子どもがいないのを恨めしく思うことはないわ。




 五言絶句。枝・児(上平声四支)。『湘夢遺稿』上。


 (注)
 玉立=竹のまっすぐのびたようすをいう。  
 湘江=いにしえの聖天子舜(しゅん)が南巡して客死したとき、堯の娘で舜の妃であった娥皇と女英は湘江のほとりまで来て嘆き悲しみ、その二人の流した涙で竹がすべてまだらになったという。
 流伝=世間に伝わる。    有後=後は後をつぐ子孫。


 頼山陽が評して「真情実話。之を読まば涕(なみだ)を攪(と)る」と言う。



            (参考:福島理子)

河童銭

 大田南畝が言い伝えを記したことによりますと、


   河童銭
 天明五年乙巳(1785)某月頃の事である。江戸麴町に飴屋十兵衛なる者があった。常より正直な心根の持主であったが、或る日の夕方、一人の童子がやって来ておどけた様子を見せるので、憐れみを覚え、飴を与えた。


 それ以来、夕方になると来るゆえ、聊(いささ)か怪しく思い、帰る跡をつけたところ、お城の堀の中に入ってしまった。さては河童であったかと恐ろしく思ったが、また或る日やって来て、十兵衛に銭を与えて去り、その後は現れなくなった。


 その銭は、今、番町の能勢又十郎殿の家にあるというが、もとより尋常の銭ではない。件(くだん)の銭の型を押したものだと言って、浅草の馬道に住む佐々木丹蔵篁墩(たかあつ)が贈ってくれたので、ここに写しておく。


 (注)この画像は本に載っていたものとは異なります。


         (参考「一話一言」須永朝彦編訳)

ジオフレ・リュデル  恋愛詩

 ジオフレ・リュデルの「戀慕流し」という1130年の詩です。



     戀慕流し         ジオフレ・リュデル
 
 晝(ひる)はひめもす泣き暮らす
 焦(こが)るる憂身(うきみ)の消えもせで
 戀慕(れんぼ)のしらべ仄(ほの)かにも
 涙まぎらす切なさに
 洩らす吐息ぞなかなかに


 今のわが身になつかしく
 添はれようかと空だのめ
 つくす誠のかずかずを
 君さまゆゑの狂亂と
 そしらばそしれ 人こそ知らね



 翻訳者の矢野目源一は明治29年(1896)生まれで、この詩の翻訳本初版(第一書房)は昭和8年です。



                (参考:国書刊行会)