昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

食パンの耳

 表町か台町かはっきりしませんが、食パンの耳をフライパンで炒めて砂糖をまぶしておやつにする時期がありました。焦げ目がいい具合につくと香ばしくてウマいのです。
 あのころ砂糖に対してマイナスイメージはあまりありませんでした。甘いものが易々と買えるわけでもなく、駄菓子屋で売ってるものは着色料や添加物など多く含まれ、大人たちの間では子どもにたくさん摂取させないようにと啓蒙されていたと思います。
 給食の時間注意されたのは食パンの柔らかいところだけ食べて耳を残すと、額縁食べになるからちゃんと耳も残さず食べよう、みたいな感じがありました。
 家庭でサンドイッチを作ってもらったことなどほとんど記憶にありませんが、食パンの耳が余った時などおやつに作ってもらうのが楽しみでした。
 玉子焼きは甘くしていました。幼稚園の遠足の時など当然玉子焼きが入りますが、となりにしょっぱいおかずが載っていたせいか玉子焼きが部分的にしょっぱくなったことがあり、それがけっこうショックで何年も舌の記憶に残っていました。おしんこだったのか梅干しだったのかどちらかでしょう。

芸能一家

 父の従姉弟は一言でいえば芸能一家でした。父は文学青年でしたが、全然タイプの違う従姉弟が何人もいました。ぼくからは遠い伯母、叔父、叔母に当たります。
 長女A子さんは戦後キャバレー回りの歌手でした。子どものころは勉強ができて尋常小学校のころ、戦前ですが、作文が新聞に載ったそうです。どこで知り合ったかインテリの旦那さんと一緒になり生涯愛し合う仲でした。
 Iさん(次男:長男は夭折)の奥さんM子さんはカラオケ教室の先生。
 Iさんの妹次女M子さんはプロのジャズトランぺッターでした。この人はマネージャーと結婚しました。昭和32年ごろ、多摩川べりで行われたジャズのビッグバンドの生演奏を見に行ったことがあります。
 三女E子さんは日劇のダンシングチームの一員でした。この人もプロモーター兼マネージャーと結婚しました。
 四女S子さんは看護婦でしたが、宴会などでダンスを披露して大うけだったそうです。この人の旦那さんはクラブ歌手でした。
 末っ子のKさんはギタリストとしてステージに上がったこともありましたが、のちに有名企業の製作部門に勤めました。
 みんな個性的で学校は出ていませんが、頭の回転が速くIQが高そうな人ばかりです。

おたまじゃくしはカエルの子

 台町の家のガレージでおたまじゃくしを飼いました。洗面器に15匹ぐらい入れてガレージに置いておいたのです。夜は確か金網をのっけて重しをのっけていただけだと思います。よく猫に襲われなかったなと思います。
 何日か経つとおたまじゃくしの後ろのほうから足が出てきました。足を屈伸させて泳いでいます。数日後前足も出てきました。同時に尾っぽが短くなり、身体全体も引き締まってきました。
 黒かったのがだんだんこげ茶になっていきました。
 やがてカエルの形になってピョンピョン撥ねるようになったので、庭に放ちました。
 おたまじゃくしから本当にカエルになるんだなぁとちょっと感動しました。

新洗剤開発

 表町のうちで新発明に現をぬかしていました。裏木戸から入った家の通路には洗濯機と流しがありました。そこで2、3時間新型の洗剤開発に熱中しました。
 夕方になって暗くなるまで妙に打ち込んだもようです。新クロペットと名付けて新洗剤を開発したのです。
 何のことはない、いくつか洗剤を混ぜて自分で開発した気分に浸っていただけです。外にある洗面所で良かったと思います。今だっら混ぜるな危険状態だったかもしれません。
 なぜそんなことに男子のぼくが熱中したのか判りません。ぶつぶつ独り言を言いながら悦に入っていました。
 よっぽど暇だったのでしょう。気候も良かったのかもしれません。


表町周辺の有名人

 表町の周辺は歩いて1分以内に高橋是清公園がありました。近所には銀幕女優の細川ちか子も住んでいたようです。
 それと間違えやすいのは細川様の別邸があったそうで、細川様というと目白あたりを連想しますが、本宅ではなく赤坂のほうは別邸です。表町のお邸には久邇宮さまも遊びに来ていたそうです。これは母方の祖母が母に語ったことですが、祖母が大正年間に女官をしていたということで、そのことも祖母が病気で斃れるまで聞いたことがなかったので、母もびっくりしました。
 それから表町には作家の吉川英治の邸もありました。これは直接見たわけではなく、吉川英治の息子さんが本に書いているのです。借家時代も表町に住んだことがあるそうで、一旦郊外に住み、後年表町に正式な邸を構えました。
 確かではないですが、作家の舟橋聖一の家もあったと聞いたことがあります。それと日本舞踊の花柳寿南海さんも近所でよく見かけたと母に聞いたことがあります。