昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

大和楽 筝曲

 舞踊小唄としての三島儷子の歌声は高音ながら年齢のいったものだと感じます。「藤の花」「人形」は年少者向けの楽曲ですが、「桜盃」「雪の隅田川」の鳴り物入りの古い録音を聴くとモノクロ時代劇映画とかを連想させます。
 そういうキャリアを持って、大倉喜七郎創案の大和楽の代表的な存在となり、昭和50年には大和美代葵(みよき)と改名しました。


 大和楽の楽曲は創案当時、大衆文学の名家であった長田幹彦、笹川臨風や長谷川時雨それと邦枝完二(俳優木村功の妻梢の父)や詩人の西条八十、田中青磁などが作詞しています。CDの録音には箏に米川敏子、鳴り物に堅田喜三久社中など超一流の人たちが参加しています。


 大和楽の特徴は歌が合唱になったりハモりがあること、コーラスがあることです。洋楽の要素を取り入れています。


 イメージとしてはやはり歴史小説や明治文学原作のモノクロ映画にかかるようなBGMです。笛太鼓いわゆる鳴り物が入ると時代の大きな流れを感じさせます。



 筝曲は生田流と山田流があって見た目の区別はつけ爪です。角爪は生田流で丸爪は山田流です。宮城道雄は有名ですが、正月など和風喫茶店などでBGMがかかっていますね。牛込中町に記念館があります。
 中能島欣一は山田流の代表的な存在です。筝曲のCDを聴くと非の打ちどころがない感じです。宮城道雄より一段上質な感じがなくもないです。ただちょっと堅苦しい一面もあります。今井慶松の娘慶子が中能島流派を継ぐ形で中能島慶子となりました。

『岡康砧』中能島欣一、中能島慶子



 ちなみに下谷小つるも年がいくと少し渋さが加わり、鳴り物入りで歴史小説的な情緒も備えるようになります。三島儷子が明治生まれとすれば下谷小つるは昭和ひと桁生まれではないかと思います。小つるは春日とよの楽曲も採用しますが、その際はビクターからレコードを出していました。時期は昭和39年ごろです。


 バブルのころでしょうか。モーツァルトを聴くと脳にいいと流行りました。日常聴かない音域を聴くと英語を聴き取りやすいということがあるのかもしれないです。その右脳左脳の本の中に琴など純邦楽は読書や勉強を邪魔してしまうとありました。昨今カフェで勉強する若者が増えましたが、正月に琴が流れている場所では読書も勉強もはかどらないということになります。

小唄 地歌

 前回の訂正をします。春日とよはビクターだけでなくコロムビアでも出てました。うちにCDがありました。

 それと下谷小つるのCDは新宿の「コタニ」で買いました。CDのPケースカバーにコタニと紫色の印刷があるのに気づいたのです。そういえば会計の後、女店員同士でクスクス笑っていたのを想い出しました。25年経っていてもそういうことは忘れないものですね。バブルが弾けるか弾けないかのころです。

 ただ、下谷小つるのシングル盤を浅草の「宮田レコード」で買ったのは確実です。三島儷子のCDもそうです。



 佐々舟澄枝は日本橋生まれと前回記しましたが、定かではありません。関東の生まれと思います。本木寿以や蓼胡蝶と同じ系列のようですからそう思うのです。佐々舟澄枝は大正8年生まれだそうです。歌そのもので言うと佐々舟さんが最高に巧いと思います。技巧も最高ですが、酸いも甘いも噛み分けた、芯のしっかりした大人の歌心を感じます。下谷小つるのなよなよしい女心の一面の世界とちょっと違う感じです。



 山田抄太郎という人の小唄作品集のレコードは金子千恵子(美人)、飯島ひろ子という歌い手が参加しているアルバムです。これは粋とか婀娜というより「ひっそり」とした作品集です。


 杵屋佐登代は日本橋生まれです。このひとの歌の印象は一言で言えません。渋みのある大人の小唄ですね。


 米川敏子は筝曲と地歌で最高峰です。この人の生年月日は覚えやすいんです。大正2年2月2日です。箏(琴)だけで歌詞を棒読みみたいに歌うんですが、それがまた雅(みやび)なんです。「千鳥の曲」とか聴いたらのけ反りますよ。娘さんの恵美さんと裕枝さんとで本手を弾き、敏子さんは替手(低音)を弾きながら歌います。


 米川文子という人も地歌ですがだいぶ趣きが違います。敏子の父の妹ということですから叔母ですか。次兄に米川正夫がいてその人はロシア文学者だそうです。文子の地歌は聴き返しましたが地味な印象でした。


 音源は買ってあったLPからカセットにダビングしさらにMDにコピーしたものです。ところが今となってはこのMDがいささか不便です^^;

小唄 端唄

 小唄で一番色っぽい歌い手は下谷小つるだと思います。うちに「江戸女ごよみ」というレコードがありますが、ジャケットの写真は超美人です。歌声は婀娜っぽく、それでいて品のある、素晴らしい声です。特に男性は歌声を聴いただけでメロメロになること請け合いです。

「俗曲」しょんがえ節 梅は咲いたか/下谷小つる



 小唄で有名なのは市丸、小唄勝太郎、赤坂小梅、神楽坂はん子、神楽坂浮子などだと思いますが、芸者であることや純邦楽の馴染みのなさを超えて下谷小つるは特別な存在です。

 春日とよは渋く孤高の存在ですが敷居が高いと感じる人もいるでしょう。端唄の藤本二三吉は渋さの中にポピュラーな選曲、奴さん、梅は咲いたか、かっぽれなどで親しまれています。日本橋きみ榮は弾き語りが抜群に長けています。佐々舟澄枝は日本橋の生まれですが晩年は神楽坂近くに住んでいました。


 下谷小つるのLPは高田馬場の中古レコード店「タイム」で買い求めました。CDは浅草の「宮田レコード」で買いました。美人店主のお店です。店内はカセットやシングルレコードもたくさんありました。何年も行っていないので今はどういう状態かわかりません。
 ただ下谷小つるは検索しても年齢もプロフィールもわかりません。Amazonではプレミアがついた価格になっています。


 小唄でも少し毛色の違う三島儷子という人がいます。この方は明治生まれですが、声が高めなのでずっと昭和生まれだと思っていました。三島はやはり最初レコードで聴きましたが、CDも「宮田レコード」で買いました。舞踊小唄でコロムビアから出ているものでした。


 実は下谷小つるのCDもコロムビアの舞踊用の小唄端唄です。
 春日とよのCDはビクターです。
 三島儷子は昭和50年以降大和美代葵という名前で大和楽を歌うようになります。そのあたりは後ほど書くつもりです。

川田正子、伴久美子


みかんの花咲く丘  川田正子


 「みかんの花咲く丘」のシングル盤(33回転)はうちにありました。たぶん川田正子歌唱の復刻盤と思います。「みかんの花咲く丘」の歌詞はたまたま居合わせた加藤というサトーハチローのお弟子さんで、作曲は海沼實です。海沼が列車に揺られながら作曲したもので、短時間で作った曲のようです。


 川田正子と孝子は海沼實の継子になりました。でも正子は変声期を迎えるころ一時引退し孝子にバトンタッチするのですが、戦後まもないころでぼくの生まれる前ですから全く知りませんでした。
 大正生まれで音楽好きの母はSPレコードで親しんでいたのと、昭和12年生まれで童謡歌手を一時目指していた叔母にとっては戦時下から戦後と特別な存在だったようです。川田正子の晩年のリサイタルに母と叔母は出かけました。


 うちにあったシングル盤で「コロちゃんレコード」(45回転)シリーズは「里の秋」や「花かげ」「やさしいお母さま」「蛙の笛」「母さんたずねて」とかありました。
 川田正子は歌唱力というより一生懸命さが心を打ちます。先生に教えられたとおりに幼子がけなげに歌い、時には声が裏返るほどギリギリな感じがまたいいのです。
 川田孝子はさらに高音に張りがあります。実は歌はあまり好きでなかったとのことですが、正子が引退するのと同時期にめきめき頭角を表したようです。
 バックコーラスは音羽ゆりかご会。



童謡歌手 井上裕子さん やさしいお母さま とんがりぼうし(二曲)


 伴久美子は復刻盤CDで初めて聴きました。年齢的にはキングの近藤よし子、コロムビアの羽崎共子(ともに早生まれ)と同じ学年です。伴久美子は昔の写真を見る限り美少女です。近藤よし子も「怪傑ハリマオ」に女優として出演するぐらい美少女でしたが、伴久美子は清楚な感じでした。とはいえしっとりとしたどこか大人びた歌声です。
 「人形」をヘッドホンで聴くと、「ちいさい口元愛らしい」の部分でバックのオーケストラが低音でズンズンと刻みます。それがやけに奥深い。「イワンイワノヰッチイワノフさんとイワンイワノヰッチイワノフさん」では伊藤久男とデュエットしています。でも伴は病いを得て43歳の若さで亡くなりました。


 ぼくは「花かげ」が好きなのですが、川田正子も伴久美子も歌っています。川田は童謡の良さがあり伴はしっとりとした良さがあります。他の歌手も歌っていました。お気に入りのシングル盤があったのですが、家の中を探しても見つからず誰のバージョンだったのか思い出せません。

童謡 花かげ 伴久美子


 久保木幸子は昭和21年生まれです。歌唱力は抜群です。この人の特徴は純邦楽的な三味線とか笛太鼓のバックでも違和感ない歌い方です。澄んだ歌声で尚且つ和風な楽曲もこなせる歌手でした。あくまでCDを聴いた感じですが、「船頭さん」「にゃんにゃんおどり」「まりと殿様」「絵日傘」はぴったりのイメージです。

大正を拾って あの町この町 久保木幸子 ヘ調



 バックコーラスはコロムビアかなりや会、コロムビア杉の子こども会、etc。

童謡歌手 特撮ヒーロー、コロムビア

 「少年探偵団」の映画版は東映のシリーズで「ぼ・ぼ・ぼくらは少年探偵団♪」で有名です。歌唱は宮下匡司と上高田少年合唱団です。DVDが出ているかどうか未確認ですが、以前レーザーディスクを持っていました。
 ヘッドホンで聴くと「ぼくらは少年探偵団」と合唱する背後でオーケストラのコントラバスとチェロがピチカート奏法でウォーキングするんですが、軍歌みたいで鳥肌がゾクゾクッときます。
 ただし童謡歌手の宮下匡司と上高田少年合唱団のクレジットは映画の字幕には出てきません。(『江戸川乱歩と少年探偵団』河出書房新社に載っていました)このテーマはテレビドラマにも引き継がれたと思います。


 「少年探偵団」東映版の上映は「妖怪博士」「二十面相の悪魔」怪人二十面相役は南原伸二(宏治)で昭和31年。「かぶと虫の妖奇」「鉄塔の怪人」二十面相役は加藤嘉で昭和32年です。明智小五郎役はどちらも岡田英次です。少年探偵団の子役たちはほとんど団塊世代と思われます。


 ちなみに怪人二十面相(くわいじんにじふめんさう:昭和11年の表記)シリーズは松竹で昭和29年~30年に上映されました。こちらは歌があったかどうか記憶があいまいです。
 覚えているシーンは怪人二十面相がミイラの棺桶に隠れている人物に「誰だ!?」と怒鳴りつけると「誰でもない」と明智小五郎が棺桶のふたを開けて出てきます。この場面は川崎の名画座で見ていて思わず笑ってしまいました。バブルのころになつかし復活上映があったと記憶しています。


 童謡歌手でコロムビアに目を向けると、安田姉妹がいます。祥子と章子(由紀さおり)です。祥子はきわめて歌唱力がしっかりしています。「七つの子」「赤い靴」(昭和31年発売)などがCDで聴かれます。異人さんがいい爺さんだと思っていたのはぼくだけでしょうか。今では青い目になっちゃって、って妄想たくましいです。章子は幼少期から少しハスキー気味です。「どこかで春が」「うさぎのダンス」(昭和35、36年)などが聴かれます。



 岡田孝というのは団塊世代です。男性ですが女の子みたいな美声です。声変わり前なんでしょう。「赤とんぼ」「お山の大将」(昭和35、36年)などが聴かれます。


 羽崎共子は昭和18年2月生まれで新宿区立牛込仲之小学校出身ですから、太地喜和子の一級上でしょう。歌唱は確かですが、すでに大人の声です。「浜千鳥」「信田の藪」などです。


 桑名貞子は昭和27年元日生まれ。リズムのキレもよくきわめて歌が上手いです。「グッドバイ」「歌の町」(昭和39年発売ステレオ録音)などが聴かれます。後年はシャンソンコンクールでグランプリを取ったそうです。


 井上裕子は昭和28年生まれ。この人も上手いです。「黄金虫」「青い目の人形」(昭和40年)などが聴かれます。


 なお安西愛子の「お山の杉の子」(昭和33年)には伴久美子と川田孝子、「月の沙漠」(昭和35年)には久保木幸子、「やさしいお母さま」(昭和35年)には桑名貞子が参加しています。


 松田トシ(敏江)は「雀の学校」(昭和35年)など聴かれます。河村順子は「うれしいひなまつり」(昭和35年:作曲は父の河村光陽、オリジナルは昭和11年ポリドール)などが聴かれます。


 それぞれのコーラスはコロムビアゆりかご会、ひばり児童合唱団、みすず児童合唱団、コロムビア杉の子こども会、子鳩会などが参加しています。


(参考CD:「懐かしの童謡歌手たち③復刻」)