昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

京都へ逃避行

 東日本大震災のとき、京都に避難しました。
 3月11日はいつものようにリビングで過ごしましたが12日に急に不安になってタクシーで東京駅まで行って新幹線に乗り込んでいました。


 売店に弁当も残っていなくて車内販売もお菓子しかなく名古屋を過ぎたころもお菓子をかじっていました。
 隣りの席の子持ちの若い母親が食べ残しの食パンを差し出して「食べますか?」と訊いてきましたが、さすがに断りました。


 なんとなく京都で降りました。駅ビルは新しくなっていました。夜でしたのでビジネスホテルに泊まりました。ホテルの近所のコンビニで晩飯用におにぎりを買いました。


 朝食はバイキング方式でしたが、BGMにブラームスかメンデルスゾーンあたりの弦楽四重奏曲が流れていて心地よかったです。後日問い合わせたほど良かった。


 とりあえず駅前に戻って暑かったのでダウンジャケットを脱ぎ捨てて駅前のユニクロで軽めのジャケットを買って着替えました。

 駅前のベローチェで今後のプランを練りました。そこは便利なので4、5回利用しました。


 レンタサイクルで自転車を借りて嵐山を目指しました。その前に四条河原の交差点も寄ったのですが、外人がスタバで半ズボンでゲラゲラ談笑していました。
 狭い島国なのに、一方は東日本大震災の大混乱、京都では外人が観光気分、この落差は驚きました。
 四条河原から左折した繁華街は自転車通行不可ですから押して歩きました。


 繁華街を抜けて嵐山線(路面電車)に沿って嵐山への道を行きました。嵐山線「出町柳」駅前のクラシック喫茶「柳月堂」(1階はパン屋)に2007年に寄りましたが、その時は開店時刻前だったのであきらめていました。2008年に寄って堪能しました。店内に小ホールみたいな空間があって時々室内楽コンサートが催されるようです。


 東日本大震災の時は寄らなかったと思います。


 嵐山付近に駐輪場があってそこに停めました。歩いて渡月橋や嵐山の竹林を見物して帰ってきました。
 途中100均の店に寄って折りたたみ傘を2本買いました。


 その日松竹撮影所の太秦も見物したと思います。想像より小さかったです。



 翌日奈良に行きました。前年も奈良に行きましたが、阿修羅像は見ていなかったので駅前のレンタサイクルで自転車を借りて興福寺まで行き、阿修羅像を見ました。
 上野の博物館に来ているときは見られなかったのでやっと見れたと思いました。奈良のインターネットカフェで暇をつぶし、みやげ物店で小指の先ほどの小さい仏像を買いました。



 後年友だちに話したら、東京を捨てて京都に避難するなんてもってのほかみたいに言われましたが、12日から15日は東京や神奈川あたりに放射線は流れていたとする情報もありました。


 衝動的に新幹線に飛び乗った自分に罪の意識もありますが、しがらみのない自分が取る手段としてやむに已まれない不安が為した愚行であったと言い訳しています。

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