昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

赤坂丹後町ってどこ?

 昨日書いた丹後町の喫茶店というのは当時の正式な住居表示は一ツ木町のようです。
 丹後坂というのがあって山脇学園の女学生さんが利用する階段があるのですが、その近くなので勘違いしました。



 で、丹後町ってどこなの?ってことになりますが、
 現在では赤坂4丁目あたりです。部分的には必ずしも一致しません。


 牛鳴坂(青山通りに近いところ)に当時あったI歯科にはけっこうかかりました。でも後年わかったのは免許が無かったそうです。


薬研坂(赤坂丹後町)のパン屋さん

 3歳ぐらいだったでしょうか、丹後町のパン屋さんまでうちから子どもの足で2分ぐらいかかったと思います。
 20円を握りしめて菓子パンを買いにいきました。


 チョココロネもクリームパンも名前が分からない。しかたないので勝手ににょろにょろパンとグローブパンと呼んで、パン屋のおねえさんに分かってもらえていました。


 無事にパンを買えるとうれしさいっぱいで家路につきました。


 今考えるといくら交通量が少なかったとは言え、薬研坂を3歳児が横切っていたのです。
 親がよく子ども独りでおつかいに行かせたなと思います。


赤坂台町(コロンビア坂中腹)ドイツ文化会館

 コロンビア坂中腹の魚屋Gのところには後年喫茶店ができたようです。
 数年前の2000年代もまだあったようです。
 別の丹後町の喫茶店で知り合った人がK林K樹さんの娘さんと仕事で会ったと言っていました。


 魚屋は角にありまして角を曲がって路地を行くと現在ではドイツ文化会館があります。昭和20年代はシャムの公使館があったようです。住居表示は台町でした。


 ドイツ文化会館の向かいは理数系の得意だったY君の家がありました。と言っても会社の寮があって、そこにY君の家族が住んでいたのです。


赤坂表町、台町(薬研坂~コロンビア坂)

 パン屋さんとかお店が並んでいたのは表町からの路地の向かいです。
 そこが丹後町なわけで、魚屋Gは台町方面のつまり薬研坂の谷から上りが始まるあたりにありました。



 魚屋さんに行く途中つまり薬研坂のふもとに俳優の藤巻潤の家がありました。「ザ・ガードマン」などで有名な人ですね。


 その隣には帰国子女の家があってその子に突き飛ばされた思い出があります。
 丹後町のI(同級生の女子)さんが遊びに来ていて僕と3人で保安官のバッヂが五角形なのか六角形なのかでモメたのです。



赤坂表町、丹後町、薬研坂界隈

 表町の路地を薬研坂のほうへ抜けますと、パン屋K(チェーン店ではないほう)、八百屋、たばこ屋がありました。

 パン屋Kではチョココロネ、クリームパンなど10円で売っていました。あましょくは5円です。


 薬研坂の中腹に魚屋Gがありました。ここは後年喫茶店になりました。
 丁の字の角にたばこ屋があって、ここでは駄菓子も売っていました。


 角を曲がって一ツ木方面に行きますとY酒店、キムラヤパン屋、ここでは食パンをその場で切ってもらい買っていました。一斤30~40円でした。


 これらのお店屋さんは丹後町という住居表示になります。