昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

月光仮面の出演者

 バテレンのお由こと深川きよ美さんは昭和ヒトケタの生まれと推察されます。バテレンのお由は「どくろ仮面」の巻においてです。深川さんは「幽霊党の逆襲」ではおりん役です。


 ハンチングの由は宮田洋容さん、「バラダイ王国の秘宝」においてです。宮田さんは大正4年熊本生まれで、昭和10年ミスワカナ一座に加わり漫才師になったそうです。ここでは深川きよ美さんはマキ役ですが、ハンチングの由から「姐御さん」と呼ばれています。

 サタンの爪一味にターバンを巻いた手下のサブーナとレンジーノが登場しますが、サブーナは十朱三郎さんという人です。判りませんが、十朱幸代の叔父さんではないでしょうか。


 北村警官は加藤精一さん、この方は後年「巨人の星」の星一徹の声をやられていました。善人悪人両方こなす高塔正康さんは後年「8マン」のデーモン博士の声をやりました。ご両人とも低音でかつ輪郭のしっかりした素晴らしい声ですね。

二号さん

 表町の2階には二号さんが何人かいました。地〇鉄総裁とかお酒メーカー重役とかが囲っていたのです。当時、都心の貸室に女性を囲うほうもそれなりの収入なり地位がある人ですが、囲われる女性も何かしら長所のある人でなければいけません。
 資格を持っているとか、人当りがいいとか、信用できる人とか、金銭にキレイな人、家柄がいいとか、美人であるとかです。


 お店を経営する、もしくは任されるような女性は何か美徳があるんでしょう。万が一出資者の旦那さんに捨てられても他の人に救われるとか自立できそうな女性が選ばれるような気がします。

 昭和30年代は着物が似合うこと、当たり前ですが自分で着れることも大前提でした。洋装でも小奇麗で品のあること、などが外見の条件として挙げられます。
 そういう点ではいわゆる職業婦人とか水商売の女性各々単独の特性と一線を画していたと思います。


 この30年40年あまり二号さんという言葉を聞きません。お妾さんという古臭い感じの言葉のほうが使われるような気がします。二号さんというのは昭和30年代を感じさせるに相応しい言葉だと思います。

玉音放送

 終戦の日の玉音放送は、母は軍需工場で出納係でしたのでみんな集まって聴いたそうです。
 天皇陛下のお言葉の内容は判らなかったようですが、放送が終わってみんな持ち場に戻って作業を続けていました。
 すると工場長さんに、
「もう戦争は終わったのだから、作業しなくていいんだよ!」
と言われて、ああそうかとばかりにみんな手を休めたそうです。

都電の思い出

 子どものころはまだ都電が走っていました。思い出というか象徴的な風景として憶えているのは、大人の女性が夏場つり革につかまっているとわき毛が普通に見えていました。

 それと若い母親が腰かけて乳房を半分出して赤ん坊に乳を与えていました。ぼくら子どもたちから見て自然な光景でした。母親というのはそういうものだと思っていました。
 外出するときは赤ん坊を背中に背負っているのも当たり前です。

 いつのころか、昭和50年代半ばあたりから背中に背負わず、前に赤ん坊をベルトで抱くのがオシャレみたいな風潮になりました。赤ん坊と向き合うほうがお互いに安心だから、というのが若い母親たちの口実ですが、本当は背中に背負っているのは所帯じみていてカッコわるい、と感じて前に抱いていたんだろうと思います。

 そのころから少しずつ日本はおかしくなっていったんだろうと思います。
 都電の思い出から思わぬ方向に話が飛んでしまいましたw

昭和レトロ写真 ⑦

 ベッサ66という蛇腹のカメラを買ったのが何年なのかわかりません。2007年以降だろうということしか分からないのです。


 ベッサ66はフォクトレンダーのカメラです。手帳には買ったことしか書いていないので、撮影結果は何とも判断できませんが、持った感じは悪くなかったと思います。

 2007年には三台クラカメを買いました。


 Nettax513/16(ツァイス・イコン1955~57)ノバーF4.5それと、バルダ6×6トリオプランF2.9(1930年)この二台はデパートの中古市で買いました。
 ネタックスは周辺グルグルになる傾向がありバルダのほうが好みでした。


 もう一台はツァイス・イコン521/16という6×6でノバーF3.5(1938年)です。これは有楽町の交通会館の中古市で買いました。



 この数年6×6で蛇腹という目安でだいたい2万円~3万円ぐらいを目安に買いました。

 とにかく昭和10年代~30年ごろの写真のように撮れればいいと判断してのことです。
 十台、二十台買ってもぼくは初心者ですから、マニアの方からすれば笑ってしまうようなことを書いているかもしれません。

 ただ写真も素人が撮ったように撮りたい、まさに自分は素人ですからそのような写真が撮れればいいなぁと思っています。


 昭和っぽい被写体が少なくなっているのが残念です。