昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

澁谷區 大和田町 松濤

 父は尋常小学校5年生の時に祖母に引き取られました。渋谷の大和田町(道玄坂付近)に住むわけですが、どこの小学校に通ったのか全く判りません。父や祖母の生前にそういう話を聞いておけば良かったのですが、聞きそびれてしまいました。ですから推測でしかないのですが、近所の小学校と言えば榮町小学校です。現在の東急本店のあるところになるわけです。戦後まもなくの地図を見ると澁谷區榮町という町があります。東急本店の裏は松濤の屋敷町です。
 松濤には現在N公園がありますが、戦後すぐのころまでN邸はありました。そこに所縁のあるお嬢さんが表町の2階に部屋を借りていました。そこへ訪ねてくる人が有名酒造メーカーのTさんでした。今でも銘柄に残っているぐらい有名な人ですが、まさか子爵か男爵のお嬢さんを妾にするなんて大胆な!と思ってしまいます。
 父が通った小学校で可能性のあるのは大和田小学校もそうです。ただそれは桜ヶ丘町のほうなので、現在で言えば玉川通り付近のようなので幾分可能性としては低いです。父と祖母は道玄坂に近いところに住んでいたと聞いています。現在の109の裏の路地は当時もあったのですから、そこを通っていた可能性は高いと思います。

「赤坂をどり」⑥

 藤間流「お祭り」清元連中


 言わずと知れしお祭りの 形(なり)もすっかりそこら中 ゆき届かせて こぶもなく ここでは一つあそでは 頭々(かしらかしら)と立てられて 御機嫌じゃのと町内の 家主方も夕日影 風も嬉しく戻り道


 ヤア引けや引け引け引くものにとりては 花に霞よ子(ね)の日の小松 初会の盃 なじみの煙草盆
 おしゃらく娘の袖袂(たもと) 嬶(かかあ)の履物 内裏(だいり)女郎のお召し物 座頭の褌(まわし) 菖蒲(あやめ)に大根 御神木(ごしんぼく)の しめ縄や またも引く物は色々ござる湯元細工のけん玉ぶりぶりそさまゆえなら心のたけをしめし参らせ候(そろ)べくの 人形筆売りこの首を 長く出したり縮めたり 何とのろいじゃあるまいか

「赤坂をどり」⑤

 藤間流「お祭り」清元連中(つづき)


 清元梅吉 指導       藤間友章 作舞
 藤間勘太郎 指導補     長倉稠 美術     池田智哉 照明
 三味線 京子 ち代 十見松 多美
 浄瑠璃 知鶴 卯づき 時奴 碩こ 喜久江
 手古舞 千代喜久 夕記枝 さおり 真由美 あきの
 頭 紘加 
 芸者 千葉奈
 芸者 鶴羽
(以上敬称略)
 つづく

「赤坂をどり」④

 第44回「赤坂をどり 艶姿五月の華やぎ」の演目は、


 藤間流「お祭り」清元連中
 江戸は日枝山王神社の祭礼。いなせな鳶の頭と、それにからむ二人の芸者のかけひきが見もの。み重子さんが鳶の頭で黒と途中から右だけ赤の袖。ニッカボッカには金銀のご紋。



 二人の芸者は一方が青に途中から右だけ赤の振袖。帯は黄色。もう一人はライトブルーの着物に途中から右だけ赤の振袖。帯は薄いねずみ色の縞になっている。
 江戸情緒たっぷり。締めくくりは手古舞。


(つづく)

「赤坂をどり」③

 つづき


 唄
 みのり 喜久江 晴三 卯づき 梅多寿 三鶴


 三味線
 香葉 富司 益代 多美 小巻


 笛
 禮子 よし子


 小鼓
 園子 美甫 君千代


 大鼓
 彰子 加名


 太鼓
 友加利
(以上敬称略)