昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

神楽坂界隈

 田中角栄の妾昭の娘佐藤あつ子さんが書いた『昭』が出版された年に読みました。
 角栄は戦時下で負傷して早めに兵役を終え帰国しました。飯田橋で土建屋を営んだそうです。そのころ足しげく通った神楽坂の花柳界で芸者のTさんと知り合ったということです。


 佐藤昭(子)さんはTさんとは別のお妾さんです。佐藤母娘は大井町から引っ越して、わずかの期間市谷左内町のマンションに住んでいました。市ヶ谷駅の外堀通りから江上料理学院の坂を上がったところです。このあたりから神楽坂はけっこう遠く、歩いて20分ぐらいはかかります。佐藤母娘はその後赤坂に住みました。ぼくは知らなかったんですが、祖母は知っていたと思います。


 最初の妾Tさんは神楽坂にほど近いところに所帯があったようです。神楽坂の坂、地下鉄「飯田橋」駅の地上への階段を昇ると神楽坂下です。不二家とか角にスタバとかあります。そこから坂を上って毘沙門天とか大久保通りと交差するところ、さらに東西線の「神楽坂」駅までつながります。新潮社のある矢来町近辺です。


 その神楽坂通りが午前は下り、午後は上りの一方通行にすると決めたのは角栄だったらしいです。Tさんのところから朝出かける時には神楽坂を下り、夜帰る時は坂を上るのに都合がいいように、というわけです。(諸説あります)
 Tさんと佐藤昭さんは生まれも1年違い、亡くなったのも1年違いです。


 神楽坂は昔は牛込區でした。このあたりは昔ながらの町名が残っています。矢来町、横寺町、袋町、若宮町、市谷船河原町、市谷砂土原町、払方町、二十騎町、市谷加賀町、市谷薬王寺町、等々。


 外堀通りのガソリンスタンドの横に小さなお宮さんがあります。そこは水の神様なんですね。大昔は運河があって船着き場があったようです。そこから急な坂がありまして逢坂という、雪の後はドライバー泣かせで有名な赤坂の薬研坂と双璧を為す坂です。


 坂の中腹に日仏学院があります。外部の人でも利用できるフランス関連の書店もあります。なので神楽坂周辺はフランス人がけっこう住んでいます。ベトナム人と思われるシッターもベビーカーを押しています。


 新宿区というと歌舞伎町のイメージで嫌う人も多いですが、牛込のこのあたりは都心では屈指の高級住宅街と言えます。東京在住でも案外知らない人が多いみたいです。

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