昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

バスガール 車掌かばん(バッグ)

 昔バスに乗るとバスガールがいました。車内を巡って乗客に目的地を訊いて切符を売ります。ハサミをカチャンと入れます。現金を手渡されると手際よくバッグに収めておつりを取り出します。
 この車掌かばん(バッグ)はワンタッチで開閉ができ便利そうでした。がま口の親玉みたいな形状と大きさで黒革でできたコンパクトなものでした。バスガールは斜め掛けして前に来るようにしていました。
 バスの場合女性でしたのでバスガールと呼び、都電は男性でしたので車掌さんと呼んでいました。後年バスでも男性が多くなりました。

 近年この車掌かばん(バッグ)がファッションアイテムとして売れているようです。ぼくが女性だったら買うと思います。
 ちょっとしたドライブなどで大きな荷物は車に置いてこの車掌かばん(バッグ)を斜め掛けし「道の駅」とかでショッピングや休憩に重宝しそうです。ただ背中にぶら下げたままだとスリに遭いそうです。
 もっとも免許もないし、ドライブなど10年以上出かけていないので現実的ではありませんがw


 バスガールは発車オーライと運転手に声を掛けていました。都電の車掌さんはひもを引っ張ってチンチンと鳴らしていました。ちんちん電車と呼ばれたのはここからでしょう。
 黒革の車掌かばん(バッグ)は何千回も開閉しているので手が当たるところがテカテカに光っていました。

牛込 市谷薬王寺町

 中1の時の同級生I君は当時市谷薬王寺町に住んでいました。昭和42年ごろは行ったこともなく聞き慣れない地名だったので、どんなところだろうと想像しても想像の域を出ませんでした。
 I君は当時放課後千代田区からバスに乗って市ヶ谷駅経由で大久保通りの牛込柳町で降りていたようです。
 ぼくは最近までそれを知らず、四ツ谷駅から国電を使って市ヶ谷駅で降り、江上料理学校の市谷左内町の坂を上り、大日本印刷の裏を歩いて通っていたんだろうかと勝手に想像していました。

 後年自転車で都内を走り廻るようになったころ、市谷薬王寺町とか市谷柳町とかを通ることもたびたびありました。外苑東通りは狭く渋滞しやすいです。昭和40年代、牛込柳町の交差点はスモッグの高い数値が検出され有名になったように記憶しています。
 市谷薬王寺町は横道に入るので閑静な住宅街です。ここ数年やっと外苑東通りも着々と拡幅が進められるようになりました。
 1990年代まで交差点の角の2階に喫茶店があって、何度か利用したことがあります。現在はありません。大久保通り沿いのスーパー「よしや」はあるようです。外苑東通り沿いには「くすりの福太郎」とかファミリーマートが並んでいます。


 最近薬王寺町付近に住んでいる団塊世代の人と知り合いになりました。今は入院中なので会うことはできませんが、ユーモアたっぷりで楽しい人です。

明治の講談本 ①

 祖母から教わった明治時代の講談本のセリフがあります。いわば明治のラップ?と呼べるものではないでしょうか。演芸の一種だと思います。


 ◎抑も(そもそも)、わっちがのっぺらぼうのすっぺらぼう、すっぺらぼうののっぺらぼう、坊主になった云はる因縁訊いても呉んねえ、椎茸さんに干瓢(かんぴょう)さんに手練手管にたたき叩いて駄字の目のめって舟ぢゃ危ねえお駕籠(かご)で来なせえ


 ◎一々申すも憎らしい散散な事をしやがって業突張りの碌でなし七面倒臭え張っ飛ばせ糞垂れ野郎の唐茄子頭


 少々乱暴な言葉が並びますが、江戸から明治のころの俗な言語の一端が覗けて面白いと思います。二番目の文は言うまでもなく数字の韻を踏んでいます。

ホステスさんの知恵

 二号さんに限らず水商売でも殊に銀座のホステスというと、昭和30年代は特別な存在だったのではないかと思います。二号さんでもお妾さんでもなく本妻におさまった人もいます。稀なことではあるんでしょうけど。
 ホステス自身も私立の有名女子短大出で、子どもの教育にお金を掛けて塾やピアノや語学を習わし、私立の小学校に入学させました。
 順調に内部進学し、高校から現役で東大に受かりそのまま大学院へ。
 海外に留学する際も幼少時語学を習っていたことが生かされました。留学先の言語で論文を書き、ラテン語も習得しました。
 判りませんけど今の水商売の人はそういう知恵を働かせるのは普通なのかもしれません。

二宮金次郎

 二宮金次郎の物語を読んだのは小学5年ぐらいでした。子どもながら金次郎の真面目さに感動したのか感想文を書いた覚えがあります。この本は親に買ってもらったのではなく、母と父の会社の社長さん宅を訪れておみやげにもらったのです。
 両親はぼくの教育にあまり熱心ではなく本も与えなかったので、社長さんからいただいた本をありがたく読みました。祖母は収入も高く読書家でしたが、孫の教育まで気が回らず本を買い与えることがありませんでした。父も読書が好きでしたが、収入は高くなく自分のこづかいだけでいっぱいだったと思います。
 母は社長に父の浮気のことで相談しに行ったのです。ぼくは単にお供しただけです。

 未だに二宮金次郎像とか見るとホッとします。昨今あの像が問題になっていて、歩きながらの読書は良くないと、撤去されたり、果ては腰かけて背中の薪は傍らに置かれ読書する像に変わったりと極端すぎます。
 歩きスマホと根本的に違います。山の中あまり人も歩いていないところを歩きながら読書するのは悪くありません。人通りの激しい街中で歩きながらスマホを見るのはとても危険で迷惑な話です。
 二宮金次郎像に文句つける前に歩きスマホに直接注意を呼びかけるべきです。


 社長からもらった本は二宮金次郎物語と中国昔話でした。それもけっこう刺激的で作文に中国人が登場する創作をしたほどです。中国はいろいろ問題がありそうな国ですが、昔話のレベルなら面白いと思います。日本人は昔から漢文を習っていてアジアのラテン語といえるぐらい重宝な言語だと思うのですが、一生かけてなるべく漢文が読めるように少しずつ勉強できたらなぁと感じる次第です。
 驚くことに日本人が漢文を習っていることを中国人の多くは知らないそうです。