河童銭
大田南畝が言い伝えを記したことによりますと、
河童銭
天明五年乙巳(1785)某月頃の事である。江戸麴町に飴屋十兵衛なる者があった。常より正直な心根の持主であったが、或る日の夕方、一人の童子がやって来ておどけた様子を見せるので、憐れみを覚え、飴を与えた。
それ以来、夕方になると来るゆえ、聊(いささ)か怪しく思い、帰る跡をつけたところ、お城の堀の中に入ってしまった。さては河童であったかと恐ろしく思ったが、また或る日やって来て、十兵衛に銭を与えて去り、その後は現れなくなった。
その銭は、今、番町の能勢又十郎殿の家にあるというが、もとより尋常の銭ではない。件(くだん)の銭の型を押したものだと言って、浅草の馬道に住む佐々木丹蔵篁墩(たかあつ)が贈ってくれたので、ここに写しておく。
(注)この画像は本に載っていたものとは異なります。
(参考「一話一言」須永朝彦編訳)