昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

童謡歌手 特撮ヒーロー

 童謡歌手で一番身近なのは「月光仮面は誰でしょう」を歌った近藤よし子ではないでしょうか。あの清純可憐な声で月光仮面のおじさんと来れば涙がちょちょ切れないではいられません。ちなみにちょちょ切れるという言葉は小金井のAくんがすでに70年代に使っていました。




 ところが近藤よし子は意外に肉食系だったのです。不倫心中事件を起こして芸能界から引退しました。現在はハワイ在住とのこと。昭和18年生まれですから今年73歳です。
 「七色仮面」の「解けない謎をさらりと解いて~~でーんでーんとろりこやーっつけろ」で有名なテーマも近藤よし子が歌っています。「この世にあだなすものたちを」なんていうのもシビれる歌詞です。


 「まぼろし探偵」でボーイソプラノの美声ぶりを聴かせてくれたのは岩瀬寛です。二番の歌詞「親に心配かけまいと」のけなげさもグッときます。岩瀬寛は「赤胴鈴之助」も歌っていますが、ラジオ時代なのであまり記憶にありません。岩瀬さんは何年生まれかわかりません。
 「少年ジェット」の藤波一美と大道寺重雄も透き通るような美声を聴かせてくれます。


 ちなみに上高田少年合唱団とか西六郷少年少女合唱団、杉並児童合唱団とかの名は記憶にあると思います。羅列しますと「赤胴鈴之助」は上高田少年合唱団、「月光仮面は誰でしょう」はキング子鳩会、「少年ジェット」はビクター児童合唱団、「まぼろし探偵」と「矢車剣之助」は上高田少年合唱団、「七色仮面」はキング子鳩会、「アラーの使者」は上高田少年合唱団、「隠密剣士」はひばり児童合唱団、「ウルトラマン」はみすず児童合唱団です。
 ちなみに「怪傑ハリマオ」は三橋美智也で、「忍者部隊月光」はデューク・エイセスです。
(参考CD:「テレビ主題歌黄金時代 ~活劇ヒーロー編~」キング)


 でもこのころのヒーローものは軍歌みたいです。戦後にもかかわらずけっこう戦争の名残りがあったんでしょうか。童謡歌手が歌っているからいいようなものの、大人の男声コーラスにしたらパチンコ屋さんで昔かかっていたようなメロディーの雰囲気があります。
 まあ「赤胴鈴之助」などは東映の時代劇映画を連想させる楽曲ですけど。あと無声映画の活弁のBGMの名残りがあるのかもしれません。さすがに活弁はリアルタイムでは知りません。

麻布界隈散歩

 麻布十番に住んだころ麻布のがま池を探したことがあります。大黒坂を上ってゆき、暗闇坂、狸坂と合流したところからさらに二本松坂を行くと、そこはちょうど善福寺の裏になりますが、西町インターナショナルスクールがあります。
 芸能人のH・I夫妻の子も通っていると噂を聞きますが、自宅も近くにあるようです。
 平成の始め自転車で仙台坂を上っていたら西町インターの生徒と思しき子どもたちがハロウィンの仮装をして騒ぎながら走ってきたのを想い出しました。ですから仙台坂からも行けないことはないです。


 西町インターナショナルスクールのところの道を曲がりそのまま行くと半分階段の道がありますが、その手前を左に折れるとシャルダン元麻布というマンションがあります。
 次の路地を右に曲がりましたが、どうも池らしいものは見えません。緑がうっそうとしているので何となくこの辺だろうな、と思いつつ決め手がありません。
 さっきの階段の道も通ってみましたが、ダメです。池の周りは道に囲まれていてマンションも建っているので直接は見られません。結局このあたりはいびつな台形の袋小路になっているようでした。


 近所は金丸信の旧宅や通りに出れば麻布学園もあります。有名なテニスコートも近いです。テニスコートのところでまだ無名だった麻木久仁子がリポーターとしてロケをやってるところを自転車で通りがかって見たことがあります。それはバブルのころですね。


 70年代後半に初めて中央図書館を訪れたときのことを想い出します。有栖川公園はオシャレでしたが、図書館もずいぶんと近代的な建物でシステムも現代風でした。


 ちなみに麻布十番祭りはまだテレビ中継が入る前のころに行って気に入り二三度行きました。昭和30年代のころの麻布十番や西町のがま池のことなど、『麻布新堀竹谷町』山口正介著を読むとあざやかによみがえり面白いです。早く文庫化するか電子化すると広く読まれると思うのですが。

深川江戸資料館

 深川江戸資料館は二度行きました。思ったより快適なところです。暇があったらもう一度行きたいと思いつつ何年か経ってしまいました。
 バブルの前後、江戸ブームとか下町ブームがありました。何の気なしに思い立って東京メトロ東西線で「門前仲町」まで行って深川の街を散策しました。深川は五六度行きました。


 その折、気が向いて深川江戸資料館まで足を延ばしたのです。江戸資料館の最寄り駅は都営大江戸線にできましたが、当時はまだ大江戸線はなく東西線「門前仲町」からも一駅歩くぐらいの感覚で歩けました。


 一度めは深川の街をカメラで撮り歩いてその足で資料館に向かったと思います。初めて入ってびっくりしました。江戸の長屋がそのまま再現されているのです。長屋に住む庶民の暮らしぶりが細密に大道具小道具すべて目の当りにできます。薄暗いのは逆にリアリティーがあります。八百屋があったり米屋、味噌屋、船着き場があり団子を売っている茶屋もあります。ただし食べるのが目的ではなく見るだけです。


 二度めはもう撮影するのが目的でフィルムの感度を1600ぐらいに設定していきました。(それでも出来上がりは暗めのカラー写真でした)
 館内はキンキンに冷房が効いていて気持ちよかったです。長屋には女住まいの部屋があり中には三味線が置いてありました。ツンテンと指で爪弾きしてみると、ツンと弾いただけで江戸の街の雰囲気が出ます。ツンとやってから押さえているほうの指の腹を微妙にずらすと粋さが出ます。
 そばで興味深げに見ていた知らない小学生の女の子はぼくが弾き終わると奪うように三味線を手にして弾き始めました。
 子どもだからと言って三味線に興味を持たないと思うのは先入観です。三味線の奏でる雰囲気というのはどんな年代も感じられるものだとその時思いました。それも爪で弾くからよけいにひそやかな感じになります。


 未だにくやしいと思っているのは祖母を連れていけなかったことです。祖母と母と深川を散歩したことがあり、伊勢屋のおいなりさんも買ったしお参りも済ませた、さてどこへ行こうかという時にうっかり清澄庭園へ行こうと言ってしまいました。ホントは江戸資料館に行きたかったのですが、江戸とか粋に全く興味を持たない母に遠慮してしまいました。祖母の足を気遣いタクシーで清澄庭園に向かいました。
 真夏の炎天下に清澄庭園なんてホントに失敗でした。祖母は暑いのが苦手です。肝心要な時に何で母の意向を尊重してしまうんだろうと後悔しました。祖母が亡くなった今なお悔やんでいます。
 でも地図で見ると清澄庭園と深川江戸資料館は隣り合っているんですね^^;

菊地雅章 Masabumi Kikuchi

 菊地雅章の「エンド・フォー・ザ・ビギニング」というアルバムの「ベル」を聴くと新宿の街を想い出します。

 スナックかバーで夜明けまで呑んでしまって、枯葉の舞う路地を歩いている職業不明の男。学生運動も終わった、これからどうやって生きていこうかなどとシケモクの煙で顔を歪ませている主人公。どこか劇画の一場面にありそうです。

 「ベル」は菊地のピアノが秀逸すぎて鳥肌が立ちます。


 このアルバムは1973年にビクタースタジオで公開録音したものです。メンバーは菊地雅章(p)、峰厚介(ss)、宮田英夫(ts,fl)、鈴木良雄(b)、村上寛(ds)です。

 ビクタースタジオというとパッと浮かぶのは千駄ヶ谷のあのトンネルのところです。上が墓場になっているのでスタジオで録ったレコードには女性の泣き叫ぶ声が入っていたなんて都市伝説もあります。


 アルバム一曲めの「驟雨」は少し退屈です。同じミディアムテンポでずっと終わりまでいくのです。80年代以降なら途中で速いフォービートの展開があって後半またミディアムに戻るでしょう。それでも14分は長い。半分の時間で済むはずです。日本人はロックでもジャズでも展開がのろいです。

 「銀界」は日本的でもありますが、いい緊張感もあり退屈させません。インプロヴィゼーション的な展開もあって主題に戻ります。


 菊地雅章の雅章を「まさぶみ」と読むのを知ったのは、ちょうどこのアルバム録音時1973年ごろです。プーサンこと菊地が渡米する直前でした。ジャケットの写真はスタジオなんでしょうか、「禁煙」と貼ってある真下で壁に寄りかかって5人全員が煙草を手にしています。このころはまだまだ煙草を吸うのは当たり前でした。女性でも財布と煙草だけ持って出かける人もいました。

天気予報と折りたたみ傘

 天気予報は当たらないというのが定説になって何十年経つでしょうか。


 40年ぐらい前のコロムビア・トップライトの漫才に
 「晴れのち曇り時々雨ところによっては雪、これなら絶対はずれない」
 というのがありました。これは漫才のネタですが、現代の天気予報にも一脈通じる面があると思います。


 ゲリラ豪雨とかゲリラ雷雨なんかもそうですね。竜巻とかも。異常気象も確かにありますけど、いつどこで雷や豪雨、竜巻が起きても不思議でない陽気です、と言われればそうなんだと思ってしまいます。


 一時期天気予報はわざとはずしているのではないかと思うことがありました。経済効果は半端ではないですからね。
 雨の降る率10%で出かけたら出先で急に雨が降り出し、あわててカフェに駆け込んだりふところに余裕のある人はタクシーを拾います。
 うちに帰れば玄関に売るほど傘があるのでぎりぎりまで傘を買わない、人も多いでしょう。何か、やみそうにないのでビニール傘をコンビニで仕方なく買ったら、すぐやんだなんてことは誰しも経験のあることでしょう。


 カフェに駆け込むのだって、コンビニのビニール傘も最近は高いから、ゆっくりスマホを見たいから、アプリで気象情報を得たいから、とかいろいろ自身に言い訳している人も多そうです。
 外国人は少々の雨では傘を差しません。渋谷や新宿を歩いていても小雨だったら平気で歩いているのを見かけます。日本人は傘が好きなのかもしれない。


 一方で、アプリに雨マークがあってもちっとも降らないのはどういうわけか?と問うと「ところによって」の言葉が省かれている、という気象予報士の言い訳もさすが!です。


 近年、折りたたみ傘を持って出かけることをやけに薦める気象予報士が多いのは、当たらないときの保険でしょうか。傘メーカーとの癒着が疑われないようにか。でも折りたたみ傘、特に日傘と兼用の雨傘は売れに売れている、とデータを見なくても感じるので新商法!かもしれないです。