京都嵯峨野の漢詩
今さらながら京都散策のおりに嵯峨野の祇王寺に寄ってれば良かったのに、と思いました。(2011年3月)
嵯峨野の手前の嵐山の竹林は見物しましたが、事前の調査もなくとりあえず東京の放射能の影響から避難すべく、新幹線に飛び乗ったので、行き当たりばったりでした。
知ってる人はご存じのとおり嵐山から小倉山へ散策していくと常寂光寺、二尊院とあります。その先に尼寺があります。(京都出身でも知らない人がいます)
その尼寺こそ『平家物語』の祇王ゆかりの祇王寺です。
なんでも真言宗大覚寺派の尼寺だそうです。草庵のような萱葺き屋根のつつましい本堂ですが、実は明治期に京都府知事が茶室を寄進したものだそうです。
ここには、祇王(妓王)、祇女(妓女)、母刀自、仏御前、平清盛の袈裟をまとった木像が安置されています。
ぼくは個人的には、祇王の情け(ちょっとした油断も含む?)と思わぬ悲惨さも同情できますが、仏御前の女性としての気高さというか本性は尊敬の念すら感じます。
それはさておき、祇王寺にまつわる漢詩を見つけました。
過妓王故居
何須姉妹競恩華
一入禅場与世賖
不倣昭陽蠱成帝
敢同西子誤夫差
佳人末路多帰仏
名妓前身是落花
舞袖翩翩今那処
唯看遺像着袈裟
(読み下し文)
妓王の故居を過(す)ぐ
何ぞ須(もち)ひん姉妹の恩華(おんくわ)を競ふを
ひとたび禅場(ぜんぢやう)に入りて世と賖(はる)かなり
倣(なら)はず昭陽(せうやう)の成帝(せいてい)を蠱(まど)はすに
敢(あ)へて同じふせんや西子(せいし)の夫差(ふさ)を誤(あや)まるに
佳人(かじん)の末路 多くは仏(ぶつ)に帰(き)し
名妓(めいぎ)の前身これ落花(らくくわ)
舞袖(ぶしう)翩翩(へんぺん)いまいづれの処(ところ)ぞ
ただ看(み)る遺像(ゐざう)の袈裟(けさ)を着(つ)くるを
(現代語)
同じ白拍子の間でどうして一人の男の寵を競わねばならないのか。
ひと思いに出家してこの世から逃れるしかない。
漢の成帝を昭陽殿で姉妹二人して惑わせた趙飛燕(ちょうひえん)・昭儀(しょうぎ)の真似などできようか。
また越の美女西施が呉王夫差をたぶらかして后の後釜に座ったのと同じようなこともしたくない。
佳人の末路は仏門に帰することが多い。
名妓の前世は果敢(はか)なく散りゆく桜の花なのか。
軽やかに袖翻(そでひるがえ)すあの舞姿はどこに失せたのか。
いま目の前にあるのは袈裟をまとった亡き人の面影だけ。
(注)
寵=恩寵
賖=「しゃ」で変換できます。
蠱=まどわす。惑わす。バタイユの「蠱惑の夜」で変換が楽です。
誤まる=たぶらかす
翩翩=ひるがえす
漢詩の作者は五岳(ごがく)という僧侶です。豊後(大分県)日田の人で、同郷の広瀬淡窓(たんそう)に詩を学び、田能村竹田(たのむらちくでん)の画風を習って、三絶(詩・書・画いずれにも巧み)といわれた人です。
実は仏御前を詠んだ漢詩もあるのですが、長いので老眼で左目左手が不自由なので機会があれば紹介します。頼山陽の叔父頼杏坪(らいきょうへい)が作者です。その漢詩を読めば『平家物語』を読まなくても祇王と仏御前の凡そのエピソードが分かります。
男から見ると捨てられた感の祇王も気の毒だが、追って出家した仏御前の侠気もすごいとしか思えないのです。頼杏坪の観点も分かる気がします。
(参考:洛中洛外漢詩紀行)