昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

昭和の思い出

 母方の実家には縦型の電話がありました。昭和のいつごろまでだったか正確には思い出せませんが、少なくとも昭和50年代までクルクル回して交換手に住所と何ケタかの番号を伝えて喋っていたと記憶しています。


 縦に長くて黒い電話ですが、横にレバーが付いていてクルクル回すんです。叔母たちは交換手にはふつうに喋るんですが、相手が出ると「もしもーし」と遠くの人に声かけるような感じで喋ります。




 話は全然変わりますが、傷痍軍人が2、3人で渋谷とかにいましたね。最後に見たのは昭和53年ごろです。


 彼らが演奏するのはハーモニカ、アコーディオンが多かったです。前にはかごのようなものが置いてありもちろんお金を入れる人もいましたが、素通りする人のほうが多かったです。
 なんとなく義手や義足が痛々しかったですし、おどろおどろしい感じもしました。


 よく見かけたのは渋谷の東口のガードの下あたりで、花屋さんとかがありました。並びに「東横(東急?)のれん街」がありました。近辺にコインロッカーとか電話ボックスとかバス停で混み合っていました。地下鉄の出入り口もありました。


 あのあたり昭和42~44年ごろ、上階の地下鉄銀座線渋谷駅から書店に寄るときには通りました。ふだんは井の頭線乗り換えですから、ホームの前方か中ほどの改札を使います。


 いっしょに帰ることが多かったクラスメイトのRクンは渋谷の常磐松の近所に住んでいたので、彼は後方の階段を使っていました。たぶんバスを利用していたんだと思います。彼の父親は後年京大の中国文学講師を務めました。

×

非ログインユーザーとして返信する