昭和レトロな赤坂の思い出

昭和レトロな思い出を書きます。主に赤坂中心ですが、東京近郊にわたると思います。
趣味の話も書くつもりです。

一ツ木通り界隈

 母と一ツ木通りの商店街で買物をした後、六地蔵尊入口の隣にあった果物屋でグリコのキャラメルを買ってもらうのが楽しみでした。といっても素通りすることのほうが多かったです。キャラメルのおまけが目的だったので、10円のではなく20円のが欲しかったからです。(値段が違ったらすみません)
 それは10円と20円では遠慮の度合いが違います(笑)。うちの金銭感覚がおかしかったのか、それともぼくらの世代の特性なのか、やたらと親にねだることはしにくかったです。もしかすると当時の価値観で20円のお菓子は10円のお菓子の2倍の説得力が必要だったかもしれないです。

 円通寺坂に通じる道にはCという水道工事店(丹後町)があって、そこの奥さんKさんと祖母は親しかったです。うちが世田谷に引っ越した際は残念がり、数年に一度世田谷まで訪ねて来ました。Kさんはぼくに車の免許を取らせるべく大崎の教習所を紹介してくれましたが、交通の便が悪くそこの教習所の教員と相性が良くなかったこともあり、免許を取りそこないました。
 その道路にはMという八百屋さん(一ツ木町)があり、母は仲良くしていました。一ツ木通りに近い路地にはM君の家(丹後町)がありました。M君とは中学で同級になりました。彼のうちは牛乳屋さんでしたが、昔は一ツ木通りに面したところでかまぼこ店を営んでいたそうです。
 
 一ツ木通りには金松堂書店がありますが、昭和の一時期赤坂通り沿いの赤坂新町に支店がありました。他に平成のころまで3丁目あたりにも支店はあったかもしれないです。新町のほうの小さい店で立ち読みしたのは自動車に夢中だったからです。プリンスグロリアの独特の睨みつけるようなフロントデザインが好きでした。ベレットGTよりコロナハードトップが好きでした。いすゞだったか小型車にも魅了されました。外車が元のヒルマンの曲線のラインも好きでした。

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