昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

Benjamin Britten , Max Reger Violin Concerto


Britten Violin Concerto op. 15
 ベンジャミン・ブリテン(1913-1976)のヴァイオリン協奏曲はイダ・ヘンデルが一番好きです。(EMI)
 第1楽章、都会的なロマンと激しさが進行する中、雲行きが変わりエキゾチックなオケの波が押し寄せてくるあたり、ビルヂング街にターバンを巻いた一行がゆったり歩いているような幻想を抱きます。





Reger, Max mvt1(begin) violin concerto
 マックス・レーガー(1873-1916)のヴァイオリン協奏曲はCD店で試聴して買いました。
 持っているのはパイネマン版です(AMATI)。後でわかったことですが、パイネマンはけっこう美人です。
 上で聴かれる演奏は演奏者など詳細はわかりません。
 パイネマン演奏の同曲はYouTubeで見つかりませんでした。
 地味なヴァイオリンの細かいフレーズが続きますが意外に聴きやすい曲だと思います。

シベリアで抑留された伯父

 伯父のHさんはシベリアで抑留されて、それまでにソ連の湖に20日間浸かったまま、戦友たちが目の前でバタバタと倒れていったと聞きました。ソ連軍の捕虜になった時は逆に命拾いしたような感じだったようです。
 ヤポンスキー、ロスキー、ソルダット、ハラショ、スパシーバなど片言のロシア語で看護婦と仲良くなったと言っていました。
 Hさんは大正9年生まれながら大柄長身でおそらく精神力も半端ないので生き延びたのでしょう。


 Hさんのことは親戚の間では本郷の伯父さんと呼んでいました。実家が本郷區だったからですが、あのころは親戚や身内は地名で呼び合っていました。うちも赤坂と呼ばれていました。
 で、本郷の伯父さんが戦後シベリアから引き揚げて実家に戻ってみたら、土地を半分奪われていました。戦争のどさくさの中、勝手に土地の図面に他人が線を引いてしまったといいます。
 とにかく食うために関東のとあるところに職を求めたのですが、たまたま後の妻(伯母)と出会いまして結婚したわけです。


 本郷の所帯は大舅小姑病人が雑居状態でした。都心は焼け野原から復興途中ですから身を寄せ合って暮らしていたんでしょう。
 従兄は昭和25年生まれですが、畳ではなく筵(むしろ:茣蓙ござ)を敷いた板の間で赤ん坊のころ育てられたというのです。昭和28年には次男が生まれます(ぼくにとっては従兄)。でもそのころから伯母は大舅小姑との雑居状態に耐えきれなくなっていました。


 今の人には考えられないほどのストレスがあったと思います。その後いろいろあって省略しますが、伯父は83歳まで生きたし、伯母は存命中で今年94歳です。うちの両親なんかとっくにいないのにw
 伯父は酒好きで酒は強かったです。その伯父のことをイメージして漢詩を作ったことがあります。たぶん15年ぐらい前です。


   歳晩
 倉米淸貧生計難      倉米淸貧生計難し
 寒厨雪満酒瓶乾      寒厨雪満ち酒瓶乾く
 慈親多病人將老      慈親多病人將に老んとす
 守夜蕭然燈影殘      守夜蕭然燈影殘す


 (注)守夜=夜明かし

Elgar , Schumann Cello Concerto


ELGAR CELLO CONCERTO, JACQUELINE DU PRE
 エルガーのチェロコンチェルト。ジャクリーヌ・デュプレ。バレンボイム指揮。
 冒頭から涙がちょちょ切れそう




Rostropovich Bernstein Schumann cello concerto
 ロストロポーヴィッチとバーンスタインでシューマンチェロコンチェルト。

梁川(張)紅蘭の詩

 梁川紅蘭は文化元年1804年3月15日(グレゴリオ暦4月24日)に生まれました。女流詩人としては江馬細香に並んで語られるほどの才媛でした。

 美濃の曽根村(岐阜県大垣)の梁川星巌が開いた私塾「梨花村草舎」に14歳で通うようになり、紅蘭のほうが星巌に魅かれ17歳で結婚しました。15歳年の差があり(星巌32歳)、再従兄弟(またいとこ)でもあったため、紅蘭の父は迷いましたが、星巌の人柄を高く評価して結婚を許したといいます。文政三年(1820)のことです。

 当時苗字を一緒にする慣習は無かったのですが、張と名乗りました。一説には曾祖母が尾張徳川の士族の出なので、尾張から取って張と名乗ったと言われています。星巌の生前は特に張もしくは張氏と名乗っていました。張にしても紅蘭にしても当時中国風にするのが流行っていた背景はあると思います。旧姓は稲津で名は景です。


     梅花寒雀の図


 啁哳百千相集喧     啁哳(とうたつ) 百千 相集りて喧(かまびす)し
 蹋枝啄蘂弄春喧     枝を蹋(ふ)み 蘂(はな)を啄(ついば)んで
 不知粉蝶眠何処     知らず 粉蝶(ふんちょう) 何(いず)れの処に眠るかを
 剛被嘉賓占上番     剛(まさ)に嘉賓(かひん)に上番を占めらる


 無数の雀たちが集まっては、ちゅんちゅんとかしましくさえずっている。
 枝にのり、花をついばんで暖かい春の日差しを満喫している。
 白い蝶々はどこに眠っているのかしら。あいにくにもお客様方に春一番の花を独り占めにされてしまいましたのね。

 「白鷗社集会図」でも江馬細香の後ろでつつましく座っている紅蘭の姿が確認できます。細香とは16~7歳も違いますから、年の離れた姉妹か叔母と姪のような関係だったようです。

  紅蘭の書。張氏紅蘭の署名があります。星巌の死後は梁川紅蘭を名乗ることが多かったです。

 梁川星巌(時代劇の妖術使いみたいな風貌です)


 星巌夫婦はあちこち旅ばかりの一生でしたが、星巌がコレラで亡くなったのは京都の頼山陽の旧宅山紫水明処の隣り「老竜庵」でした。
 安政の大獄で捕まるはずだった直前に星巌は亡くなったわけです。頼山陽の四男頼三樹三郎は捕えられて処刑にあっています。
 紅蘭は星巌の身代わりに捕えられました。半年間の取り調べ中、知らぬ存ぜぬの一点張りで釈放され難を逃れました。


 紅蘭は獄中で詩を詠んでいます。


   己未正月廿九日 獄中作
 誰か弧鸞(こらん)を把(と)って 網塵(もうじん)に付す
 飛ぶを囚え舞うを禁じて 太(はなは)だ艱屯(かんちゅん)
 栄衰と寵辱(ちょうじょく)は固(もと)より常の事
 誰か害せんや乾坤不測の神を
                      (原詩省略)
 独り身の私を捕らえて、埃だらけの網に押し込んだのは誰だろう。
 飛ぶも舞うもさせずに難儀なことだ。
 人の世の栄衰など当たり前のこと。しかし私は天地古今を一貫する霊性を持っているから、こればかりは誰も害することはできない。


 自由の身となった紅蘭は寄宿などした後「老竜庵」に戻って私塾を続けました。さらに時代は大きく変わっていきますが、少なからず紅蘭も影響を与えたように思います。


                  (参考:福島理子 伊藤宗隆)

昭和レトロなクラシック・カー

 車はあまり詳しくないので車種など間違いがあったらご容赦ください。

 ルノーは小型なので60円タクシーでした。都電の線路に沿って走ると凸凹が直接伝わってきました。


 麻布森元町はどこかと言うと、狸穴町や飯倉の隣町(中ノ橋方面)です。中ノ橋は麻布一ノ橋と赤羽橋(東京タワーが見えるところ)の中間です。


 プリンス・グロリアは一番好きな車でした。顔の表情に魅かれました。グランドグロリアは排気量2500ccでした。ライバルはクラウン6で、2600ccでした。


 これは昭和の町でよく走っていた日野コンテッサ。

 いわゆる観音開きのトヨペットクラウン。

 赤坂豊川稲荷前、「須田町」行の都電。これにマッチするのはレトロな車なんです。


 度忘れしましたが、ルノーかも。

 有閑マダムご用達のヒルマン。洋服でも和服でもOK。


c

 日野コンテッサのイタリア仕様。オレンジがかったレッドもありました。こういう流線形は好きです。戦闘機で言えばメッサ―シュミットとか飛燕を想起させます。


 記憶があいまいですが、これになると70年代以降に見かけたような気がします。